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街の散歩…ひとりあるき

24-25 耶偷陀羅女 若宮を生む『釋迦尊御一代記圖會』巻之3

2024年10月08日 | 宗教

にして三光秘事の苔の道、諸佛正覚の臺(うてな)なり。三つの嶺いや高くして微妙不
断の法を示したり。沙弥(しゃみ)、しらずや金剛力の方便は撃つとも更に動ずる事なし。
長夜の燈なしと雖も己身の月明らかならば、雪こそ玉の光なれ。魚麟(うろこ)は水を見て栖(すみか)
とおもい、餓鬼は水を見て焰とし、天人は水を見て瑠璃とし、人間は水を見て水
とす。これを四見(よんけん)不同と謂えり。其の如く此の雪も外道は寒き雪吹(ふぶき)と見て手
足凍え,五躰しじみ、悪魔は刀剣とみて魂を消し心を恐れしむ。佛菩薩は法の英(のりのはなぶさ)
と見て下化衆生の慈悲を垂れ給う。是を法地の三見と謂えり。励めや励めや、修行
者とて吹雪にまぎれて失せければ、太子、忽ち悟り給い摩伽薩如意を揚げて
虚空を指し、業雲無碍如虚空本虚随如心摩伽円頓行と観給えば身の光忽ち
ひらけ、身体凍え忘られて行歩心の随(まゝ)になり、渓を越え、嶺を攀(よ)じ、遂に雪山の法
臺にたどり着き給う御歓びは限りなし。

耶偷陀羅女 若宮を生む
却説(さても)摩伽陀国 伽毘羅城には太子出塵の後々までも、淨飯王、憍曇弥夫人
その他新宮、女官、百司、百官、下万民まで思い出し、語(かたり)出し、悲しの泪に袖を汚さぬ

人もなき中にも、なきて哀れに痛ましきは耶偷陀羅女の御身の上なり。太子
別離に臨み、其の懐を指さし三年の後、丸(まろ)が種を生むべしと仰せけれども別離の
悲しみまぎれおぼろげの事に思し召しけるに、二年立ちし冬の頃より何となく心地
例(たゞ)ならず、日に増し胎内に物ある如く覚え、ひとり心を困(くるし)め給えども、人に云いあかす
ともよも誠とはせじとて深く包み隠し給うにつけても,太子の御事を忘れ□
祢形見の御衣(おんぞ)と、彼片袖を身に添えて唯帳内に引き篭もり、世を憂き物に
歎きくらし給ううち、次第次第に御腹ふくらけになりて包むとすれど、女官、童
女等、是を知り、此処彼処に寄りこぞりひそひそ語り合いけるよう。太子宮中を出で給いてより
既に数多の月日をおくりつるに、かく重き身になり給うは、何者になづさひ如何なる
草の種ならん。口(ぐち)にはさしもけなげに云い給えど、忍びがたきは此の道にこそと潜(ひそめ)言ほど
に此の事はや月景城にかくれなく、耶偷陀羅女は密男ありて此の頃孕(みもごり)給いし
よし。その主は誰か渠かと云い触らし、果ては憍曇弥夫人の聞くに達し、是は異(あや)しの
風説かな。自然、大王の叡聞に達しご不審を蒙らば、何とか陳すべきと心騒ぎ
給い、耶偷陀羅女の新宮に到り給い、人を払いて密かに懐妊の虚実を糺し給うに、姫は
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