命のカウントダウン(健康余命3605日)

トレッキング、カメラ、陶芸、スキー、釣り、カヌー、遊びなら何でも大好き。仕事も好き、時間がない!

午後2時から4時は新型コロナの集団接種

2022-04-20 01:12:10 | 新型コロナウィルス
4月19日、田原本中央体育館での集団接種の当番でした。
3回目接種が殆どでした。
夏には4回目接種が始まるようです

冬になったら5回目接種も始まるのでしょうか?
そんな中、4種類目のワクチン、ノババックス社のワクチンが19日正式承認されました。
報道によれば、効果はファイザー、モデルナに遜色なくて、副作用(副反応)は、相当少ない様です。それらの情報からは、とても期待できるワクチンだと思えるのですが・・・・結局、政府がどの位置付けをするか、そこにかかってくると思われます。政治的判断がその価値を決めます。

ファイザー、モデルナの新型コロナワクチンの3回目接種、感染予防にはあまり役立たないが、重症化予防には大いに役立つと思っています。特に高齢者には意味深いワクチン接種だと思っています。ノババックスのワクチンもほぼ同様に効果的なようです。これまでのワクチン接種で副反応の強かった方には大いに期待できるワクチンだと思っています。

一方、5歳から11歳に対するワクチン接種は、一回目から、あまり意味が無いのではないかと思っています。12歳から18歳に関しても、そんなに大きな意味は無いと思っています。私が重要だと思っているのは65歳以上、そして18歳以上で重症化因子を持っている方です。

重症化の危険因子
・65歳以上の高齢者
・慢性呼吸器疾患
・慢性腎臓病
・糖尿病
・高血圧
・心血管疾患
・肥満(BMI≧30)

その他、要注意の基礎疾患
・生物学的製剤の使用
・臓器移植後やその他の免疫不全
・HIV感染症(特にCD4≦200/L)
・喫煙歴
・妊婦
・悪性腫瘍

この様な重症化因子を持っておられる方はすべからくワクチンを接種するべきだと思います。
要するに、危ない人はワクチンを打つべし!そうでない方は打たないでも良いのではないか?ひょっとすると打たない方が良いのではないか?という事です。令和4年4月現在では、新型コロナに罹患しても、経口薬、点滴治療薬が存在しており、医療の管理下に入っていれば、そう簡単に重症化したり、ましてや死に至ったりすることは無いと私は思っています。なので、ワクチンを打つことが危険であったり、ワクチンを打つことに大きな危険を感じておられる方は、打たなくても良いと思っています。罹患したら早期に医療機関の監視下に身を置いていただければ、大きな問題は起こらないと思っています。
重要なことは、医療に見放されないでいてくださいという事です。色々な原因で医療から放置される患者さんたちがおられて、患者さんはそれを認識されていないことも多いです。そしてそれはとても危険な状態です。そこを認識していただきたいです。
要するに、信頼できるかかりつけ医を持ってください! それだけです!!!

私はチャーリーだった?

2022-04-19 22:04:56 | 思い出
梅雨前線が停滞して、一週間以上続いた雨に、転職を考えざるを得なくなった私でした。最初のうちは「チリコ殺すにゃナイフは要らぬ、雨の三日も降ればよい♪」なんて都都逸風に鼻歌うたっていた私ですが、その年はなんと10日ほども雨が続きました。こりゃ駄目だわ!、本当にもう少し安定した、季節変動の少ない仕事を見つけなければ!!と、思わざるを得ませんでした。

 それで、蛍雪時代を熟読して医学部受験と言う方向に舵を切った次第です。先にも言いましたが、共通一次試験の過去問を解いてみたら、琉球大学医学部の共通一次試験の合格可能ラインにほぼ届いていたことで「おれは受験に向いている」と、思い込んだというわけです。
 今にして思うと、その合格ラインは、沖縄県民のために地元受験生を優遇をした点数であって、それが故に本州の国公立大学医学部の合格ラインよりも低い点数であったのですが・・・そしてそれも合格が可能な点数であって、2次試験で出来が良ければという前提があっての点数だったのですが、当時の私はそんな事情は全く知りませんし、想像もしていませんでした。(2次試験があることも予想していなかった)

 一旦、思い込むと深く集中しちゃうのであります。勉強を始めました。
 気を散らされたくないので、外部と隔絶する様、部屋の中にテントを張って、その中で、食う寝る以外の時間はほぼ全部勉強。1日12時間から14時間くらい勉強していた様に思います。前回の大学受験以来7年間ほど勉強なんてしたことが無かったので(大学生の時は、パチンコ、、麻雀、恋愛以外何もしてませんでした。)絞ったスポンジに液体が浸み込むように参考書が頭の中に入っていくのが実感できました。後日、「アルジャーノンに花束を」を読んだ時、俺ってあの頃チャーリーだったよな!と確信したくらい、日々学力がニョキニョキ伸びていくのを感じました。チャーリーの学力向上は特殊な治療が原因ですが、私の学力向上は集中的な勉強と、遊んでいた間の経験と読書による国語力の向上にあると感じました。本は結構読んでいました。

受け付けない科目は社会科でした。日本史、世界史、地理 倫理社会 何の意味があるのか分かりませんでした。特に日本史。
日本史って、日本国内の当時の有力者達が、ケンカをしたり殺し合いをしたのを、イエスキリストが生まれてから何年後だったかを覚える学科だという理解なのです。その中の流れを理解し始めるとまだ面白味もあるのでしょうが、所詮は帰納演繹不能の「過去の出来事」でしかありません。
歴史は繰り返すから、過去に学ぶことで将来の役に立つと言われますが・・・私には詭弁だとしか思えないのです。日本史に意味があると言われる方は、世界の全ての独立国の歴史も同じように学ぶ意味があると思っていただきたい。世界史の一部としての日本史なら、まだ意味はあると思ってはいます。地理や倫理・政治には学習する意味はあると思いますが、記憶力の限られている私には避けたい学問です。数学、物理、化学は覚える事は少なくて、応用範囲が広いです。そこが大きな魅力です。社会科は覚える事が膨大で応用範囲が少ない。それで、共通一次試験で必要最小限の倫理・社会を勉強することにして、他は捨てました。

社会科以外では、2度目の受験まで、一番苦手だったのが国語でした。それまでの受験では、「文系の苦手な文系希望者」でした。国語が不要で、社会の代わりに数学Ⅰで受験できる経済学部、法学部を受験しました。私の第一希望文学部哲学科でしたが、文学部で社会(世界史や日本史)、国語抜きに受験できるところはありませんでした。
 英語も苦手でしたが、全国の大学で、英語抜きで受験できる大学は当時なくて、それはあきらめざるを得ませんでした。(今もあるとは思えませんが)

以前の私は文科系科目の超苦手なな文科系志望でした。理数系に行きたくないのに、理数系でしか点数が取れない人でした。哲学って論理だから、数学で受験出来るべきだと思うのですがねぇ?

26歳になっての受験は、社会経験もある程度積んで、本もある程度読んでいましたので、国語能力が向上していました。国語能力が上がると、英語の理解力、特に長文読解能力が向上していました。年月を重ねる事は、決して無駄ではないと実感しました。



 秋になって、なんと共通一次では、ほぼすべての大学医学部の合格圏内の点が取れるようになってました。それで、「もう、することはないじゃないの?」と思ったのですが・・・もう一度蛍雪時代を読んで、愕然としました。

 なんとなんと、国公立大学の受験は、共通一次試験だけでなくて、各大学独自の2次試験がある!!!本当に驚くと膝が折れるのですね。愕然としながらも、共通一次試験という名前を考えたら、共通ではない二次試験があると推定するのが普通だなと納得もいたしました。情報の谷間に居たための失敗でした。
 普通の受験生なら、試験の体制がそうなっていることなど常識というか常識以前なのでしょうが、私には受験仲間は皆無で、過去の受験から8年が経過していて、受験制度が一変していたこともありました。それで、情報収集のためにも、秋からだけでも予備校に通おうかと思い、お盆明けに某予備校に行ってみたのですが・・・・窓口に居たのは、同級生の女子で、私の顔を見て
「あら、坂根君、何しに来たの?」
「秋から予備校に入りたいのだけれど」
「え、家庭教師しているの?入学はもうとっくに締め切っているよ。のんきな子なのだね」
「俺自身なんだけど」
「えっ?坂根君、坂根君、いつも変わった事言うからなぁ。本当に?」
と言うようないきさつがあって、同級生に変わった奴と認識されていたことは分かったけれど、予備校に入ることはかなわず、相変わらず情報の孤島であることに変化はありませんでした。

 出身高校に行って進路指導の先生に面会していただいて(知らない方でした)
「すみません、入り易くて出易くて、費用の安い医学部ってどこですか教えてください。」
と、端的に質問したのですが、
「はっ????」
といわれたまま、固まってしまわれて・・・・
暫くして「失礼いたしました」と、帰って来るしかありませんでした。

結局のところ、数年前の蛍雪時代からしか情報を得るしかありませんでした。
新たな蛍雪時代、立ち読みもしましたけどね。

おバカなことに、秋になってから漸く2次試験があることを認識したという次第です。
それから、おっとり刀で二次試験の過去問を解いてみたのですが・・・・
医学部の二次試験、難問奇問続出で、全く歯が立ちませんでした。
でも、一旦始めた路線、歯が立たないからと言って今更簡単に引くことは出来ません。
私、中学高校時代、勉強嫌いでしたので、数学は公式を知りませんでした。それでも時間の限りゴリ押しで答えにたどり着くまで計算を重ねる。答えに至らない様なら、答えの候補をいくつか想像して(数学の場合、ゼロとか1とかが答えの候補になることが多い。角度の問題なら、答えは15度、30度、45度、60度(プラス60度×n)など、一定の角度しか答えはあり得無いから、絵をかいて予想したら大抵答えは分かってしまう。あとは、その答えになることを証明し、それ以外に答えがない事を証明するのみ)候補の数値を問題に入れて検算して条件を満たす数字があったら、それ以外に条件を満たす数値があるかどうか検証するとか・・・・何しろゴリ押しが得意というか、私のやり方でした。
 それで、この度もゴリ押しするしかないとは思ったのですが、実力が違い過ぎて、推論も最初は立てられず、手も足も出ない状態がしばらく続きました。
 でも基本から勉強しなおすには全く時間が無いので、二次試験の数学なんて、1/3も解けたら何とかなると居直ることにしました。12月には共通一次の点数確保には相当、勝手ながらな自信を持っていました。

本当に思い込みが激しい人間なのであります。年末には、共通一次で、「ひょっとすると全国最高点を取ってNHKにインタビューされるかもしれないな」なんて思うようになっていました。NHKがそんなインタビューする事なんてないのに、勝手に思い込んでいました。共通一次の過去問に関しては、理数に関しては、ほぼ満点(同じ問題を解くのですから当然ですが)しか取れなくなり、そのうちに出題者の意図が見えるようになりました。
複問題文と選択肢を読むと、複数の出題者がどのような選択肢にしようか会話しているのが聞こえてくる気がしてきたのです。笑ってください。思い込みが激しいのです。

現実にはそんな事は、全く無くて、絶対の自信を持っていた古典でしたが・・・満点のつもりで余裕で答えて、何と零点でした。全て逆に答えてしまいました。本当におバカな野郎です。でも、それが無かったら・・・・別の大学を受けていたでしょうし、人生、何が功を奏するのか、何が良くて何が悪かったかは全く分からないですね。

                     続いてしまいます


雨音はショパンの調べ/松任谷由実



石光寺、當麻寺西南院で牡丹鑑賞

2022-04-19 19:16:36 | 夫婦でトレッキング

今日は、奇数週の火曜日なので休診日でした。
でも、午後2時から4時まで田原本町中央体育館で新型コロナワクチンの集団接種に当たっているので遠出不能。2時間のために行動に重い足かせです。釣りにも行けず、山にも登れません。
出来るだけ、仕事はまとめてね!と言っているのですが、今日は午後にしか集団接種自体が無いので、仕方ないですね。絶好の釣り日和、山歩き日和だったのですが・・・
文句言っても仕方ないので、隙間時間を使って、石光寺(染寺)、當麻寺西南院に春ぼたんを見に行く事にしました。
先ずは石光寺(染寺)
牡丹ってゴージャスな花ですねぇ 迫力がありました。

シャクナゲも見事です!

白い藤 紫のもありましたが少し盛りを過ぎていました。

次に行ったのが當麻寺 
こんなに大きなお寺だと知りませんでした。



樹齢250年を超えるモミジの巨木が3本あります。

外に出たら、イソヒヨドリが美しい音色で啼き合っていました。
内陸県の奈良県に進出してきているのですねぇ。最近、医院でもよく目にするようになりました。私、雄ばかり目にするような気がするのですが・・・
雄が目立つからでしょうか?
幸せのブルーバードに、世界に平穏な日々が来ることを祈りました。
平穏な半日、花を愛でて平和を満喫しました。

誇り高き男 / 埃だらけの男

2022-04-18 22:41:12 | 思い出
(写真は本人とは無関係です)
雨が上がって、7月の陽光眩しく降り注ぐ中、相変わらず一日千円の借り物ボロ軽トラックでローギア、アイドリングで走行し続けていました。8トラックの無限連続再生の 誇り高き男のメロディに乗せた「毎度おなじみチリ紙交換でございます。ご不要になった新聞、雑誌、ボロなどがございましたら、トイレットペーパー、ティッシューと交換させていただきます」と続けていたのですが、梅雨入り前と違って、憑き物が落ちたように私はやる気をなくしていました。一時は天職だとさえ思えたのですが、この仕事、先が無いなと思えたのです。それで、もう少し季節変動の無いやりがいを感じる事の出来る仕事はないかと思いました。
色々と考えたのですが、これからはセキュリティ関連が伸びるのではないかとなんとなく思って、色々調べました。それで鍵屋さんになろうと思ったのですよ。それで、ほんの少しすらの鍵の勉強もせず、開錠も全くできないのに、いきなり鍵の坂根などと言う名刺を印刷して、補助錠を数個仕入れ、飛び込みでセールスに行きました。
全く売れませんでした。そりゃそうですよね。自宅を守る鍵、信頼できない、とび込みの馬の骨から買う奴はいないですよね。10日ほどで漸く諦めました。方針変更です。
それで、以前下宿から出ていた蛍雪時代などを読み始めました。軽トラをローギアのアイドリングで走らせながら。
 それを読んで、共通一次試験と言う難問奇問の無い教科書に沿った出題の試験で大学に入れる時代に変化したのだと私は思ってしまいました。そして、共通一次の過去問を自宅で解いてみたら、琉球大学の医学部の合格点に近い点数を取れてしまったのです。

 なんでも良い方に誤解するのが私の得意技なのでありまして・・・・少し勉強したら、琉球大学医学部には合格できるのではないかと思いこんでしまいました。そこで、チリ紙交換の次の目標をなんと国公立医学部合格にしてしまったのでありました!

                 続く


誇り高き男 / スリー・サンズ

春の葛城山(カタクリとギフチョウとスプリングエフェメラルと・・・)

2022-04-18 13:59:36 | 夫婦でトレッキング
昨日の日曜日、久しぶりで葛城山に行ってきました。前回は1月9日だったそうです。(山頂の葛城高原ロッジでスタンプカードを押してもらっているので分かりました。ちなみに私は15回、配偶者は21回)

山はすっかり春でした。
ゲートをくぐって、
ロープウェイを横目で見ながら急坂を上ります。
何とか北尾根コースのエまで到着、この直ぐ上に展望の良い休憩所があります。
ここから先は花崗岩の間ををすり抜けるようなところがあったりします。

先ずは中腹あたりから現れだすギフチョウに翻弄されました。
ひらひら舞っているのが、運よく近くに止まるのを待って、写真を取ろうと構えると、パッと逃げ出す。
そんな事を何度も繰り替えしていたら、多くのパーティーに抜いて行かれました。
皆さん蝶などにあまり興味をお持ちでない様です。
やっと撮れたのがこれです。
なかなか撮らせてくれないねぇ と、言っていたのですが・・・
なんとなんと、
それからしばらくして存分に撮れました!!
それがこれです。
お判りでしょうか?
2匹(正確には二頭)のギフチョウが折り重なっています。
近寄っても全く逃げることは無く、枯葉の上をジタバタ動き回っているだけです。超近接撮影しました。交尾中なのですね。

私には見分けがつきませんが、勿論♂と♀でしょう。
準絶滅危惧種を♂♀同時に撮影が存分に出来ました。動画もたっぷり撮りました。
時に、もう一匹(一頭)チョッカイをを入れようとしますが、流石に入り込む余地は無く、残念そうに飛び去って行きました。
登山道の真ん中あたりをジタバタし続けているので、他の登山者に踏まれないか心配で、その場を離れることが出来ませんでした。
15分ほども交尾は続き、そろそろ飽きてきた頃に、
「こんなに長いのっておかしくない」
「そう言われると、他の蝶やトンボって、短いものなぁ」(これは大間違いでした。)
「ひょっとすると、何か問題があって、離れられなくなっているのではないの?何とかしてあげないといけないのでは?」
「そんなこと言っても、そんなことできませんがな」
「そこを何とかしてあげるのが医療者の勤めでは?」
私が絶句しているのを感じ取ってくれたのかどうか・・・
ようやく交尾が終了し、各々ふらつきながら飛び分かれていきました。
調べてみたら、ギフチョウの交尾は30分から1時間続くのだそうです。
長いなぁと感じていた私たちですが、それでも途中から見た のかもしれませんね。
トンボも、短い種もあるそうですが、長いものは6時間!!だそうで、決してギフチョウの交尾時間が長いわけでは無さそうです。

準絶滅危惧種の交尾という珍しいものを見た後、再び登り始めました。
少し上ると、カタクリの群生地に入りました。

片栗粉と言えば、今ではジャガイモでんぷんの事ですが、江戸時代にはカタクリの鱗茎(球根)から作っていたそうです。今作っても地方の名産品として道の駅などのお土産にはなりそうですが、相当高価なものになるのでしょうね。
でも、一面のカタクリ畑、それだけでも名物になりそうには思います。誰かやりませんかね??
他にもこぶし、桜、ヤマブキ、シロバナヤマブキ、ショウジョウバカマ、ミツバツツジなどがそこここに咲いていました。



これはミツバツツジだそうです



カナヘビもご挨拶!


それから、ケーブルカーの山麓駅脇に見事に咲いていた緑色の紫陽花
調べてみたのですが、品種が分かりませんでした。凄く元気に見えたので、アジサイ葉化病ではないと思うのですが・・・ご存じの方がおられたら教えてください。