阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

ランダムにサンフレ昔話 その1 「シュート打て」

2014-04-07 12:48:13 | サンフレ昔話

 徳島のシュート打てコールが話題になっているけれども、サンフレのゴール裏からも同じコールが出たことがある。2003年8月30日、ビッグアーチでのJ2水戸戦だった。記憶がいい加減な私がすぐにゲームを特定できたのはちょっとした思い出があるからで、まずはそのあたりから。

 その前の年の2002年、私の幕を作ってもらっているS子さんが関東のゲームでトゥーリオファンのMさんという女性と知り合った。Mさんにとってトゥーリオは高校の先輩にあたるそうだ。トゥーリオは01年サンフレ新加入のあと03年は水戸にレンタル。その時のいきさつを今西さんから直接聞いたことがあった。それによるとトゥーリオはA契約外国人としては物足りないということで02年で契約満了になる予定だった。しかし、J2降格が決まった札幌ドームのゲーム後、久保社長が全員と契約すると発言、これは今西さんにとって寝耳に水の話で、その後引き受け先を探すのに苦労したけど外国人枠の余っていた水戸にお願いしたという話だった。これは後年の今西さんのインタビューと食い違う部分があるのだけれど、03年に今西さんから直接聞いた話だ。話がそれた。

 03年水戸でのトゥーリオは守備の要というだけでなくポイントゲッターとしても活躍。4月24日の誕生日にプレゼントを渡しに行ったMさんの話では、どういうルールか知らないがその日から帰化申請ができるとかで練習後ファンサービスもそこそこにサンフレ職員と一緒に去って行ったそうだ。4月下旬の時点で評価が一変していたことがわかる。

 さて、やっと本題に戻るが、この8月末の対戦の前にS子さんから連絡が来て、ビッグアーチでのトゥーリオの様子をMさんに手紙で教えてあげてほしいという。ちょっとおせっかいだなとは思ったけれど、私が女性に対してできることで唯一得意分野なのが手紙を書くことなので引き受けることにした。この時点では、お安い御用だと思ってた。

 ところが、当日になってみると、ユース2年の洋次郎がスタメンだった。故郷Jヴィレッジでのクラブユース決勝が8月3日、そのあと洋次郎は夏休みということもあってトップの二葉寮に移って練習参加していた。小野監督にとってみれば夏休みの最後に一回出しておこうということだったのかもしれない。洋次郎がプロ契約するのは10月の高円宮杯全日本ユース敗退後のことだ。

 その年のサンフレは一回り目は他を圧倒して独走かと思われたけれど、夏場は相手に対策されて厳しいゲームが続いていた。雨の中で始まった水戸戦も、双子がやや夏ばて気味で精彩がなく、春の広スタでの対戦の時のようには押し込めない。最初右サイドに入った洋次郎は雨のせいかトラップミスが目立つ。前半23分に失点後、システムを4バックに変更、洋次郎はボランチに移ったが若さのせいか前へ前へ行ってしまって相手に反撃のスペースを与えてしまう。そんな中でB6から、

「動け、動け」

「シュート打て、シュート打て」

というコールが出た。後にGK下田は「厳しいなあと思った」と語っている。何より問題だったのは、この二つのコールでスタンドの雰囲気が暗くなってしまったこと。結論から言えば、もうやらん方がいいだろうね。一回やってみてわかることだけれども。

 洋次郎は後半18分サンパイオと交代、CKを得てゴールエリア付近にいたときに交代に気づいてそのままゴール裏に出てメイン方向に去っていく35番の背中が今でも忘れられない。J1復帰に向けて負けられないゲーム、そして異様なスタンドの雰囲気、17歳になったばかりの洋次郎にとっては酷なゲームだったかもしれない。試合はその後相手に退場者が出て、後半44分サンパイオのゴールでかろうじて引き分けた。

 そのあと、手紙を書かなければならないのだけれど、もう洋次郎ばっかり見ていて、トゥーリオがどうだったか・・・。ひとつ言えるのはあまり上がって来なかった。記録を見るとシュートは1本だけど、これはセットプレーで流れの中では来なかった。明らかに広島への遠慮があったと思う。この時点では、来年J1のサンフレでプレーしたいと思っていたようだ。でも、上がって来なかっただけ書くわけにいかんので、それ以外は洋次郎のことばかり書いてしまった。当然S子さんからはお叱りの言葉をいただいた。あまり興味のないことを安易に引き受けるものではないという教訓じゃね・・・

 あれから十年、しかしながら、Mさんは今でも関東サンフレのゴール裏にいて、しかも10番を着ていらっしゃる。これはひとえに私の功績であると、関東サポを見つけたら自慢することにしている・・・