長い間、劇団カプチーノホームページをご高覧いただきましてありがとうございました。
回想録を通し、一貫する不思議…人と人との出会いです。
人と人との縁をたどって、縁を結んで、公演につながっていきました。
人と出会って、あの時あんなことがあったから…
ああでもないこうでもないを繰り返し、こんなことがあろうとは!
私が劇団を旗揚げだなんて…
人生、思いもよらないことがあるから、不思議です。
振り向くと、なくしたこともすべてが必要不可欠にからみ合い一本につながって…
時を経て、今ようやく…道に思えるのです。縁あって、みなさんに出会えたこと、感謝しています。
友人と遊んでいる時、気になって尋ねたことがあります。
「中瀬さんといるとほんと、ありがとう、って言葉がよくきこえてくるんだよね~」
「生きていく中で、人にしてあげれることより、してもらうことのほうが多いから…」
旗揚げ公演、劇団員は私ひとり。でも、やっぱり私は一人ではありませんでした。
たくさんの協力者や応援してくださる方々がいました。ひとりで作れるわけなどないのです。
回想録を作成する時もいつも、私の心緒を読んで下さるみなさんの存在を感じて、
綴ってまいりました。
私の場合、誰かの為に…対象を感じた方が筆が進むのです。
跳ね返ってくるみなさんの応援の気持ちが単純にとても嬉しいのです。
これからもきっと悩みながらつまづきながらですが、人とともに生きていける
余は満足じゃ。
これからも劇団カプチーノブログ「ほころび茶話ん」、末永くよろしくお願い申し上げます。
役者陣からは「すごい!一流のスタッフ陣やね~」と言われ、
スタッフ陣からは「よくこれだけいい役者を揃えたね~」と言われた。
各陣営の真ん中にいた私は、その事がすごく嬉しかった。
何もない私にとって、それだけが自慢だったから…。
この奇跡の共演をぜひ多くの人に観て欲しかった。
画家と話した時も思ったのだが、絵画は残せる。だが、舞台は、残せない。一期一会。
生きて舞台に存在する人間と、その存在を確かなものにする
生きて観るお客様の目が必要だ。
広報活動をして、できるだけ多くの人にお知らせしなければ…
チラシの作成・挟込み、ホームページ開設、口コミ…しかし、私、ひとり…限界がある。
私はキャスティングが決まった時の自身の震える思いを世に知らせるべく、
新聞社雑誌社宛に広告掲載願いの企画書を作成し、送った。夏のことである。
9月下旬を迎えるまでに色々な事が起こった。
徐々に痩せた私の体、目がくぼんで、肌も荒れた。
「役者として、頬だけはこけないようにね」と言われ始めていた。
うちひしがれていた頃に…Lマガジンに広告が掲載、続いて、ぴあ。
最後に、10/5付の朝日新聞!
稽古後、家でみた朝日新聞には、我が目を疑った。
カプチーノが朝刊に取り上げられている…。
あの夏の日、素直に、時間をかけて丁寧に自分の気持ちを綴ることにした企画書が
通った。
旗揚げにして新聞に掲載していただけるなんて!
運がよかったと思う。この最幸運に感謝せずにはいられなかった。
素直に、時間をかけて丁寧に自分の気持ちを綴った思い(企画書)が伝わったことが
嬉しかった。
夏に蒔いた種、ずっと芽がでなかったから…もちろん中にはでなかった芽もある…
すべてでなくとも、不意をついて、でてきた芽が!
埋まっていて、目には見えなかったけど、ちゃんと生きてた。
こんなことってあるんだ…。
この夜、久しぶりに、内からこみあげる力にまかせ、笑って、眠って、救われた。
演劇界、右も左もわからず、その日はアイホール(伊丹にある劇場)で
右往左往していた私に声をかけて下ったのが、舞台監督の塚本修さんです。
恥はかきすて、いえ本人は恥とも気づかないまま、
傍から見れば挙動不審者でしかない私の旗揚げへの思いをきいて下さった後、
優しく「何かわからないことがあれば、いつでもご連絡下さい」と塚本さん…世は情け。
無謀な失敗が出会いを生みました。
塚本さんに旗揚げ公演コンサルティングをお願いし、
私の非常識と演劇界の常識を教えていただきました。
台本を読んでもらい善し悪しを教えていただきました。
知らなさすぎる私がゆえに、貴重なお時間をたくさんいただいてしまいました。
舞台美術さん、音響さん、照明さんを紹介していただきました。
知らなさすぎる我が劇団、負担の大きい舞台監督までお引き受け下さいました。
公演後、しばらくして塚本さんから反省会のお誘いを受けました。
まだ公演後の気持ちの高ぶるまま、感情にまかせ、塚本さんに思いを打ち明けました。
出会った時と同じように、興奮気味の私の話を最後まで穏やかにきいて下さったうえで、
「なら次回はこうした方がいいですよ」と、ひとつひとつに改善策をいただきました。
多忙な中、反省会と称し、私の為にカウンセリングまでしていただけたのです。
下を向く私に「失敗しないよう先にアドバイスをすることはできます。でもそうすると、
その時、避けることができても、結局いずれまたどこかで失敗してしまいます。
失敗は経験していくしかないですから。大事なのは二度と同じ失敗をしないことです。
そして…とーまちゃんは、まだまだ、失敗します。それでいいんです」
見上げるとそこには塚本さんの微笑みがありました。この時の私の喜び!
私は、見守られていたのです。育ててもらっていたのです。
塚本さんからいただくアドバイスにはいつも「ほどよさ」があります。
見通しながらも、育てる為に待ち、育つ為に残せる、そんなほどよさが…。
打ち上げ後、明け方、塚本さんからいただいたメールのタイミングのよさ…
的確にして適切。絶妙!
次回の為、消せないメールです。
見守られているあたたかさに包まれているからこそ、応えたい。
塚本さんへ
カプチーノ、これからも失敗しながら育っていきたいと、はりきっています。
美術展に行った。
美術館での時の流れが好き。緊張感があるのに、ゆったりしていて。
画家の凝視した時間がその一枚に閉じこめられているからなのだろうか。
ふと、ここで生活すると年のとり方が遅くなるような気がする…
挑戦してみたくなる。絵画に向かい、そんな馬鹿なことを考えたりする。みる目はない。
その日も作品を前にいつも通り、ふ~ん、へぇ~、面白い、何これ…わからん、何か可愛いなどと順路を進んでいると、
あ、これ好き!な作品と出会い、
しばらく立ち止まって見ていると、後ろから声がした。
「本日は作家が会場におりますので、ご興味をもたれた作家にお話がきけますよ」と。
作家の解説付き鑑賞会!贅沢すぎる…ラッキー!
私はその巨大な抽象画の制作日数、道具、色、素材との出会いや動機となる思いを尋ねた。作家は丁寧に答える。
「本来、言葉で説明して伝えるものではありませんから、答えは全て絵の中にあります」
「僕は自分の名前や顔が残って欲しいのではない。作品が残ってくれればそれでいい」
いつしか私は鑑賞者としての質問から離れ、例え話とかこつけて演劇話を絡める。
「劇団の旗揚げ公演で、初めて作を担当したんですけど、第一作目、俺がおれ我と自分が前面にでた赤裸々な台本になってしまいました。現段階の自身の限界も知りました」
「第一作目は、そういうものです。とにかく書き続けることです」
「はい。…私、今回、演出を担当したんですけど、力不足で…色々な方のお力添えで…無事公演は行えたんですけど…どうしても自分の作品だという気持ちに曇りがでてきて…」公演後、私の心を占めていた憂鬱はこれ。
沢山の時間とお金をかけて望んだものを作れなかったこと。
確かに舞台を知らない私の演出より、知識経験のある方々のお力添えがあったからこそ、
作品の質は高くなったかもしれません…にもかかわらず、気持ちが晴れない。
舞台はみんなでつくるもの、自分の思い通りにはいかない。わかってはいる。ただ…ただ、私には、1つだけ、譲れない願い(演出)があった。
芝居の面白さやよしあしではなく、ただ、そうしたかった。私が、好きなのだ。
そこを説得する、納得させる力がなかった。叶わなかった。
彼は「僕は絵を教えているんですが、生徒さんの作品に手を加えません。加えると、
その作品は生徒さんのものでなくなるからです」私は何度も頷いた。
自分が好きで決めた事を最後までやり抜くことで、自分のものになるのですから。
芝居全体、カプチーノとして私の曇りは単なる私の我が儘かもしれない。
回想録でも正面きってなかなか言えなかったが…個人的に悔しかったのだ。
「すみません。絵画を前に演劇の話を持ち込みまして…」
「いえ、作家という点では同じですから」
晴れやかに「ありがとうございました」次回までに力を蓄えて…次回こそ、我が、ままに!!
公演翌日から当然、会社に行くという社会人生活を崩すことはできません。
当たり前ですが、この平日リズムのおかげでどっぷり落ち込まずにすみました。
暇さえあれば自分の殻に閉じこもっていました。
掲示板の開設を公演後とうたっているにもかかわらず、
手をつけることができません。
アンケートにある皆さんのあたたかい言葉を読むことで気持ちを奮い立たせ、
やっとの思いでUPします。
するとそこに…思いもかけない皆さんからの心のこもった素敵な感想と次回作を!とのあたたかい言葉が!!
励まされました。書き込みを読んでは、元気をもらい、
返信するたび、自分の殻から少しずつ少しずつ抜け出ることができるのです。
人の心を癒やすのに、なんと人の心が効果的か…
「そうだ。人の手を借りよう」
まずはフットケア。
ガサガサだった足の裏は人の手で、柔らかくなる為、たまった角質をとっていきます。
人の手を引き継いで、毎日、自分の手でひび割れたかかとに潤いを補給します。
乾燥でガサガサになったところ、ようやくはがれ落ちました。
次は、マッサージ。
アロマオイルを使って人の手でたっぷりほぐしてもらいます。
「すごく凝ってますよ。肩から腰まで…自分ではお気づきになりませんか?」
「はい…自覚症状がないんですけど、いつも凝ってます」
思えば、普段から緊張する方なので、ただでさえ肩に力が入り、あがっています。
おまけに今回、旗揚げ、気だけでなく、意地まで張って凝っていましたから…
肩に重くのしかかっていたものがとれると、楽に上を向けます。
9月より下向きだった私は、やっと秋の空の高さを感じることができました。
気分を変える為、髪も切ってもらいました。この短期間のあいだに2度も。
ロングヘアからセミロング、セミロングからボブ。ずいぶん軽くなりました。
冬の陽にあたってできた私の影は、きのこみたいで…笑えます。
先日、人の手で着物をきせてもらい、京都を歩きました。
着物を着ると要所要所に、気合いが入り、背筋が伸びます。
贅沢にも色々な人の手あてを受けました。
人の手のあたたかさを感じることで救われました。
京都でお寺に参り、「そういえば、ながいこと、忘れてたな~、
手と手をあわせるだけでこんなにも落ち着くなんて…」
ありがたやありがたや…静寂の中に光を見て、合掌。
稽古中に負った大やけどは、公演後ミズブクレになりました。
しばらく公演に関わるものをミることもできズ、内閉していました。
破れて…跡形が残りました。
今はまだ生々しく残る焦げ痕、
時間の経過とともに訪れるであろう回復を待ちながら、
今、刻印された私の初心忘るべからずと痕跡を辿っているのです。
※2年前の傷痕は、こそばゆい。
奇跡の共演者でした。
舞台を観、一目惚れして…断られても押しに押しての出演依頼となりました。
いつも片思いの私が…私ってこんな女だったのかしら?
私は私の中の私に未知との遭遇でした。
今回、配役に関しては自らの衝動を抑えることができませんでした。
キャスティングはベストだったと自負しております。
この役、あなた方以外に考えられませんでした。あなたしかいませんから。
だから、みなさん全員から承諾をもらった時がその瞬間が一番嬉しくて…
未熟な私の旗揚げ劇団になんと贅沢な客演者だったのでしょう!
みなさん、お元気ですか?
今回、自身の無知さから、力のなさから、ご迷惑をかけてしまいましたね…
今回の奇跡を次回は必然的共演にできますよう…同じ舞台に立つ為に修行しますから。
また、いつか…
アドバイザーを迎えての稽古。
5分と経たないうち、
私が今まで願っても築くことができなかった演出家と役者の関係が見えました。
知識も経験もある人の説得力、役者が活気づきます。
こういうのを稽古場というんだろうな~そう思った瞬間、悔し涙があふれて、稽古場を出ました。
誰も私を呼び止め、追いかけてくる人はいません。
廊下で泣きじゃくりました。出る涙もなくなったところで、戻りました。
稽古は進んでいました。誰も私に何も言いません。
追いかけてこない彼らに、稽古場に個人的な感情を持ち込んだ自分の甘さを悟り、
私の勝手な退出を責めない彼らに、以後このようなことは致しませんと無言で誓いました。
私の惚れ込んだ役者さんは、芝居で飯を食う、を目指しています。
本気です。
熱かった。
平らな板の上で、私は彼らの芝居に対する役者魂を肌で感じることができ、
その情熱を直に浴びたのですから、そりゃ~もう、大やけどですよ。
私は「まともに芝居を板の上に揚げられない。」演出家。
演劇業界(用語)にスカスカのスポンジ状態の私は、その言葉を全身で受け止め、
そうか~舞台のことを板といもいうのか…へぇ~と、ダメージと共に記憶。
客演者同士で交わされる会話は虫食い問題。私にはキーワードがブランクなのだ。
緊迫した空気の中で、どうやらシャク?の話し合い。しばらく固唾を飲んで見守る。
前後の文脈から、シャクって尺?…尺って…ああ、台詞をいうのにかかる時間か!
わかった時には、時すでに遅し。
話し合いの焦点からもみんなのいる位置からもズレている。
演出として先導できず、逆にみんなを後ろから追いかける。
音響のこと、照明のこと、後から後から…私は何も知らない…演出以前の問題である。
自身で招いた演出不在の事態。
では、誰が?
みんなが、いた。アドバイザー、客演者、スタッフの方々…
本来なら、お互いの領域を侵し合うことはない。演出の権限は絶大だ。
力のあるポジションだけに、力のない私には荷が重すぎた。
責任をとれない私を見かねて、領分を越えてきてくれたのである。
私、一人の劇団です。なんて厚顔無恥な思い上がりだろう…
ひとりでは何も生めない。一人ではいきれない。私、独りじゃなかったんだ…
透明人間の心に沁みた。
みんな、私と共にいてくれた。この支えがあったからこそ、旗、揚げられた。
ありがとうございました。
公演後、小屋の方へご挨拶、「私、主宰としてはどうでしょうかね…」とつぶやくと、
笑って「大丈夫!上がしっかりしていないところは、下(劇団員)がしっかりするから!」
なんだか、嬉しかった。
これでも、それでも、やっていけそうな気がして…
私も笑って「そうですよね!」と答えた。
※知らないと堂々といってのける甘さが…甘すぎる。
絶えず頭の中に、業務別リストがありました。
衣装・小道具・音楽…私のイメージにあうものはないか?使えるものはないか?
生活の視点が変わりました。意識的にモノを見るようになりました。プラス。
収集に付随してくる問題が、お金です。マイナス。
私は作品にいくらかかっても構わないという懐に余裕あるプロデューサーではなく、
やりくりプロデューサー、安くてええもん、足を使って探すしかありません。
その前に、
限りある資金、早まった購入とならないよう、まずは自宅にあるものを見直してから!
はけない靴がありました。
好きでもあわない、でも捨てきれなかったもの…もしかしたら彼女に合うかも。
私にはけない靴は、彼女にぴったりでした。
昔、買った靴が、時を経て今、役目を果たしました。無駄にはならなかった…。
この世に無駄なものなんてないのかもしれない。今回の旗揚げで辛くて流した涙も。
無駄にしなければいい。プラス。
使わなかった服が残りました。
今回買った衣装、演出面からの役のイメージ・価格とも私視点で買いましたが、
ぼつです。それだけでは「衣装」になりえないのです。
舞台で照明にあたった状態での見映えと時代背景を加えて、説得力がなければ…
照明さんの専門的視点と協力を得て、衣装が決まりました。
ここでも無知から出たさび。大阪のおばちゃん、安もん買いの銭失い。マイナス。
手元に、光を浴びることがなかったテラテラの衣装、しかも男もの…部屋着にするか。
まだまだ敏腕の道、遠し!少しずつ腕力をつけていくしかありません。
もともとマイナスから始まっているんだから伸びる可能性は大きいですよ~。二乗!