
この春5月の連休直後友達が久しぶりに電話くれた。仕事上実家の両親に託した愛犬が死んでしまったと。田舎にいる時、共に愛犬連れてドッグランなどで遊んだ。
6月、友達のBlogがなかなかアップされないので、お誕生日mailを送ったら、その返事で知った。愛犬が10日前に逝ってしまった。15歳8ヶ月、人の年では80歳越えてた。
7月、派遣初日に愛犬が目の前で事故死したと、派遣最終日にBlogで知った。彼女はその一週間前にお誕生日。東京に来てもづっと愛犬と一緒に散歩してた毎日だったね。
たかがペットと言われたら、それまでだけど、家族と同様に日々を過ごすと、もうペットではなく家族の一員なってしまうのですね。
それぞれが、大事にしたペットと過ごした時間が素晴らしい時だったと必ずそう振り返るでしょうね。
そしてその死は決して無駄にならない事を、神さまが教えてくださいました。

かつて、子猫が車の下に寝ていたことを知らずに発車して、帰宅したらそこに子猫を見て、どれだけ自分を責め悔しく涙が枯れるほど泣いた。出血一つなく寝ているようだった。
高速道路が出来て、家の隣をその連絡道路が出来た時、その道の向こうの雑木林がテリトリーだった愛猫に、心配してた事が起こった時。
さらに、東京に共に来た愛犬が、半年後に安心したかのように私から去った時は、それはまるで愛犬が仕事を終了したかのようだった。
そんな事を一気に思い出して、この3ヶ月間の出来事に心痛めてるけど。

でもね神さまは、何の計画もなしにこののタイミングに、これらを私に見せないと思うのです。
きっとそれぞれ生活が変わってくる事の知らせでしょうか。
実際に私に彼女達に出来る事は無くて、全て天の父がして下さるので、私は祈ります。
決してペツトレスにならないでと、もう一度ギュッと愛情を注ぐ仔犬と出会えると良いね。仕事だけに心注がないのよって。と祈ります。
これはどなたに伝えたい事なの?それぞれに伝えたい事?
あなたが受け取ってね。ドルカス