ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

聖書はまことに真実の記録書

2017年06月21日 | 聖書
マルコ伝4章の終わりにあるのは、イエス様が嵐をら静められた有名な個所である。しかしこの記事、以前から一つの疑問がずっと頭から離れなかった。

その疑問とは、嵐で今にも舟が沈みそうな中、イエス様が寝ておられたことだ。いくら何でもこれはあり得ないことではないか。大揺れの小舟の中、湖水が大波で浸水し舟が沈みかけているのに、それでもまだ寝てるなんて・・・・だいたい衣服もずぶ濡れなのだろうし・・・・と。

この疑問を解いたのが、ノフ・ギノサールと言うガリラヤ湖畔にあるキブツの舟の博物館である。ガリラヤ湖の湖水面がかつて非常に下がった年があって、その時姿を現した湖底から約二千年前の小舟が発見されたのだ。それはちょうどイエス様の時代にあたり、舟の形もまさに聖書の内容を裏付ける物だった。(これは博物館の舟を元に私がイラストしたもの)

これで見ると、舳先ととも(艫=船尾)には板が張ってあって、浸水しても濡れないのだ。そして通常襲って来る嵐の波には先端の舳先を向けるから、ともは一番安定して揺れない場所だった。舟の中ほど、弟子たちが居た所は水が入って大変だったのだが。なるほど、聖書は真実である。(イエス様が風と湖に命じているところ)

こうしてみると、聖書は確かに何一つ嘘や偽りがない、正真正銘の神の言葉であることが分かる。従って、聖書を信じない者は聖書が言っているとおりの大変なことに陥る。だから、福音を語るのはたとえ迫害されようと、愛であり、使命なのだ。



ケパ



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の白馬

2017年06月20日 | 聖会・キャンプ・集会
船橋教会が所属している主の十字架クリスチャンセンターでは、毎年7月下旬に、白馬キャンプが行われる。

今年も7月25日~28日の白馬キャンプが近くなって、今週の依頼blogは「白馬キャンプに向かって」が始まった。
全国教会のblog

今日は歯科医診察予約で、出かけた帰りの船橋駅改札口を出ると

『白馬へお誘い〜』と言わんばかりに

白馬村観光課らしき青年が、呼びかけていてチラシを渡してくれた。

来月行くと話すと、うちわも渡してくれた。
この船橋で、あちらからやって来たよ〜

そんな感覚で、夏白馬へ行きたいと強く〜思わされる

ちなみに⬆️に紹介したブログにあったビワの山
〜ん〜〜食べたい〜


ビワ好きのドルカス


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教えたくないスポット

2017年06月19日 | 生活
あまり口外したくない良いスポットが近くにある。飲み物はセルフで飲み放題、デザートやケーキ、食事もリーズナブルでグッド。何よりもだだっ広くて、タップリの読書にも、またパソコンを持ち込んでのちょっとした仕事場にも活用できる長く居れる所。それはイケアの2階にあるレストランである。


イケアはスエーデン家具を中心としたお店で、船橋が日本第1号店、多分イケアの本部事務所もここにある。このお店は1号店らしく、もうまるっきりスエーデンのお店で、店内に入るとパスポートなしでスエーデンに入国したような錯覚に陥るほどである。とにかく広い。(ここはお店の入り口だが、店は二階からはじまっていて、そこへは奥の卓上ルーム横のエスカレーターから入っていく)
そして最初はどのようにお店に入ったらよいのか、広くて分からなくて戸惑う変な店である。(文字が波打って歪んでいるのはガラスのこぶ)

これはレストランのガラスだが、日本ではあり得ないガラスのこぶが当たり前に使われている。想像するに、イケアが日本初上陸するにあたって、何から何までスエーデンから資材を直輸入して建設したのではなかろうか。(イケアから自宅に帰って、イケアではありつけなかった本年初のスイカにありつく)

とにもかくにも、このお店に今日のようにようく行く。駐車場も、ここは全くのフリーで入れ、時間の制限もない。私たちが生活の気分を変えたくなった時の第2のオフィス、と言うのは言い過ぎであるが。



ケパ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月18日曇り空

2017年06月18日 | 教会のこと
おはようございます。

主日礼拝の朝。礼拝いたしましょう

預言の時がありました。
ほふられた小羊を賛美する牧師

そしてメッセージは、聖書マルコ 4:40 から、ケパ牧師が語ります。


午後は神学校の学びをしてから、

夜の礼拝は 東京アンテオケ教会第7礼拝に参加してます。

それぞれ座るので画面には見えませんが‥‥皆さんいらっしゃいます。

ドルカス




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日の主日は

2017年06月17日 | 生活
明日は父の日ですね。
天のお父さまには明日心から礼拝出来ます。喜びで満ち溢れて礼拝は、間違いないですね〜

既にケパさんと私は、父も母も天ですから、父の日のありがとうは、ないですね〜

でもケパさんには、愛する2人の娘達がいるのですが、事情でしばらく会ってません。

(子供達の写真はケパさんの許可有ね)
きっと会いたいよね〜と想像して、
私が2人に代わってパパにプレゼント。


風通るシャツ(と言うネーミング)二枚と、夏向けのネクタイをプレゼントです。
ちょっと奮発してね

今月は2人の記念月(結婚記念日)だから、まぁいいよね〜 少し着やすいワイシャツにしてあげたいな。などと理由をいくつか並べて、感謝して購入決意。
と思ったら、ちょっと値引きがいくつか重なってゎあ〜ラッキー🤞嬉しいですね〜

ついでに、昨日はSOFT BANKのこれ

も、2人で頂けたから

感謝な週末ね〜

明日はさらに祝福される主日礼拝となる事を祈ります。
皆さんもお楽しみにしてくださいね〜〜

ドルカス




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水郷(潮来・佐原)

2017年06月16日 | 
スケジュールの空白日である今日、水郷再訪を思い立った。利根川はわが国最大流量の河川であり、河口に近い地域には湖沼をはじめ大湿地帯を擁し、その千葉県側は佐原、茨城県側は潮来と呼ばれる水郷である。
神奈川の厚木で大学生活を始めた私は、最初の小旅行をこの水郷地帯に定めていた。なぜなら、広島の山地育ちの私には、広い湿地帯、何をするにも舟で行き来する生活とはいかなるものか、未知の世界であり、大いに興味をそそられたからである。(今の整ったアヤメ園・・・全然昔とイメージが違う)

車から47年ぶりに潮来駅に降り立ってみて、全くもって記憶が戻ってこなかった。あまりにも変容していたのだった。観光用に残された水路以外は、昔在ったはずの縦横に走っていた細い水路は、軒並み埋められている感じである。

アヤメ園も、全然違う場所だったような気がするし、あまりにも観光地として整備されていて、何だか全く感じが違う。まぁ、私の記憶も半世紀近く前のものなので、かなり怪しくいい加減だ。(こんな風景は、初めてだ)

潮来ではアヤメを眺め、大きくなった観光用小舟に乗って風情を楽しんだ。記憶では学生の身、舟代を惜しんで乗れなかったと思うので、これはリベンジである。舟は櫓舟でなく、潮来遊覧船組合のエンジン付き小舟に乗った。(舟の中)

ラッキーなことに、女船頭さんの時間をタップリかけての楽しいガイドに、

旅を満喫した。しかし舟は観光用に残してあるものばかりだし、かつては道代わりだった水路は消滅し、家々には舟でなくマイカーが鎮座していた。
考えてみると、いちいち舟に乗らなければならないより、車でサッと何処へでも行ける方が、便利で暮らし易いのは当たり前だ。だからこれは進歩であり、舟を懐かしむのは、雪国の人に雪は綺麗だと言っても、それは雪の大変さを知らない都会人の発想みたいなものなんだと思う。
(次は佐原風景)

利根川を渡っての佐原は、半世紀前には来れなかった所である。昔の舟運盛んな頃、江戸への流通経路の地として商業が繁栄したという。ここは伊能忠敬が九十九里の生家から婿入りし、三倍の家運隆盛をもたらして後、家督を長男に譲って江戸へ暦学修行に出るまでの地である。
ところで江戸川が利根川の支流のように繋がっていて、銚子から川船で東京まで行けることを知らない人が案外多い。江戸川は要するに運河どして、人工的に作られた川なのだということを。
時に伊能忠敬はこの時五十歳。江戸へ出てからの忠敬は学んでいる最中、五十五歳にして幕府から日本測量を命じられ、残りの全生涯十七年をかけ、蝦夷からはじめて屋久島や種子島まで、全日本の測量を成し遂げる。(忠敬が使った緯度を測る機械)今でこそ衛星写真やレーザー光による測距機があるが、当時の技術では考えられない精密さである。改めて偉人とは、こういう人であると感じた。


ケパ




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最大最上のプレゼント

2017年06月15日 | 感謝
ある朝一人、早天で祈っていて示されることがあった。「神様に仕えて、その報いって、私は何をいただいたのだろうか?」と。否定的にではなく、恵みを忘れないために。

すると、ただ一つのことしか思い出すことがなかった。「永遠のいのち」。これほどの素晴らしい神からのプレゼントはない。「私は永遠のいのちをいただいている、これで完全で充分なのだ」と。たとえ明日命を召されたとしても、またたとえ無一文になって、路上生活の末、飢えと寒さで死んだとしても、悔いどころかこれで充分なのだ、と。

聖書のラザロの話を思い出した。ラザロは今で言う路上生活者で、金持ちの家の前にあわれみにはあずかれなかった。全身のできもので覆われた彼は金持ちの家の門前に置かれ、あわれみを受けることなく、死ぬまで忌避され続けたのだ。ただ犬だけが彼のおできをなめてくれて、慰めてくれたのだ。人間的にはまことにあわれな生涯に見えたかも知れない。
ところが、である。この世での成功者である金持ちもまた死んで、ハデスに下ってみると、そこは炎の中、熱く苦しいところであった。目を上げてみると越えられぬ淵の遙か向こうに、アブラハムのふところ(つまり天国よようなところ)に抱かれたあのラザロが見えたのである。

この後まだ話が続くが、要は神を信じた者は天に迎えられ、神を信じなかった者は永遠の苦しみに遭うという明快な話である。
神を信じるとは神を主とし、神の生き証人になるということであり、己の欲望を追求することではない。路上生活者になると言うのは、決して証にはならないので、たとえこの世で報われなかったとしてもの極論である。

人は必ず死ぬ。本当の勝負はたとえこの世で報われなかったとしても、せいぜい数十年かしかいきられないのである。しかしその後は永遠である。ならば永遠の命があるかどうかが、1番のポイントではないだろうか。
私は平安である。なぜならイエス・キリストが、わたしの罪を完全に肩代わりして下さったからでもある。
ハレルヤ!!!



ケパ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初めての‥‥

2017年06月14日 | 感謝
今日は水曜礼拝でした。
今月から水曜日は、それぞれの奉仕を交代して担当をお願いしてます。

本日の司会は、E姉妹です。

いつもはオンラインの配信の奉仕担当。
今日は初体験の司会のご奉仕でしたから、緊張気味でしたが、
落ち着いてご奉仕されてました。

事前にお祈りをされたのですね。
神様に感謝ですね❣️

ちなみに
これ⤵︎も初めての物

パイナップル?
に見えますが、超と言うほど小さいパイナップル?

形はパイナップルそのものですけれどね〜
何なんでしょう。

次回お聞きしてみようと思います。

ドルカス


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眼科で

2017年06月13日 | 祈り
昨日上野動物園でパンダベビー誕生。
このニュースを今日もテレビで放映してる。

午後診察に来た眼科の待合室でもホラこの話題!

そう、今日は眼科の予約日でした。

ケパさんは緑内障の進みはないか、
今回は老眼の進みはないか老眼鏡の視力検査でチェック。
老眼は少し進んだようでメガネのレンズ変えなければいけないらしい
それを聞いてぐっとこらえて、感謝した。
そうだ❣️祈るよ〜 そして

メガネ屋さんへ行ったら、レンズ変更する必要がないと言われるようにと、主に祈ろう。さらに癒しがありますように。(身勝手な祈りだろうか?いや、主の働き人。御心ならばそうなります。)

そしてドライアイの私の目は、最近痛むことが時々あるほど調子悪かった。
今回Dr.の診断は
「涙点プラグ注入しましょうか」と???

どうやら、涙が必要以上漏れでないように、
涙の排出口(眼には2つづつあり、鼻に抜けるとか)にシリコンで栓をするらしい。そうすると瞬きする事で涙が眼全体に行き渡り潤い、ドライアイになりにくいと、パソコンのディスプレイで説明してくださった。

今回は右目にその処置が‥‥
面白い治療だね〜どころではなく
ドキドキだったので、素早く

「主よ、私の不安を感謝します。取り除いて下さい。医師の治療をあなたに委ねます」と祈った。
すると
ドクターが「背中を椅子の背もたれに付けて」と言われ、あっ!どうも不安なはずと気づかされ、背もたれに身体を委ねたら落ち着いて、治療が受けられた。

祈ることって🤞いいね。

今夜は痛みもなく、普通に過ごせてる。
さらに、ドライアイが落ち着いてきて、教会での奉仕に支障がなく、パソコンやiPhoneでの仕事が出来るようにと、御心がなりますように。と、感謝して祈った。

主に感謝して主に祈る。日々のどのような小さな事もそのようでありたい。

ドルカス




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天に届くため祈り・・・・私の六つのポイント

2017年06月12日 | 祈り

「クリスチャンは祈ってなんぼ」というのが、私のキモである。※「なんぼ」とは大阪弁風に言う言葉で、祈ってこそクリスチャンとしての価値がある、という意味になる。
また私が好きな
「祈りに導かれるならすべて良し」という座右の銘もある。そこで、今回はふだんの早天などでの、私の祈りの生活の一端を、恥ずかしながら公開したいと思う。ただし順序は必ずしもこの通りではないし、時にいくつか飛ばすこともある・・・・・祈りは基本、解放され自由でなければならないから。(写真は祈りの島、パトモスでの一室で)

 

○主を称えことばで賛美する。これまでを感謝する。

○悔い改めに導かれる。
○主人に仕えるしもべのように、静まって待ち、聞こうとする。「しもべはここにおります。どうぞお語りください」と。
○語られ、示されたことは、正確に聞き取る。曖昧な点があれば、繰り返して確認する(※人と違って主は面倒がられないどころか、むしろ喜ばれる)
○心を知られる主が「願いを言いなさい」と言われるなら(※主はすでにご存知であることを忘れずに)、申し上げる。私が知る必要のないこと以外、主は答えてくださり、教えてくださる(と疑わない)。
○この結果、たとえ注意されようとも、愛を感じ、平安であるならば、主と交わっていたのである。心から感謝する。
映画「祈りの力」では一人きりで狭いクローゼットが、主戦場だった。時にはイエス様のように外で祈るのも素晴らしい。そして家庭での祈り合いも劣らず大切に。この内の一つでも、あなたの祈りの生活のお役に立てるなら。

 

 

ケパ

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする