ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

見かけでは、わからない

2011年12月18日 | 随想

 あまり多才なタイプではない私だが、草創期の頃から長年パソコンとはPhoto_3関わってきたので、 最近は教会員や親族からパソコン操作やそれに関連しての相談や指導とか操作依頼が多くなった。それもそのはず、音楽を聴くiPod(アイポッド)とかスマホ、iPhone(アイフォン)などは、パソコンが母艦のような役割を果たすので、その知識が無いと十分には使えない。またインターネットでの買い物やネットでの銀行決済などパソコンが無いと家計にも響く時代になった。何をするにもまずネットで調べてから判断し、行動する現代に、パソコンは車の運転のように必須アイテム化しつつあるのだろう。Photo_2
 あってはならないことだが、ある意味でパソコンが使えない人は、この情報社会から疎外される弱者の立場になりつつある。とは言え私自身も草創期、今から27年ぐらい前にはじめてNECの98Mシリーズを買ってからだから、長年コツコツとやって来たせいか、ある程度わかるというだけに過ぎない。教員という仕事で子どもたちに、そして教員にも教えて来た経験で、「少しでも私でお役に立つなら、どうぞお使いください」と言う心境である。

 ここからはまったく異なる話なのだが、私がパソコンに向かっていると「ずいぶん楽しそうですね」と言われることがある。これがテニスとかカメラだとニコッと笑って「わかる(^O^)~」と答えるのだが、パソコンだと内心「どこが?とんでもない勘違いですよ」と思う。しかしこれを複数の人から言われるので、確かにそう見えるのかも知れない。私はパソコンは多少はできるのかも知れないが、実は車の運転と同じく好きではない。必要だからやっているに過ぎない。

 世の中、案外こんな見かけとは異なる事って多い。自分が苦労して壁にぶち当たっていることが、Cjh23 楽にスイスイ~とできている人を見ればつい、「楽しそう」に見えるのかもしれない。が、実のところはわからない。うらやましく見えていた、頭脳がよい人、見目麗しい人、裕福な暮らしをしている人、これらの人たちを幸せそうな人だと見る人も多いだろう。が、果たしてそうだろうか?

 実のところわたしはこれらの豊かな人たちが逆に、ずいぶん不幸せそうに見えてしかたがない。世の富があればあるほど、目に見えるものが豊かで立派であれば、逆にほんとうに大切なものが見えなくされてしまっているように思えてしかたがない。だからあれほどおしなべて不幸せな顔をしているんだと思う。滅ぶべき肉のものに囚われていて、喜びが湧くはずがない。真実は目に見えないところにある。だから次の聖句は真実だと思う。  (ケパ)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」(マタイ福音書5:3)

 
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