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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

いかにして私は酒タバコを止められたか?

2017年03月29日 | 教会のこと
姪に、群れに必要な信仰書を薦めると、読むつもりだが、基本「活字苦手!」と言ってきた。私は逆に物心ついた時から「活字中毒」で、手元に本がなかったら即、落ち着かなくなるのだが・・・。※かといって本を開かずにいることも多いのだが。

こんな中毒ならともかく、酒やタバコという依存症はかなり深刻である。二十歳の時、バプテスマ(全浸礼)式の直前、牧師から「会衆の前で読み上げるように」と手渡された宣誓書を見てビックリした。不意打ちである。
「私は酒、タバコを今後はいたしません」とあったからだ。二十歳だったが、その両方ともすでにキャリアがあった。よほど式を辞退しようかと思ったが、私の名が入ったプログラムはできているし、おめでとうの花束が目に入る。生来の受け狙いの性分である私は、皆をがっかりさせる勇気がなかった。(以下の写真は外国のものだが、だいたいこのように全身を水に沈めるのが本来のバプテスマ)

問題はその後だった。誓ったことは守らねばならぬ。而してそれは中毒者にとって、大変困難な道であった。正確に言えば、どれだけ困難なことかすら、中毒者である私はわかっていなかった。
テニス部のコンパでは、先輩の杯を「す、すみません」と断って殴られた。タバコは人の吐いた煙すら欲しがって、禁断症状に苦しんだ。

私は十五歳から、神を求めて自分から教会に行っていた。けれども大学の1、2年生の間だけは遠ざかっていた。この神から離れたたった2年間の酒タバコでも、止めるには長い時間と耐える力が要った。結局、酒は挫折したが、タバコ断ちには成功した。それも、本当に止められたと思えるには十年かかっていた。

今でも至る処の喫煙ルームで、煙だらけになっている人たちを見ると、当人には自覚がないだろうけど、まるで鎖に繋がれている奴隷のように見えてしまう。中毒という檻に囚われた、本当に気の毒な人々である。健康を害し、周囲と環境にも不快さと間接的被害をもたらすタバコは、もはや社会が受容できない軽犯罪の類であって、かつてのように本人だけの問題だと済ませられる状況ではない。


問題は酒である。酒は晩酌や職場懇親会などで常に必要であった。これには私自身、とても勝てるとは思ってもいなかった。囚われた人間には、すでにその意欲すら失われているものだ。
結局、聖霊のバプテスマを受けると、気がついたら何カ月も全く酒を飲んでいなかったと言う驚くべき事が起こった。たった一日でも、晩酌が断てなかった私が、である。神の力は、囚われた者を守り、清くし、弱さを打ち砕く強いものだった。

ところで酒に関して、聖書では酒を禁じていない、という説がある。確かにそうだ。しかし乾燥地帯のイスラエルでは、真水は腐りやすい。そこで、ぶどう酒にして水分を保存した。そんな事情がある土地柄とこの日本とでは一緒にならない。この国では、基本的に酒は「酔う」ために飲むのだから。

✝️酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさいエペソ5:18)

ケパ




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