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街の散歩…ひとりあるき

23-24 天女、霊鬼、因位の善悪應報を告ぐ『釋迦尊御一代記圖會』巻之3

2024年10月07日 | 宗教

憐れみ給い一念不生罪福無主本来空無我諸法實相一切有為法如夢幻泡
影如露亦如電應作如是観と唱え給えば不測(ふしぎ)や猛火忽然と消えて五色の祥雲
と変じ,無数の餓鬼と見えけるも端厳微妙の天人と現じ當来作物同生
佛花と同音に唱え光を放って虚空に登りけり。太子はこの瑞應を見、大いに歓
喜し給い猶も歩を進め給うに、一場の墓腹に出給いしが、ある一堆(いったい)の墳(つか)の前に
瑞麗の天女香を焼(た)き花を供じて礼拝し居たり。太子、不思議に思し召し、その故を
問い給うに、天女答えて曰さんは、此所は彼方に茂る杜の中なる磨部伽耶の市の墓
所にて候。我身は或市人の子にて候らいしに三年以前に死去(みまかり)候。曽て世に在りしとき
三寶に供養六親に孝順に眷族を恵み憐れみしかば、其の福力に依って上天の楽界
に生を受け、諸々の楽しみを極め候。是は前生(ぜんしょう)の善心のなすところなれば、此の古墳の下
なる因位の形に香花(こうげ)を供じ候なりと答う。太子、聞こし召して感嘆し給い其所(そこ)を過往き
給う所に亦一堆(いったい)の古墳の前に一頭の悪鬼在って、墳(つか)を発(あば)き土を荒らし古骨
を採り出して眼を瞋(いから)し、焰を吐きつけて噛碎(かみくだ)き亦探りいだしては打摧(うちくだ)き居たり。
太子見給い、伱、何なればかゝる悪行をなすやと問い給う。悪鬼泣いて答えて曰く、我は

前生、摩部伽耶の市人なりしが、生得愚痴邪悪にして、人の盛んなるを嫉み、人の衰えを侮り、
親しきを疎み、疎きを欺きし、其の悪報に依って、今生(こんじょう)かゝる鬼畜の生を受け、日夜も
ろもろの苦患をこうむる。然れば因位(いんい)の枯骨も恨めしく、斯くのごとく墳(つか)を発(あば)き骨
を砕き候なりと答う。太子、嗟歎(さたん)し給い善悪応報の速やかなること、斯くの如し、恐るべし
恐るべしとて金剛合掌し給い、生死去来即是如夢諸法従本来常自寂滅相
故以善悪不二邪正一如自然真無為と唱え、摩伽薩如意を一度揮(ふり)給えば光
明虚空に赫々(かくかく)たり。霊鬼も天女も歓喜し太子を礼拝して光と俱に飛び去りけり。
斯くて太子、其の所をも過ぎて道を急ぎ給う程に稍(やゝ)雪山も近づきぬと覚しく
岩頭(いわかど)氷凍(こおり)て白刃の如く満山雪に埋もれて銀世界とも謂うべし。寒風肌骨(きこつ)に徹
(とう)り、冷気皮肉を裂くばかりなれば、殆ど歩みわびて暫く樹下に佇み給う。然るに天の淨
居佛、太子の心を励まさんと一人木樵となり、椎柴(しいしば)を担いきたりけるにぞ、太子
悦び給い如何に山人、是は、雪山へ赴く修行者なるが、あまりの大雪にて前後
を辨(わきま)えず。何卒、雪山へ登るべき道を教えてたべと仰せけるに、木樵笑いて曰く。不惜
身命の沙門として、こればかりの雪に何ぞ往き煩うや、それ此の山は諸天擁護の嶺
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