文屋

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★『実録』酔夜のできごと、「春先の人ちがひ」。

2008年04月04日 12時12分09秒 | 詩作品
こんなこともあるんだなあ、という奇跡。
昨夜、ある集いがあって宴席に出た。
久しぶりに、寺町通りを二条から北へとぼとぼ。
「ずいぶんおしゃれになったなあ」というのが
寺町通りの印象。
20名ほどの集まりで、ぼくはほとんど一番のり。
靴を脱いであがるときに、玄関に靴を上げる板があった。
ぼくの靴は、マレルというブランドのバックスキン。
かかとの部分に、チェック柄のスリップがついている。
このマレルの靴は、とても気に入っていて
同じスタイルのものをもう一足もっている。
「ああ、この板に靴をあげるんだなあ」
「店の人があげてくれるんだろな」
ぐらいに思っていた。
いやあ、昨夜は、とてもニュアンスの似通った人たちばかりで
なんだか、なごんで、坩堝の底辺へ一気に至るほどに
皆が、濃厚にまとまった。
間接的に、知人の知人というような「うっすら友達ばかりの」
うち解けようだった。
偶然にも、ぼくの事務所のお向かいさんのFさんも来ていた。
いい気分で、未明手前で失礼した。
靴は案の定、というか、お店の方の行き届きのお陰で
板の上にあった。
タクシーに乗って、少しだけ違和感があった
座席で、なんどか、靴を脱いでは履き、また脱いでは履きと
やってみた。
「なんとなく小さいような、気のせいか」
で、朝、
「ちょっと違うような、いやあんな特長のある靴を履き違えないだろう」
と思いつつも、酔夜の明けの慣わしとして、地下鉄出勤。
念のために、一日履いて、違和感が納まらないようだと
お店に一応、この「違和感」を伝えておこうと、考えた。
そして、へんな違和感と喪失感と、ちょっとした幻覚のような
ニュアンスで、ボロディンの交響曲を聴きながら、悶々と。
「まあいいか、間違えたとしてもこれが世の中」
「そうそう、こんな感覚は」「内田百間的」と
やおら内田百間の「ノラや」をとりだしてきて
ちらちら。
はたして、そこでやおら郵便受けを見た。
そこには、綿密に描かれた、靴のイラスト入りの伝言があった。

「きのう靴が間違っていたということはないでしょうか」「?」と。

偶然に同席していた、お向かいのFさんと
0.5インチの齟齬であったのだ。

迂回して、もやもやとして、幻覚があり
まあ、きわめて文学的ですらある。一行、


きのう靴が
間違っていたということは
ないでしょうか


そうそう、靴が、履く人を間違えたということなんだ!