梅雨前線が停滞して、一週間以上続いた雨に、転職を考えざるを得なくなった私でした。最初のうちは「チリコ殺すにゃナイフは要らぬ、雨の三日も降ればよい♪」なんて都都逸風に鼻歌うたっていた私ですが、その年はなんと10日ほども雨が続きました。こりゃ駄目だわ!、本当にもう少し安定した、季節変動の少ない仕事を見つけなければ!!と、思わざるを得ませんでした。
それで、蛍雪時代を熟読して医学部受験と言う方向に舵を切った次第です。先にも言いましたが、共通一次試験の過去問を解いてみたら、琉球大学医学部の共通一次試験の合格可能ラインにほぼ届いていたことで「おれは受験に向いている」と、思い込んだというわけです。
今にして思うと、その合格ラインは、沖縄県民のために地元受験生を優遇をした点数であって、それが故に本州の国公立大学医学部の合格ラインよりも低い点数であったのですが・・・そしてそれも合格が可能な点数であって、2次試験で出来が良ければという前提があっての点数だったのですが、当時の私はそんな事情は全く知りませんし、想像もしていませんでした。(2次試験があることも予想していなかった)
一旦、思い込むと深く集中しちゃうのであります。勉強を始めました。
気を散らされたくないので、外部と隔絶する様、部屋の中にテントを張って、その中で、食う寝る以外の時間はほぼ全部勉強。1日12時間から14時間くらい勉強していた様に思います。前回の大学受験以来7年間ほど勉強なんてしたことが無かったので(大学生の時は、パチンコ、、麻雀、恋愛以外何もしてませんでした。)絞ったスポンジに液体が浸み込むように参考書が頭の中に入っていくのが実感できました。後日、「アルジャーノンに花束を」を読んだ時、俺ってあの頃チャーリーだったよな!と確信したくらい、日々学力がニョキニョキ伸びていくのを感じました。チャーリーの学力向上は特殊な治療が原因ですが、私の学力向上は集中的な勉強と、遊んでいた間の経験と読書による国語力の向上にあると感じました。本は結構読んでいました。
受け付けない科目は社会科でした。日本史、世界史、地理 倫理社会 何の意味があるのか分かりませんでした。特に日本史。
日本史って、日本国内の当時の有力者達が、ケンカをしたり殺し合いをしたのを、イエスキリストが生まれてから何年後だったかを覚える学科だという理解なのです。その中の流れを理解し始めるとまだ面白味もあるのでしょうが、所詮は帰納演繹不能の「過去の出来事」でしかありません。
歴史は繰り返すから、過去に学ぶことで将来の役に立つと言われますが・・・私には詭弁だとしか思えないのです。日本史に意味があると言われる方は、世界の全ての独立国の歴史も同じように学ぶ意味があると思っていただきたい。世界史の一部としての日本史なら、まだ意味はあると思ってはいます。地理や倫理・政治には学習する意味はあると思いますが、記憶力の限られている私には避けたい学問です。数学、物理、化学は覚える事は少なくて、応用範囲が広いです。そこが大きな魅力です。社会科は覚える事が膨大で応用範囲が少ない。それで、共通一次試験で必要最小限の倫理・社会を勉強することにして、他は捨てました。
社会科以外では、2度目の受験まで、一番苦手だったのが国語でした。それまでの受験では、「文系の苦手な文系希望者」でした。国語が不要で、社会の代わりに数学Ⅰで受験できる経済学部、法学部を受験しました。私の第一希望文学部哲学科でしたが、文学部で社会(世界史や日本史)、国語抜きに受験できるところはありませんでした。
英語も苦手でしたが、全国の大学で、英語抜きで受験できる大学は当時なくて、それはあきらめざるを得ませんでした。(今もあるとは思えませんが)
以前の私は文科系科目の超苦手なな文科系志望でした。理数系に行きたくないのに、理数系でしか点数が取れない人でした。哲学って論理だから、数学で受験出来るべきだと思うのですがねぇ?
26歳になっての受験は、社会経験もある程度積んで、本もある程度読んでいましたので、国語能力が向上していました。国語能力が上がると、英語の理解力、特に長文読解能力が向上していました。年月を重ねる事は、決して無駄ではないと実感しました。
秋になって、なんと共通一次では、ほぼすべての大学医学部の合格圏内の点が取れるようになってました。それで、「もう、することはないじゃないの?」と思ったのですが・・・もう一度蛍雪時代を読んで、愕然としました。
なんとなんと、国公立大学の受験は、共通一次試験だけでなくて、各大学独自の2次試験がある!!!本当に驚くと膝が折れるのですね。愕然としながらも、共通一次試験という名前を考えたら、共通ではない二次試験があると推定するのが普通だなと納得もいたしました。情報の谷間に居たための失敗でした。
普通の受験生なら、試験の体制がそうなっていることなど常識というか常識以前なのでしょうが、私には受験仲間は皆無で、過去の受験から8年が経過していて、受験制度が一変していたこともありました。それで、情報収集のためにも、秋からだけでも予備校に通おうかと思い、お盆明けに某予備校に行ってみたのですが・・・・窓口に居たのは、同級生の女子で、私の顔を見て
「あら、坂根君、何しに来たの?」
「秋から予備校に入りたいのだけれど」
「え、家庭教師しているの?入学はもうとっくに締め切っているよ。のんきな子なのだね」
「俺自身なんだけど」
「えっ?坂根君、坂根君、いつも変わった事言うからなぁ。本当に?」
と言うようないきさつがあって、同級生に変わった奴と認識されていたことは分かったけれど、予備校に入ることはかなわず、相変わらず情報の孤島であることに変化はありませんでした。
出身高校に行って進路指導の先生に面会していただいて(知らない方でした)
「すみません、入り易くて出易くて、費用の安い医学部ってどこですか教えてください。」
と、端的に質問したのですが、
「はっ????」
といわれたまま、固まってしまわれて・・・・
暫くして「失礼いたしました」と、帰って来るしかありませんでした。
結局のところ、数年前の蛍雪時代からしか情報を得るしかありませんでした。
新たな蛍雪時代、立ち読みもしましたけどね。
おバカなことに、秋になってから漸く2次試験があることを認識したという次第です。
それから、おっとり刀で二次試験の過去問を解いてみたのですが・・・・
医学部の二次試験、難問奇問続出で、全く歯が立ちませんでした。
でも、一旦始めた路線、歯が立たないからと言って今更簡単に引くことは出来ません。
私、中学高校時代、勉強嫌いでしたので、数学は公式を知りませんでした。それでも時間の限りゴリ押しで答えにたどり着くまで計算を重ねる。答えに至らない様なら、答えの候補をいくつか想像して(数学の場合、ゼロとか1とかが答えの候補になることが多い。角度の問題なら、答えは15度、30度、45度、60度(プラス60度×n)など、一定の角度しか答えはあり得無いから、絵をかいて予想したら大抵答えは分かってしまう。あとは、その答えになることを証明し、それ以外に答えがない事を証明するのみ)候補の数値を問題に入れて検算して条件を満たす数字があったら、それ以外に条件を満たす数値があるかどうか検証するとか・・・・何しろゴリ押しが得意というか、私のやり方でした。
それで、この度もゴリ押しするしかないとは思ったのですが、実力が違い過ぎて、推論も最初は立てられず、手も足も出ない状態がしばらく続きました。
でも基本から勉強しなおすには全く時間が無いので、二次試験の数学なんて、1/3も解けたら何とかなると居直ることにしました。12月には共通一次の点数確保には相当、勝手ながらな自信を持っていました。
本当に思い込みが激しい人間なのであります。年末には、共通一次で、「ひょっとすると全国最高点を取ってNHKにインタビューされるかもしれないな」なんて思うようになっていました。NHKがそんなインタビューする事なんてないのに、勝手に思い込んでいました。共通一次の過去問に関しては、理数に関しては、ほぼ満点(同じ問題を解くのですから当然ですが)しか取れなくなり、そのうちに出題者の意図が見えるようになりました。
複問題文と選択肢を読むと、複数の出題者がどのような選択肢にしようか会話しているのが聞こえてくる気がしてきたのです。笑ってください。思い込みが激しいのです。
現実にはそんな事は、全く無くて、絶対の自信を持っていた古典でしたが・・・満点のつもりで余裕で答えて、何と零点でした。全て逆に答えてしまいました。本当におバカな野郎です。でも、それが無かったら・・・・別の大学を受けていたでしょうし、人生、何が功を奏するのか、何が良くて何が悪かったかは全く分からないですね。
続いてしまいます
雨音はショパンの調べ/松任谷由実