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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

お母さん、ごめんなさい

2015年03月28日 | 祈り
広島の94歳になった母は、アルツハイマーと診断されてから、かれこれ14年にもなる。1カ月半前、肺炎にかかり、医師から余命1カ月と診断され、慌てて会いに行った。
その時、これが生きている母との最後だと思って、温かい母の手をとり、頭をくっつけて祈ったら、何とこれまで生涯したことのない、母への謝罪の言葉が出て止まらなくなった。もちろんもとより私の意思ではない。

私は母が自慢の息子である。母は誰彼となく、私の名前を言う前に「これがええ子なんです」と言うのが癖だったし、アルツハイマーが進行して施設に入ってまで、しばらくは言っていた。(写真は施設に入る前の母と)
確かに外見上はそうだった。兼業農家だったので、病弱な父に代わり、中一の時から耕運機から田植え機、農薬の噴霧器まで、機械類は、一切私がやった。二十羽の鶏と一頭の山羊も私の担当である。毎夜の五右衛門風呂沸かしと、急な買い物にも。なぜかイヤという言葉は、私には浮かんでこなかった。
それでも小学生の時分は、絶えず自死したい誘惑にとりつかれていた。首吊りや入水を仕掛けては、それでは親が悲しむ顔を見て死ねないのが口惜しくて、実行できなかった。母の愛に飢えていたのだと思う。

長ずるに従って、自分が死にたいとどうして思いつめていたのか、事実確認をしたくなったのだが、自分が家庭を持ち、親となるまで判断を保留することにした。
やがて本当に二児の父となり、今一度母がどういう人だったのかと思う機会があった。普通は「子を持って知る親の恩」でありたかった。
確かに母は夫が戦死し、子も失いながら、戦後再婚し、たくましく強く生きた女性であった。六十歳で寡婦となっても、ずっと父を慕い続けた一途で童女のような人であった。

しかしどうみても母は、我が子の心を理解し、寄り添い、愛を示すことは不得手だったようだ。母に関心を持ってもらおうと、今思い出しても切なくるほどの息子の気持ちは、分からなかったのだろうと思う。
それとも私が異常だったのだろうか?いや、そうではあるまい。小学二年のころである。前の席の子が落として転がって来たコインを、息子が盗ったなどとの教師の讒言を、必死に抗弁する息子の声に耳を貸さず、ついには「(嘘でもいいから)盗ったと言いなさい」などとどうして言えようか?貝拾いで足の親指を切り、靴全体を血に染めても意に介さなかったのは、なぜだろうか? やがて親となった私には、こうした母との思い出の数々が、その時の母の心情が理解できないというより、まったく腹立たしいことだった。そして私は判断した。心の中でだが、母を裁き見限っていた。

その後の私は、良い子仮面をかぶった、偽りの孝行息子を演じていた。実はそれすらよく自覚できていなかったのだが。しかし今回母を祈った時の言葉、
「お母さん、ごめんなさい。あなたを見下げていたこの親不孝息子を許してください。本当にごめんなさい。」
この自分の口から出た言葉に驚愕した。キリストの神を信じない人には、理解が難しいだろうとは思うが、これは神が言わせた言葉だとすぐに分かった。隠されていた自分の罪が明らかにされたのだ。なまじ自分が親の被害者だと思っているから、罪が自覚できていなかったのだ。
しかし聖書は十戒で、人間に対してのいの一番に言っている。
「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。それは、あなたの齢が長くなるため、また、あなたの神、主が与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。」(申命記5:16)これがまったく他人事で、自分に適用していなかった。

いかなる理由があろうとも、父母を敬わないのは罪である。雷に打たれたように、このことがわかった。それで今、心から悔い改めて、母に、そして神のあわれみを求めている。しかし感謝することは、この気づかなかったことを、神が気づかせてくださったことだ。悔い改めれば赦されない罪はない。真に恐ろしいことは、気づかずにいて、裁きの場で指摘されることだ。そう思うと、これはまた何という恵み、神のあわれみであろうことか! ケパ
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