12、3歳の時、キリスト教の神、人と人格的に交わる神がホンモノの神だと本でわかった。しかし近郷近在はおろか、身内にも町の人にもキリスト教のキの字は見当たらなかった。全くの非キリスト教環境、この点がドルカスとか、他の多くのクリスチャンとの違いを感じる私の生い立ちである。
手がかりを探して何年かたち、私は中三になっていた。そのある秋の日、普段は通らないすぐ近くの民家の並びを歩いていて、ある一軒の玄関横に「日本基督教団三次キリスト教会伝道所」という木製の看板を目にした時、私は興奮した。その日以来、その家をいつもマークした。どういう人たちが住んでいて、何をしているのか、大丈夫だろうか、チェックを欠かさなかった。しかしその家は玄関がいつも閉じられており、あまり人が出入りしている気配がなかった。

それでも諦めず待つこと数か月、クリスマスイブの夜がきた。雪混じりの夜、気になって覗いて見ると、果たして玄関が開かれて、人の集まっている気配があった。私は勇気を出して、「こんばんは」と入っていった。そして真っ先に目にしたのが、玄関横の靴箱の上に飾られた一冊の黒い聖書(写真)だった。「ああ、聖書!」喉から手が出るほど欲しかった聖書だった。※町の本屋に、図書館にも、聖書は無かった置いてなかった・・・
それから私は高校時代の3年間、毎週水曜日の夜の聖書研究会に、どう見ても七、八十代の二、三人と一緒に参加し続けた。聖書を買うことができなかった私は、いよいよ高校を卒業して大学生になるという春、独り住いの主催者から「記念に何か差し上げたいが、何か欲しいものがありますか?」と言われて、いの一番に玄関に飾ってあるあの聖書(文語訳)を希望した。いつも通る度に私は羨望の眼差しを持って見ていたからである。(大正六年改訳の新訳と詩篇付き。見ての通り今では貴重な活版印刷)

大人になってこの時のことを思い出すと、本当は1955年改定の現代口語訳を与えようと思っておられたに違いないし、玄関に飾ってあるあの聖書は、きっと何かしら貴重なものだったに違いないと今では推察できる。しかしこの時、少しだけ微妙な間をおいて「分かりました。では今晩持って帰りなさい」と何かしら決断して言われたのである。
私の聖書コレクターの「最初の一歩」はこの時からであるし、若気の至りであったが、それにしても実に由々しき信仰の書を継承してスタートしたのだった。
ケパ
手がかりを探して何年かたち、私は中三になっていた。そのある秋の日、普段は通らないすぐ近くの民家の並びを歩いていて、ある一軒の玄関横に「日本基督教団三次キリスト教会伝道所」という木製の看板を目にした時、私は興奮した。その日以来、その家をいつもマークした。どういう人たちが住んでいて、何をしているのか、大丈夫だろうか、チェックを欠かさなかった。しかしその家は玄関がいつも閉じられており、あまり人が出入りしている気配がなかった。

それでも諦めず待つこと数か月、クリスマスイブの夜がきた。雪混じりの夜、気になって覗いて見ると、果たして玄関が開かれて、人の集まっている気配があった。私は勇気を出して、「こんばんは」と入っていった。そして真っ先に目にしたのが、玄関横の靴箱の上に飾られた一冊の黒い聖書(写真)だった。「ああ、聖書!」喉から手が出るほど欲しかった聖書だった。※町の本屋に、図書館にも、聖書は無かった置いてなかった・・・
それから私は高校時代の3年間、毎週水曜日の夜の聖書研究会に、どう見ても七、八十代の二、三人と一緒に参加し続けた。聖書を買うことができなかった私は、いよいよ高校を卒業して大学生になるという春、独り住いの主催者から「記念に何か差し上げたいが、何か欲しいものがありますか?」と言われて、いの一番に玄関に飾ってあるあの聖書(文語訳)を希望した。いつも通る度に私は羨望の眼差しを持って見ていたからである。(大正六年改訳の新訳と詩篇付き。見ての通り今では貴重な活版印刷)

大人になってこの時のことを思い出すと、本当は1955年改定の現代口語訳を与えようと思っておられたに違いないし、玄関に飾ってあるあの聖書は、きっと何かしら貴重なものだったに違いないと今では推察できる。しかしこの時、少しだけ微妙な間をおいて「分かりました。では今晩持って帰りなさい」と何かしら決断して言われたのである。
私の聖書コレクターの「最初の一歩」はこの時からであるし、若気の至りであったが、それにしても実に由々しき信仰の書を継承してスタートしたのだった。
ケパ