ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

神を信じた瞬間

2020年08月26日 | 信仰
 中三から高校にかけての時代、私は近所の年寄りばかりの小さな伝道所に、毎週、熱心に通っていた。今から思えば、高齢者ばかり三、四人の消えゆくような集会の中に、求道者の高校生がポツンと混じって、少々異様な光景だったかなと思う。(聖書に飢えていた高校時代の反動からか、今では皮革聖書の収集が多い)


 そんなことに臆することがなかったのは、とにかく聖書に関心があったからだ。ネット時代になるまで、片田舎では聖書を手に入れることが難しかった。けれども聖書の神が真の神であることと、私の人生はこの神が大きな影響を及ぼし、深く関わって行くことだけはわかっていた。

 高校の卒業時期になり、受洗を勧められた私は、決心が出来なかった。安芸門徒の牙城の土地で、依るべき教会一つ無い中、「耶蘇(やそ)になったら大学に行かさない」と言う父に抵抗ができなかった。


 二十歳の春、学生運動に挫折した私は、小田急線のガード下で凍える夜を迎えていた。自分のアパートに帰りたくても、そこに裏切り者への追手が待ち受けている恐れがあったからだ。
 三月の夜、何時間もただ通り過ぎる電車の音の中、ふと見上げると雪が降り出し、その先に明るい星々があった。最初に見上げた星空から、その頃にはずいぶん移動していることがわかった。天体は(人の思惑など一切関わりなく)秩序を保って正確に運行している。
 そう分かると、人間的な私の問題などがとても小さく、どうでもいいことのように思えた。すべては神の創造された規則正しい秩序の中にあるのだ、と。人間の体のミクロの世界から、宇宙の超マクロな世界まで、世界は秩序があり原理がある。想像もつかないが、それは神お一人が造られたが故の秩序だ。

 挫折し、恐れふるえていた私は、この時はっきりと神を感じ、創造主が世界を造られたこと、私もその一つであることを信じた。直後促されたように、近くのバプテスト教会の門をくぐったが、その扉には背中から押して入った。神への抵抗をあきらめ、降伏者としての私の姿だった。もう学費が止められようと、どうでもよかった。

"神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません"
ローマ人への手紙 1章20節(2017)

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