一昔前、田舎に住んでいたこともあって、夜な夜な自宅でカラオケをしたこ
とがある。
※注 ステレオにカラオケ内蔵のマイク(市販:何百曲入り)をつなぐと自宅がカラオケ会場になる。
そのころ家庭は崩壊し、出世コースからも逸脱、家に帰ればアルツハイマーの母と常に諍い状態だった。毎日がつらくてやってられなかった時代で、人生の敗
残兵そのものの心境だった。だから、クリスチャンらしく賛美する心はなかっ
た。うさを晴らすように歌うのは演歌だった。演歌からしだいに高橋真理子や
谷村新司ライクな歌に変わっては行ったが・・・・
この時どんなに歌っても、カラオケマイクを手放した途端、むなしさが募っ
た。特に男女の色恋の未練や言い寄りを歌う歌詞にほとほと嫌気がさした。
ほどなく私は(聖霊なる神にふれる)大きな信仰の転機を迎えたが、賛美も
それまでの伝統的な賛美歌・聖歌中心から一転し、生きた自由な賛美を体験し
た。「やすらぎの歌」と言う、生きた自由な賛美だった。礼拝で歌い、またC
Dで聴くだけでも心が癒やされた。臨在があるので、勇気と力が注がれてく
る。演歌などのカラオケでむなしかった私の心は、本当の喜びに満たされた。ハレルヤ!すばらしい! 「やすらぎの歌」というゴスペルを知らない方、ぜひ試しでも良いので、一度ふれていただきたい。 (ケパ)