以下は
日本人はどこで「ダイヤモンド・プリンセス号」の対応を間違えたのか
「公衆衛生の危機対応として、教科書に載るような悪い例」
米有力紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は11日の記事で、日本政府の今回の対応についてこう強く批判した。
日本政府は、検査により感染が確認された人は医療機関に順次搬送する方針で、非感染者、結果待ちの人には客室などでの待機を求めている。また、80歳以上の高齢者で持病がある人などについては、ウイルス検査で陰性だった場合、本人の意向を確認した上で政府が用意した宿泊施設に移ってもらうとしている。
しかし船内での感染拡大に歯止めがかからず、こうした対応に海外メディアを中心に批判の声が強まっている。客室での待機が基本とはいえ、食事の給仕など乗員・乗客が接触する局面はどうしても出てくるため、拡大を防ぐのは不可能だ。感染の恐怖と戦いながら生活すること自体も強いストレスとなる。外国人乗客から「人権侵害だ」との非難の声が上がるのも無理はないだろう。
日本政府は、現状1日300件の検査能力を1日1000件以上に拡充するよう急いでいるが、14日時点で検査済は930人と、全乗員・乗客の4分の1程度しか進んでいないのが現状だ。15日までに感染が確認されたのは285人。停泊が長引いたことにより、かえって感染が拡大した可能性は極めて高い。
しびれを切らした米国
日本が検査機関を2週間と決めたのに対し、香港では1800人を乗せたクルーズ船をわずか4日の検査で入国させ、対応の違いが際立った。もちろん、新型ウイルスを文字通り「水際」で食い止めるべく慎重になること自体は、悪いことではない。しかし、平常時でもクルーズ船にはつきものとされるノロウイルスなど別の感染症が拡大する懸念もあり、長期の停泊はなるべく避けるべきであることには違いない。ある危機管理コンサルタントは今回の日本政府の対応について、こう解説する。
「一番まずいのは、一貫した方針がはっきりと示されていないことです。今回のような事態が起きた時、達成しないといけない目標は3つあります。(1)国内へウイルスを入れない、(2)船内での感染者を増やさない、(3)乗客の安全かつ早期の帰宅・帰国を支援する、です。
しかし今回、こうした方針が政府から明確に発信されていない。定期的に感染者数などの数字は公開されているものの、現状報告ばかりで、いつまでに何を目指すのか、何がどうなればひとまず安心できるのか、といった区切りが全く見えない。これでは乗員や乗客の不信感が募るのは当たり前ですし、乗客の母国の政府から、対応に疑問を持たれてもしかたない」
実際、しびれを切らした米国は16日、米国人の乗客約380人を旅客機で帰国させる手続きに入った。米国は自国民ファーストの国である。主権侵害の嫌いもないではないが、日本政府の後手後手の対応が頼りなく見えたのは間違いないだろう。
日本人の「対策できない病」
今回の新型コロナウイルス禍を通じて、日本人の「想定外の事態」への弱さがまた顕在化していることは、1月26日の「コロナウイルスで顕在化…安倍政権が『インバウンド・リスク』で躓く日」でも指摘した。「悪いことは起こってほしくない」「対策をしたら本当に悪いことが起きてしまう」という思い込みが勝りすぎて、最悪の事態まで想定した現実的な対策を考えることができない。
ダイヤモンド・プリンセス号は今、まさによからぬ進路を突き進んでいるように見える。そこには前例やマニュアルは存在せず、官僚にできる対処にも限界がある。政治決断だけが勝負といってもよい。
とはいえ安倍政権にとっては、進むも退くも地獄という状況だ。乗員・乗客を感染者を含め上陸させた場合、「国内感染を広げるつもりか」との批判が巻き起こるのは必至。かといって、このまま全員の検査が完了するまで船内待機を続けさせれば、状況は悪くなる一方だ。
この板挟みの中で、ゼロリスクの正解は存在しない。すでに国内では、感染経路が不明な患者も発生するなど、「市中感染」の拡がる兆候も現れている。ウイルスの完全な封じ込めは不可能であることを前提として、やはり乗員・乗客の受け入れを決断し、可能な限り国民に理解を得られるよう訴えるしか道はないのではないか。
政府は「現状把握」と「世論への忖度」ばかりに追われ、すでに相当な時間を浪費している。いくら末端のスタッフが真面目で優秀でも、マネジメント層がリーダーシップを発揮できず、結果として危機対応の弱さを露呈する――まるで東日本大震災での対応の再演を見ているようですらある。
これは「ケガレ」の思想ではないか
また今回、日本が「ダイヤモンド・プリンセス」号の乗員・乗客の受け入れを拒んだ背景には、「ケガレ」の思想もあるのではないだろうか。科学的根拠をないがしろにし、とにかく「汚れているものに触れたくない」という感覚は、多かれ少なかれ私たち日本人が持っているものだ。
新型コロナウイルスの感染拡大が騒がれ始めて約1ヵ月半が経過し、「感染力は強いものの、殺傷力はインフルエンザを下回る」との評価が定着しつつある。死亡者も高齢者や疾病患者が多く、手洗いや消毒を励行し咳などのエチケットを徹底すれば、感染リスクは抑えられるというのが専門家の一致した見方だ。
実際、シンガポールのリー・シェンロン首相は「恐怖はウイルスよりも殺傷力が高い」と、国民に通常の市民生活を営むことを呼びかけている。グローバル化が進み人の行き来が急増している現在、「ケガレ」から逃れることはできない。具体的なリスクの比較考量をした上で、受け入れ可能なもの、そうでないものを見極めてゆくほかない。
幸い、日本社会も1ヵ月前のようなパニック状態からはかなり落ち着きを取り戻しつつある。政府が乗員・乗客の受け入れを決断しても、宿泊施設などの体制さえきちんと整えれば、世論もむしろ評価するだろう。
福島第一原発事故での旧民主党の事故対応をめぐって、「自民党政権だったら被害は格段に少なかった」という言説がいっとき流布し、自民党の復権につながった面があった。しかし今回の新型コロナウイルスへの対応を見る限り、自民党もそれほど想定外の事態への対応力が強いとは言えない。
やはりこれは日本という国家そのものの問題なのだ。事実を虚心坦懐に受け入れ分析する知力と、決めるべき時に決めるリーダーシップがなければ、危機には立ち向かえない。
松岡 久蔵(ジャーナリスト)
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