かしこジャーニー

「日々しるし」と「難聴のこと」

泣くということ

2007-12-19 21:52:16 | いまおもうこと
最近泣いてない。
超ドライアイだし。カラカラだ。
かなしい涙、うれしい涙、同情の涙、もらい涙、恐怖の涙、訳もわからずでる涙、感動の涙、怒りのあまり震えながら流れる涙、悔し涙、感謝の涙。
流したぶんだけ思いでも積もります。
わたしはこの時期に退職したことが二度ばかりあって、いつもは忘れているのに12月の帰り道ふっとおもいだす。断片的に。
あのころの寒さとか、なんとも言えない安堵感が静かによみがえり、辞めたら豪遊しようと誘う友やら、ここを去ったらきっと会うことはない人たちやらがするすると記憶の底からよみがえる。そしてわたしはさらに記憶をたどる。
12月の忘れがたい涙は“浄化のなみだ”。毎日会社にいかなくなってから、なぜだか理由もなく毎日ざあざあ泣いていたら、友人がそうおしえてくれてわたしは落ち着いた。
泣き疲れて眠る子供のように、ただただ泣くことってなくなった。あまりにも哀しいと涙もでないことを知っているし、泣きながらつぎのことを考えたりもするし、大人になると、ある部分器用になってふたつみっつのことを同時にできるからなのかな。
喜びも悲しみも涙を流すとすっきりする。区切りがついたりする。涙は人生に必要なものなのかもしれない。実はさりげなくわたしを助けてくれるものかもしれない。
なんてことをぼんやりおもうわけです。

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