文屋

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■平野神社の花見と、「天然コケッコー」という映画を観る。

2008年04月07日 17時33分55秒 | 日録雑感
土曜日は、平野神社へ花見へ行った。
境内は、花ざかり。いまこの時とばかりに
薄紅が光と風を通していた。
衣笠あたりを歩いて、町家風のレストランで
イタリアン。、軽い、優雅で、いい一日。
平野神社で、お正月、首に注連縄を巻かれる犬の名前が
わかった。「ハチ」というそう。忠犬と同じ名。
昨夜は、DVDで「天然コケッコー」を観た。
渡辺あやの脚本、なめらかで詩的で
言葉が、地のぬくもりにくるまれているよう。
映像がせいいっぱいで、このシナリオを補うかの印象。
まずまずのバランス。

脚本で、ふたつの言葉が効いていた。
ひとつは、「おおきに」という言。
頻繁に登場する。舞台は、島根なんだけど
この「おおきに」が、自然で優しい。

自者と他者の結節。そこに挨拶が普通に転がる。

もうひとつは、
「なんや、同じ音や」というセリフ。
田舎から修学旅行で東京へ出、人ごみに圧倒された後
主人公が呟く。
都会の騒音と、田舎の山が鳴る「ゴーッ」という音が
同じなんやと覚る。

自所と他所の結節。そこに共同社会の圧迫がある。

時間は、なめらかに流れるが
人を抱擁し、諦念を慰撫するのは、「場所」だと教える。
花、道、タバコ、通販カタログ、商店、ウインドブレーカー

物をして、語らせる映像は、
シナリオへ挑むようでもあった。
それとも「本」にそれらのマテリアルの役割を
書いてあったのだとしたら
この脚本家は、優れたディレクターかもしれない。
哀れを一切描こうとはしていないようだったが
どこかで、迫らせてもよかったかも。
「ロハス」、、、、、、、、、
まあちょっとマーケティング的には
そんなのもテーマとしてあったかも。

監督は、「ばかのハコ舟」という
ジャームッシュ的に、不協和音映像が秀逸だった
山下敦弘。