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«和藤内の休息»
あの近松門左衛門«国性爺合戦»の勇士。
和藤内…和・唐・内
明王朝の家臣が父、母が日本人。
明王朝の危機におよんで韃靼征伐に中国へ。
途上、千里ヶ原の竹林で猛虎と決闘。
武器をつかわずに闘い
ついには虎をてなずけてしまう。
そんな和藤内とこの«北斎漫画十二編»
右上の削り節削るは日本の老母か。
右下から左へ。
仕出しの凾をもつ中国人風男
「新吉原中之町 竹村伊勢大禄」の文字。
その左におなじチャイナ服の男
湯を沸かそうと火をおこし
さらに左のチャイナ服男
松葉杖つき大刀を腰に。
…それぞれ和藤内の父のつもりか。
左上は虎…頭に袋、首に護符か
そしていよいよ和藤内が左下
女の着物をかけてもらって眠りこけ…
で、ここは吉原…
とらと〜ら、と〜らとらあそびに興じた後か…
虎は和藤内(武士)に負け
和藤内は母親に負け
母親は虎に負ける
和藤内の生地は肥前国
さらに明朝とお江戸後期の吉原とは
時代にずれがあるけれど...そこが洒落。
参考:近松門左衛門『国性爺合戦』虎との闘い
「…和藤內ちつとも臆せず、「讀めたり讀めたり。扨(さて)は異国の虎狩な。
あの鉦(かね)太鼓は列卒(せこ)の者、爰(ここ)は聞こゆる千里が原、
虎嘯(うそぶ)けぱ風起る、猛獸の所爲と覺えたり。
二十四の楊香(ようきゃう)は、孝行の徳によって、自然と脫れし惡虎の難。
其孝行には劣るとも、忠義に勇む我が勇力、唐へ渡って力始。
神力ますます日本力、刃でむかふは大人気なし。
虎はおろか象でも鬼でも一挫(くじ)ぎ。」と、尻引からげ身づくろひ、
母を圍うて立つたるは、西天の獅子王も恐れつべうぞ見えてけり。
案に違はず吹く風と、共に荒れたる猛虎の形、ふし根に頰(つら)をすり付け すり付け、
岩角に爪硏ぎ立て、ニ人を目がけいがみかかるを事ともせず、左手に擲(なぐ)り右手に受け、
捩って懸くれば身をかはし、撓(たゆ)めばひらりと乘移り、
上になり下になり、命競べ根競べ、聲を力にえいいえい。
虎の怒毛怒聲、山も崩るる如くなり。和藤內も大童、
虎も半分毛をむしられ、兩方共に息疲れ、石上につつ立てば、虎も岩間に小首を投げ、
大息吐いだる其響、吹鞴(ふいごう)吹くが如くなり。母藪影より走出で、
母「ヤアヤア和藤內、神國に生れて神より受けし身鉢髮虜、畜類に出合ひ力だてして怪我するな。
日本の地は離るるとも、神は我身に五十鈴川、大神宮の御祓い、納受などかなからんや。」
と、肌の守を渡さるれば、和「實に尤(もっと)も。」と押戴き、虎に差向け差上ぐれば、
神國神秘の其不思、猛りに猛る勢も、忽ち尾を伏せ耳を垂れ、じりりじりりと四足を縮め、
恐れ戰き岩洞に隱れ入る、尾筒を摑んで跳返し、打伏せ打伏せひるむ處を乘懸り、
足下にしっかと踏まへしは、天斑駒素戔嗚(あまぶちこますさのお)の、
尊(みこと)の神力天照神の威德ぞ有難き。かかる處に列卒の者、群り來る其中に、
大將と思しき者大音上げ、「ヤアヤア奴(うぬ)は何國の風來人、我が功名を妨ぐる。
其虎は忝くも主君右軍將李蹈天より、韃靼王へ獻上の爲、狩出したる虎なるぞ。
早早(そうそう)渡せ。異議に及ばは打ち殺さん。しやぐわんしやぐわん。」と、喚きける。
李蹈天と聞くよりも、願ふ處と笑つぼに入り、和「ヤア餓鬼も人數(にんじゅ)、しほらしい事ほざいたり。
身が生國は大日本、風來とは舌長し。さ程ほしがる虎ならば、主君と賴む李蹈天とやら、
爰へ突き出し詫事せい。直に逢うても用もある。さもない內はいかな事、ならぬならぬ。」と睨付くる。…
」
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