阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

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ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

転院のころ

2019-12-30 21:02:25 | 父の闘病
今年一年をふり返るとなると、やはり半年以上に及んだ父の入院を外すことはできない。その間、大勢の方々にお世話になったのは言うまでもないが、今回は6、7月に民間病院に転院していた時のことを書いてみたい。

父は2月の最初の入院で声帯のポリープを切除、しかし組織検査の結果がんが見つかって、3月に放射線治療とPET検査でがんの可能性が出た大腸のポリープ検査のために再入院した。大腸は陰性であったけれど、放射線治療の合併症で声帯に癒着が生じ、窒息の危険があるということで5月上旬気管切開の手術を受けた。食事が再開になってまずプリンを食べたところ、その一部はのどに装着されたカニューレから出てきてしまった。食事は再び中断されて鼻から栄養剤を入れることになった。胃ろうを勧められたが父は断った。そして嚥下のチームに入ってもらってゼリーひと口から飲み込みのリハビリが始まった。転院の話があったのはその頃だった。嚥下のリハビリを続けてある程度体力を回復してから気管切開を閉鎖ということになれば、入院は90日以上になってしまう。一度転院して1ヶ月後に戻って癒着切除の手術をして、経過が良ければ気管切開の閉鎖ができるかもしれないという提案だった。当院は急性疾患の治療はするけれど慢性的な疾患は他院でと、また婦長さんからはかんの治療は終わったとも言われた。

しかし当時は正直言って、そう言われても・・・という心境だった。何事もなければ放射線でがんの治療は終わって退院できるはずであった。それが喉に穴があいてカニューレがついてどうみても治ったというより悪くなっている。がんの治療は放射線治療をもって終了したから移ってくれと言われても、すんなりとは受け入れられなかった。そうは言っても、どうも90日以上は置いてもらえない雰囲気で、こちらからは2つの事をお願いした。その頃父は嚥下のリハビリを頑張っていて、好きではないゼリーを苦労しながら飲み込んでいた。このリハビリは家族にとっても大きな希望だった。嚥下のリハビリを続けられる所をお願いしたいというのが一つ目、もう一つは母も足が悪くてバリアフリーではない芸備線での移動は難しく、母がバスを乗り継いで行ける所にしてほしい、この二つだった。この条件で病院の患者総合支援センターの方に探してもらった結果、安佐南区の民間病院への転院が決まった。転院担当の方によると「専門ではないけれど、気管切開の患者さんを多数受け入れている」とのことだった。この時は「専門ではない」をそんなに深刻には受け止めていなかった。

そして6月下旬の月曜日、ちょうど入院90日目となる日に転院となった。ここでの主治医は呼吸器内科の先生で、転院先の病院には耳鼻科は無かった。しかし、気管切開は呼吸器で問題なく診てもらえると思っていた。ところが、この先生「耳鼻科のことはわからん」と言ってカニューレに触ろうともしない。そういうものなのかどうか、素人の私にはわからない。熱を計って肺炎をケアしつつ、眠れないと言えば安定剤などを処方、そういう治療だった。一方、リハビリの方は嚥下、上半身、下半身と3人の担当者が毎日来て充実していた。栄養士も毎日のように昼食時に来て何が食べられるかチェックされていた。実はこの病院、地元在住の叔母に聞いても、またサッカーの知り合いに聞いても評判はかなり悪かった。父が入院しているのは2階であったが、3階の6人部屋に入れられると生きて出てくるのは難しいという噂であった。しかし、看護師さんのモチベーションも高くて吸痰も問題なく、耳鼻科がないことを除けば居心地は悪くなかった。このまま無事に一ヶ月過ぎてくれたら何の問題もなかった。

ところが転院から10日が過ぎた金曜日、午前の検温の看護師さんから、吸痰の時にカテーテルが入りにくくなって一回り細いチューブを使っていると言われた。看護師さんがライトをつけてカニューレの中をのぞくと、やはり痰がこびりついて狭くなっているところがあるということだった。先生を呼んでもらって、看護師さんに促されて先生も初めてカニューレをのぞいて確認していた。こういう時前の病院では吸入器(ネブライザー)を使って痰を柔らかくしていたと言ってみたのだけど、呼吸器内科ではネブライザーはそういう使い方はしないのだろう、先生は効果に懐疑的であった。一度前の病院で診てもらった方が良いということで月曜日に耳鼻科外来を受診することになった。細いチューブとはいえ吸痰できているし、この時は今の永久気管孔とは違って一時的な気管切開で口も少しは息が通っていた。まあ大丈夫だろうということで私は夕刻帰宅した。

しかしそのあと夜になってから、父は不安になったようだ。月曜までもたないかもしれないと言い出したそうだ。父の不安には伏線があって、前の病院でもある土曜日の夜に突然吸引カテーテルが入らなくなったことがあった。看護師さんが先生に連絡して来てもらってカニューレを外して掃除して元通り吸痰できるようになった。それだけの話で、その時はあまり気にもかけなかった。ところが翌週、火曜日に嚥下のチームの回診があって、いつもの看護師さんだけでなくて内科や歯科の先生もいらっしゃったそうだ。その時にどの先生かわからないが、「あんたぁ危なかったそうじゃの」と言われたそうだ。これは土曜日の事をカルテなどで見て言われたのだろうが、冗談なのか、本当に危なかったのか、素人にはわからない。しかしこの一言は本人にとってはかなりのダメージで、この時は死にかけたと思ったようだ。そして、大きな病院だったから土曜の夜でも先生がやってきて処置してもらったけれど、今の病院ではそれは望めないだろう。それに主治医の先生が耳鼻科のことはわからんと言うたびに、父のストレスはたまって来ていたようだ。それで私が帰ったあとでぶつぶつ言い出して看護師さんを困らせたようだ。

ところがである。夜勤の看護師さんのうちベテランの看護師さんが、これぐらい何とかしますと言ってまずネブライザーを使い、そのあとピンセットのようなもので3人がかりでカニューレの中の痰を取り除いて、翌朝母が行った時には普通に吸痰できるようになっていた。民間病院の底力だろうか、これは本当にありがたいことだった。

その後も父は神経質にあれこれ言っていたけれど、何とか再転院の日を迎えることができた。朝の担当になる事が多かったTさんは准看護師で父がこれから帰る病院に週1回研修に行っていると明かしてくれて、マスクを取ってみせた。あちらで見かけたら声をかけてくれということだろうか。准看護師ということはこの日まで知らなくて、ベテランの看護師さんに比べると少し頼りないかなと思っていたけれど、Tさんの向上心は初めて見た素顔を通じて伝わって来た。その顔をしっかり覚えておこうと思った。

最後にひとつ、転院の時に耳鼻科のある病院という条件も私が言わなければならなかったのだろうか。それとも転院担当の方か先生か・・・いや、誰が悪いのでもなく、通らなけばならない道だったと思うことにしよう。そして残念ながら、今でも通院の度にキョロキョロしているのだけど、Tさんには会えないでいる。



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