茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

歌会始

2011年01月14日 | Weblog
新春恒例の宮中行事「歌会始の儀」がありました。
今年のお題は「葉」でした。
でも、
どなたも、
「お茶の葉」は詠んでなかった・・・。

最年少14才のお嬢さんの
  「大丈夫」この言葉だけ言ふ君の
    不安を最初に気づいてあげたい
という歌は、お母さんのような視点で感心しました。

東京都の上田真司さんの
  ささやかな悲しみあれば水底に
    木の葉が届くまで待ちゐたり
には、ぐっときたりしました。

記憶のどこかに
同じ気持ちの歌があったような気がして
探しました。
全然違いました。
  春浅み野中の清水氷いて
    底の心を汲む人ぞ無き
こちらは、とても寂しい歌。
井伊直弼の歌です。

激務の中、
手を抜くことなく茶会を催し続けた井伊大老。
客が帰った後の茶室で一人釜に向かい、
独座観念の時を愛した孤独の人。
いくつもの一期一会のその先には
「心を汲む人ぞ無き」
だったのでしょうか。
「無き」と言いつつ、
「待つ」心があったからこそ、
また、茶会を開いたのでしょうか。

井伊さん、
茶室を出て、
茶畑まで来ればよかったのに。
ういういと歌う新芽の中に立てば、
ぐんぐんと心満たされてくるから。
おや、
私の方が実は、
「待つ」を捨てているのかな。

いーえ、

  先人と一緒に待っているのです
       茶の葉の声に耳を澄まして