茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

高麗(こま)

2009年09月22日 | Weblog
高麗に行ってきました
百万本の曼珠沙華の中に立ったとき
香りのない花にも
息が感じられました
巾着田に広がる赤の中を抜け
秋桜、柿、栗と秋に誘われ歩くこと30分
大きな鳥居が見えてきました
高麗神社です

ここ埼玉県日高市は
1300年前高句麗人の里として栄えたところです
紀元前一世紀に建国された高句麗
東アジアで最初に国家を形成した文化の高い王国でしたが
その700年の歴史は唐と新羅に封じられ
668年高句麗が滅びる前後には
多くの高句麗人が日本に渡ってきました

716年に大和朝廷は
東国各地に散らばっていたこうした渡来人を
この地に集めて高麗郡を置きました
高く麗しい国の人々の文化は
ここ日高を基盤に日本に伝えられてきたそうですが
あまり詳しい史料がありません
都では唐と交流していた時代ですから・・・

お茶に関する史料も得られませんでした
「お茶を持ってきたことは十分考えられますね
 でも、今までそのような記録はまったく見つかってないです」
ん~がっかり
でも帰り道、畑の隅に忘れられたお茶の木を発見
今年初めての茶花ちゃんとのご対面~
曼珠沙華祭りの会場では狭山のお抹茶もゲット
キムチと高麗人参の入った「高麗鍋」もいただき
20000万歩も歩き
よい国民の休日でした

高句麗の危機に当たって
日本に援軍要請に来た若光(じゃっこう)は
そのまま祖国に帰ることなく
高麗郡の初代郡長になるわけですが
明の末期にも
隠元さんをはじめたくさんの文人が渡来したことを思いました
日本という国には
戦いを好まない大陸の人達のDNAが
息づいているのですね

最新の画像もっと見る

コメントを投稿