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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

「ホッとなクリスマス」のコンサートとは

2012年12月25日 | 示されたこと

Photo  クリスマスの今宵は、中野ZERO小ホールに出かけて、ゴスペルコンサートを楽しんだ。いつも感動するが、今回は特にGopelSeedがひときわ光っていて、生演奏ならではのミスを生じたが、それをみごとに挽回した。普段から路上ライブ、ゴスペルライブの場数を踏んでいるからだろうか。私には今回このチームの歌が心に残った。さらににトークも良かった。


 毎回映像を用いたコンサートなのだが、今回は会場が違ったからだろうか。映像が出演者と重ならなくてよい。最もスクリーンが両脇にあるので、目移りして困ったが・・・。その中でローディ(ステージ上のマイクや譜面台、楽器の接続配線などをする黒子役)の動きが、一段とよかった。ストレス無く各讃美隊が歌えるためには、PA(音響)とともにローディが的確に動いてこそ可能になる。今まで少しぎごちないところがあるとされたローディだが、ここ1年来、定着したメンバーとなり、実によくなったと思う。

 ほんとうは総出演者、PAとかローディ、受け付けや会場係からCSのスタッフに至るまで、全員をステージに上げて、「神様とみんなの力です。感謝します」と労いたいと思うコンサートであった。(ケパ)

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それってどうして?

2012年12月15日 | 示されたこと

 昨日、船橋へ向かいながら、田舎で利用したファンヒーターを運んでいたその時のことです。ケパさんのアンテオケ教会の奉仕していた頃の牧師仲間から電話。

その彼が不思議な事を言うのです。 「船橋へ移動示されてはいないの?」どっどうして。不思議です。実は最近ケバさんは、そのことを示されていて、今私達はそのように祈りはじめていたから。彼の祈りは、また違う点からの祈りだったようですが、私達には確認の一つとなりました。

 

で、どうしてその示しなのかと尋ねると、「実はいまこちらも寒くてね。会堂が、与えられているのに、ストーブも無くて寒いんよ~。で祈ってたらね。ケパさん夫妻が船橋へ移動すること示されて、その時は不用品がでてストーブも出るのでは無いかと。思わされたんよ~。」

 

   実はいま車に積んでいるファンヒーターは灯油使用なので、会堂で使えるだろうかと二人で話しながらの移動中だったのです。教会には小さな電気ストーブも有るし、どうだろうか・・・と。
   

今日ケパさんは、早速ストーブを梱包して送りましたCat49_3明日の夕方には到着するようです。本当に神様は不思議な形で不要となった品をも用いて下さいます。本当に不思議ですが、すべて神様に感謝しま す。


・・・・ストーブの箱はボロボロだったけど、つぶさず保管用に使ってて良かった^^ (ドルカスとCall・・・暖ったかいけど眠いニャン・・・)

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つららと4℃の神秘

2012年12月12日 | 示されたこと

Photo  りんご収穫から2週間ぶり、高速道を上田の手前、東御市で下りるとそこはもう、冬になっていた。写真はお昼ご飯に寄った豚カツ屋さんの軒先。この時間でもつららがキラキラ七色に光って、それはそれはきれいだった。
 昨夜は近年になく異例の-8度にまで下がったという。都会ではこんな光景に、なかなかお目にかかれない。

 水の面白い話を聞いた。結氷の話である。寒い日、湖とか池とかの表面が凍る。しかし凍るのは底や中心部分からではなく、必ず表面からなのだ。「なぜ表面からなのか?」「表面からに決まっているからそうだ!」では答えにならない。
 水は4℃が一番密度が高く重い。だから4℃に冷やされた部分は水底部分に沈む。そして後からさらに冷たい0℃に凍った結氷がどんなにがんばっても、4℃の部分の方が比重が重いので、これを氷部分で追い払うことができない。

Photo 結局どうなるか?水底部分に凍らない所ができる。そこで魚、水草などの生き物は、どんなに氷の世界となっても、生き延びることができるのだ。

 私はこの話に驚いた。今まで何とも思わず冷蔵とかの知識として、漠然と4℃のことを知っていた。しかし神がこの世界と仕組みを創造する時、水と緑の惑星であるこの星に、厳寒時でも魚たちが生き延びれるような仕組みもお造りになっていた。4℃はその大いなる秘密である。  ケパ

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栄光ほど恐ろしいものはない

2012年12月04日 | 示されたこと

Photo 一昨夜、お風呂に入っていて、どういうわけか日露戦争の映画で日本海海戦のシーンを思い出していた。小国が世界の大国を完膚なきまでに粉砕した世界史的な勝利。それが以後の日本海軍を戦艦大和に象徴されるような艦隊間決戦、巨艦主義に陥らせてしまったと思う。劇的な圧勝は逆に、太平洋戦争での空母間での航空機戦に遅れをとらせ、連合艦隊の敗北、日本の敗戦を招いてしまったと・・・・。(写真は旗艦三笠艦上の直前の東郷元帥。分厚い装甲の艦橋の中で身を守らないところが、ロシアと異なる)


 会社などで栄達出世し、かなりの上役になったいわば成功者の引退は、これと似たようなことになってはいないか。栄光というのものは、めざましいものであればあるほど自らを滅ぼしかねない恐ろしいものだ。本来の姿から誇りを持たせ、高慢に変えてしまうのだ。

 わたしたちの教会の群れでは、今年の年間主題が「栄光をわたしたちの神に帰せPraise_49よ(申命32:3)」である。神は自分に従うしもべを通して、ご自身の栄光を現される。新年のスタートからこの群れには「62名の奇蹟」があった。もとより栄光はすべて神のものである。それは重々わかっている。わかってはいてもこれが一筋縄ではいかないものなのだ。私個人に限って言えば、神が従う自分を通してその栄光と力を現してくださっているだけなのに、いつの間にか「私が・・・・」「私でなければ・・・・」と、自分に限って決して栄光を横取りする恐れがないとは、どうしても断言できない。私自身がどんなに罪深い存在か、自分でわかる。

 あらぬ批判や中傷で傷つきはしても、それで召しを失う人はまずいない。北風と太陽のイソップ話もある。最大の敵は、実に己自身だと私は自分を恐れる。  ケパ

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派遣への示しと謎解き

2012年11月24日 | 示されたこと

 イスラエルに行く前に、実はいくつか示されていたことがあPhoto_3った。その中でも<「ペテロとケパの違い」と「ドルカス」の、いわばクリスチャンネーム由来の使命を確認し、全うするように。>というものがあった。

 これははて?どういうことなのだろうか・・・・と思いながらイスラエルに行って、「ナルホド・・・・・こういうことだろうか」と言うことがあった。それは最後に寄ったヨッパでのことだった。

 実は私たち は、最終日(木曜)のこの日のツアーは、(ドルカスが疲れていたので)ホテルでゆっくり休むつもりで参加を断っていた。しか
Photo_2し前日の夜遅く、ツアーのミッション側随行員になったA姉妹から、参加者のバランス事情により、私たちに参加の要請が入った。「う~ん、要請とあらば行かずにはおれまい」と私たちはヨッパのツアーに加わることになった。

 ヨッパはテルアビブと隣接していて(上写真はヨッパからテル・アビブを見た景色)、感覚としてはテルアビブの下町、旧市街地といった風を呈している(写真2枚目)。さて私たちが到着した時、明らかにヨッパでは異変が起こっていた。と言うのは、ヨッパの公園に向けて、古い町のあちこちから、ウェディングドレス姿の花

Photo

嫁とばっちり決めた花婿がぞろぞろ、数えただけで6、7カップルいたのである。「な、なんだコレ!」、「ひょっとして撮影用の偽カップル集団?」と思いきや、明らかに二人は仲睦まじく、ホンモノ

のカップルであった。別に日本のように、大量生産方式の結婚式場があるわけではない。ほんとうに町のあちこちから、カップルが湧き出て、丘のあちこちでは二人の撮影をはじめていた。どうやらプレ結婚写真撮影らしきと想像したが、理由は最後まで分からなかった。

 それで思い出したのだが、ヨッパは聖書ではなんと、ドルカスが住んでいた町(使徒9:36)で、生前人々に女性的な多くの施しをし、惜しまれながら死んでしまった町だ。ヨッパの弟子たちは、ちょうど近くの町ルダにペテロが来ていたので、人を送って呼んできて、ドルカスのよみがえりを頼んだ。ヨッパはドルカスがペテロによって「よみがえさせられた」町なのだった。
Photo_4 こんな奇跡中の奇跡を見て、多くの人々が神を信じることになった。それでこのヨッパでは、ペテロは皮なめしのシモン宅に滞在することになったのだが、今回はその2個所あると言われるシモン宅に行くことはなかった。

 ヨッパでの結婚式、ドルカスが住んで、ペテロによって生き返らされ、救いのわざが多く起こされた町。そしてそのシモンの家の近くに来ながら、行けなかった今回。

Wedding_14  謎解きのようだが、実は私はペテロの名の時、ドルカスと結婚した。その時は二人とも完全に忘れていたが、前もってドルカスには「あなたがほんとうに感謝できるように、生きれるようになるには、あなたのこの地を出て・・・・献身し・・・・」と示しが与えられていた。そしてそれは、なんとドルカスが山奥から東京に、牧師と結婚して暮らすという形で成就することとなった。強弁すると、「ドルカスはペテロによって生き返った」と言えるかも知れない。しかも、私たちは当初このヨッパに行く気はなかったのに、この結果である。これがヨッパ・結婚・ペテロ・ドルカスの謎解きである。

 私たちの群れでは「使命婚」という言葉ある。それは神からの使命を果たすべく、神が男女を一体として召していく、その導きに肉的な自分の思いを捨て、神の導きに全面的に従い切った、いわばみこころの結婚という意味である。私はドルカスを自分で選んでのではない。神が「この人だ」とされた使命婚だった。だから「ドルカスへのあらかじめの示しも、だいぶん経って、後から思い出した」のだ。神は不思議をなしてくださる。そしてその召しに従い、応えて行く時、神に委ねた人生の、真の幸せを知る。  ケパ


 ps:なぜ「皮なめしのシモン」の家に行けなかったのか?は、まだわかってはおりません。

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世界一の幸せ

2012年10月12日 | 示されたこと

 結婚しなければわからないが、結婚とは人生にとって最大の出来事である。 なにしろ、一人の異性と距離ゼロセンチで住み、生計をひとつにし、自分の未来(子孫を設けすべて)を托す。これはすごいことだ。だから幸せな結婚ができることは、その人生は成功したと言える。 しかしもっとも大成功は、こころから愛し愛しあう夫婦である。そんな夫婦は滅多にお目にかからない。奇跡、あるいは奇跡的ですらある。現実は実に多くの夫婦が、愛に冷め、むしろ夫婦であることに苦しんでいる。

私は自分について断言するが、もし最初の結婚であれほど苦しむことがなければ、今の幸せ、ドルカスと一つの心で生きる喜びはないと言える。つまり苦しみなしには、今の心とはならなかったと思う。 わたしの人生の主、わたしの神が、わたしを苦しめられ、遂にわたしを幸せにしてくださったのである。この神はわたしを真に愛してくださっている。この神に、私は自分を全て差し出している。ケパ

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大切な命だけれど・・・・なんで大切なのかが大切

2012年10月03日 | 示されたこと

 中野区役所のビルに写真のような垂れ幕が掛かっている。Photo
 「大切な命 失わないまち中野」

 わたしも公立学校の教師として、子どもたちに「命を大切に」と言い尽くして来た。けれども日本は相変わらず自殺大国で、陰湿なイジメ天国である。状況は悪化している。これは手段が目的になり、真の目的がわからないからなのだ。わたしは「命は大切」と言いながら、公務員であるため、真の目的を言えず、正直辛かった。


 今はハッキリ言える。
何のために命があるのか?生きるためにではない。神の一人一人への目的、与えられた使命を果たすために命があるのだ。

 わたしたち日本人は無宗教であるため、命以上に大切なことがあることを知らないのだ。

 星野富弘さんの詩画作品(下写真)に次のようなものがある。
Photo_2

 いのちが一番大切だと 思っていたころ

 生きるのが苦しかった

 いのちより 大切なものがあると知った日

 生きているのが うれしかった


 クリスチャンが世の人々から理解されないことの最大のものは、神に自分を捧げる(時には命さえも)、とか、神に生涯仕え(しもべのように)生きる・・・ことがある。人は、自己中心と恐怖の霊、肉欲のサタンに支配されて生きるか、天地万物を創造され、人類を救うために十字架にまでかかってくださった神の愛に従って生きるか、そのどちらかしかない。自分が正しく清く、まっすぐに生を全うできると思うのは、偽りのサタンの霊にだまされ、高慢になっているからなのだ。   ケパ

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アジアの片隅から

2012年09月09日 | 示されたこと

 あまりにも大ざっぱで、たいへん失礼な向きもあると思う。しかしあえて言うと、世界は一神教と多神教の二つに大別される。また一神教としてはユダヤ教・キリスト教・イスラム教のみが認められている。あまり知られていないがユダヤ教以降、三つ一神教があるように見えて、実はたった一つの神、それも乱りに名を唱えてはいけない「YHWH(右絵参照・・・・ヤハウェ)」神なのだ。

 すると五大陸の中のアジアの東部と東南部(つまり仏教系)、中部のインド(ヒンズー教)を除くアジアと他の四大陸全部包み込ん
Yhwhで、全世界はほぼ一神教のヤハウェ神で覆われていることにお気づきだろうか?これは先進国かどうかとか、肌の色、民族などまったく関係ないことだ。

 さて一神教なるものに縁遠い日本人は、世界を覆う一神教の国々に対し、理解に事欠く前提が存在し、世界とは基本的に違和感を持つ(持たれる)のは当然のことなのだ。人と神との関係、人生の目的にそれは端的に出る。
 ご存じのように一神教では自分を神にささげ、神の計画(御心)がもっとも重要である。自分の人生を自分で計画し、着実に実現させて行くことは日本では賞賛されても、他国ではそのように見てもらえないどころか、自己中心=自分のためなら何でもやりかねない恐ろしい人間に見られるかも知れないのだ。

 これから世界を覆うYHWHなる唯一の神の実態を、特に主要なキリスト教の視点から、できれば数回にわたってお伝えできればと思う。  ケパ

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本当に最善なものとは?

2012年08月12日 | 示されたこと

Photo    子供の時、父母の馴れ初めに興味を持って聞いたことがある。すると
「戦後の一人ぶちでは食えない時期、結婚しなくちゃいけないから、お見合いした。」
「暗い電灯の下で、(母は)一度も顔すら上げなかった。」
「えーッ、顔もわからず、それでも一緒になったん!」
 以来、愛のない男女間から生まれ育ったことを確信したこの子供は、
「絶対ぼくは、好きな女性と結婚して、愛の中からお前たちが生まれたんだよ」と言ってやると決心した。

   結局、お見合いは一度もしなかった。断固拒否したからである。
 二十歳の時に出会った女性に、ふられ続けて、七年待ち続けた。一番好きな人と結婚が無理であるならと、宗旨替えをし修道院に入ろうとした。しかしその寸前で、待ち続けた女性が翻意し、初志貫徹、奇跡的に結婚できた。
 神様は私を、カトリックの修道士、司祭には、よほどされたくなかったようだ。
 こうして私は、生まれた子供たちへの最高の贈りもの、どんなにパパがママを愛していたかを綴った、長い物語を書いた。


 後年、子供たちはその物語を、ほとんど顧みなかった。
 長く病を負った伴侶を、心から愛し続けたが、癒やされがたい傷は、伴侶から最期まで厭われ憎まれたことだ。祈る事すら拒絶された。
 私の描いた愛情家庭は、最後は別居であり、通じない愛に立ち尽くした無残なものとなった。


 話はこれで終わらない。
 没後、再婚した妻(誰でしょう?)は好きではなかった。というより、職場で同僚の◯◯さんの妹というだけで、ほとんど知らなかった。
 正直に言うと、綺麗な方なのかもしれないが、好みのタイプではなかった。けれども神様に「この人だ」と言われたので、聞き従って結婚することにした。神への献身とは、自分の好みも、人生設計も棄てるということだった。

 結婚してはじめて、この人が自分のために神様が造られた、片割れの体、真の妻であることがわかった。信仰も使命も一つだが、体が二つに分かれ役割が違うので、時々大げんかをする。しかし三位一体ではないが、元々一つの体なので、すぐに仲直りするしかなく、前よりもっと一つになって行く。
 これほどの幸せは、この世では存在しない。たとえ全世界を与えらても、心から愛し、共感してくれる人がいなければ、それは虚しい。
Photo_2
 しかし、自分の力で愛を作ることはできなかった。かつて父母の、愛のない結婚にがっかりした子供は、自分の誤りに気づいた。傲慢であった。お見合いもいい。自分の好みを絶対視しない方がはるかに健全に決まっている。しかし最善がある。


 ただ神のみが、私たちを最も幸せにしてくださる。ケパ

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白馬賛美大会

2012年07月26日 | 示されたこと

 今現在、私たちは白馬の広大な山麓にある、美しい赤い屋根のグリーンプラザホテルにいる。昼間行われた年一回の大イベント、「全国ゴスペルグループコンテスト」に参加し、今回私はふしぎな体験をした。

 それは技術的なうまさという訳ではないのに、いくつかのあるグループの賛美を聴いていると、体が震えはじめる現象であった。最初、「自分、どうしちゃったの?」というぐらいの感覚だったが、二つおいてまた別のグループを聴いているとまたその「震え」がはじまるのだった。さすがに二回目にはその理由が自分でもわかった。

 それは「臨在」である。臨在とは聖霊が在ることを指すが、このような場合、聖霊、つまり神の霊がこの場所に満ち、支配することを指す。つまり、ある賛美グループが自分たちの力ではなく、神様に演奏を委ね神様の働きを祈り求め、神様がその祈りに答えられ、その特定のグループの賛美の間に強く聖霊が注がれる。そしてそれが聴く人に伝わることだ。現象としてはその賛美の間中涙が出たり、悔い改めたり、神を恐れ崇めたり、体が震えることなどが起こる。

 今回は臨在のある賛美グループとそうでないグループとの違いを、自分の体の変化を通して体験することになった。臨在のある賛美は、まさにそこにイエス・キリストが居て、賛美グループと共に礼拝している錯覚に陥る。平安と喜びのえも言われぬ感情に身体と心が熱くなる。そんなコンサートが今回の体験だった。  ケパ

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