文屋

文にまつわるお話。詩・小説・エッセイ・俳句・コピーライティングまで。そして音楽や映画のことも。京都から発信。

ラモーからミヨー、横道から、エリック・ドルフィ。

2012年01月06日 22時01分11秒 | 音楽
きょは、ジャン・フィリップ・ラモーを聴いていた。
フランスの作曲家で、1764年に没している。
フランスは、ラヴェルやドビュッシーが出現するまで
音楽不毛の国などと言われた。
ラモーがいるじゃないか。驚くべき前衛。
... 甘い旋律であるのに、それをパルスで散らかして
こわしていく。クラヴサン曲集の中には、現代に
通じるアヴァンギャルドが胎動している。
ぼくは、マルク・ミンコフスキーが管弦楽でやった
CDで、ラモーを再発見した。それを
クラヴサンで聴き直したり、好きなピアニスト
ニコライ・ペトロフの鍵盤音で聴き直したりした。
これは、音楽の正統が未分化であったころの
暴く音楽なのではないかと、驚いた。
そのあと、試みに、ダリウス・ミヨーのチェロ協奏曲
を聴いてみた。ラモーから径庭一世紀以上。
ラモーの伝えに忠実でもあった。ミヨーもまた
エリック・ドルフィーの甘美な浪漫に似て
アヴァンギャルドでもある。泣きなのに泣かずに
暴いていく。爆、していく。そんなフランスの
やくざな音楽なのだなあと感じた。
そして、ラモーの肖像画を見る。
なるほど、ちょっとパンク。

ああ、ちょっとだけ、、ドルフィのヨーロッパライブを挿んで聴いていました。
冒頭、甘美なフルート。彼のバスクラ奏法の根本は、フルートの奏法に培われていたと思った。
アルトは、割と正統でもある。バスクラ(バスクラリネットね)では、現代音楽を意識したのだろうけど、見事のジャズの傘を着ていた。その意味でも、パーカーの嫡子。




西洋の歴史音楽を傍観したときに、
バッハ、モーツァルトそしてベートーベン、ブルックナー、マーラーの山脈は巨大です。
その山脈の頂には、ベートーベンのラストソナタが、びりびり鳴り響いているように思えます。


ベートーベンの交響曲でよく思うのは、1番から8番まで完璧な、ポップ性を追求して、ある程度彼の中で満足していたようなのです。
それが9番合唱で、破たんします。「やっちゃった」て感じで。
その分、彼の近代いや、現代は、後期弦楽四重奏や
ピアノソナタの狂気で補完されていたのですね。
すごいマッケッターでありマネジャーです。この優れた点は、ブラームスにいたっては、ただコンサバティブ、つまり真面目にふりもどされていい加減に溶解してしまいます。
ブルックナーもマーラーもシェーンベルクもだめでした。
案外、ひたひたとベートーベン的に行使していたのは、メシアンなのかもしれません。
その意味では、フランスで、ある種気骨として出現してきたのは、
メシアンといってもいいかもしれません。

ハイドンからジミー・スミスそして今道友信の「美について」まで。

2011年12月31日 00時57分59秒 | 音楽
今年最後に買ったCD2枚。
リリー・クラウスの「ハイドンピアノ三重奏」。
一曲目の26番。第二楽章に陶然。生きていることを忘れる。
これがほんとの忘年か。嬰ヘ短調という珍しい調性。
バイオリンは、シモン・ゴールドベルク。モーツァルトではなく
... ハイドンの地味(滋味)深い音撫で、平地を熱を冷ますように聴く。
もう一枚は、ジャズオルガンのジミー・スミス。
ゲストのボーカルがいいなあ。
ドクター・ジョン、BBキング、タジマハール、
ジミー・スミスのオルガンは、弛緩というかルードなダウン音が
いい。有名なビックバンド絡みよりも、
ブルースの室内楽のように、密室で絡む感じがいい。
タジマハールが逆にジャズ側にもたれてきているのが、ぴったり。
ブックオフで、ほかに今道友信の本(「美について」)を105円でゲット。
その中で、ブルックナーの交響曲5番について書かれていた。
今道氏が、ブルックナーを!
1973年に第一刷がでているが、あの時代にブルックナー
などほとんど誰も見向きもしなかったのではないか。
それも、5番の楽譜まで掲載されている。

この本のなかで、「創造とは、生命が別の生命を生むこと」
という小さな表題がある。

「新しい命を生むために古い命を捧げるのである。創造とは
制作とは異なって、一つの大きな違いを持っている。制作
とは、相異なれる多くのものから、一つのまとまったものを
まとめ上げてゆくことである。それに対して、創造とは、
ベルグソンも言っているように、多くの異なったものを生み
出すことのできるような、そういう一つのものをつくり出す
ことである。したがって、制作は構成である。これに対し、
創造とは生むことなのである。」と述べている。

別の生を生むための、生産的なセルフマネジメント。

そう考えてみれば、あのレディ・ガガならばどうだろう。
もちろん、彼女の周辺にはマーケティングの意図は
介在しているだろうが、彼女は、あくまで
身体的な喩をトランスさせている。オルタナの巫女?
まあ、とても面白い。独創的なプレイング・マネジャーである。

★ フェイスブックにアップしたけど、便宜上記録として
  こちらにもペーストします。

■ブックオフ、おそるべしと今日も今日とて痛感してしまった。

2011年09月23日 20時28分16秒 | 音楽
なんとなくいつものブックオフ宝が池店へ。
すごく混んでいた。

それでいつもの500円のCD棚へ。

まあ、そんなに期待していなかったけど、
あまりにうれしい収穫だったので、書きたくなりました。

この宝が池店の500円棚は、驚く品がよく見つかる。

■リー・モーガン「コーン・ブレッド」

65年の録音。ジャズはもうこの時代には、青息吐息だが、それはそれで
楽しい散らばり方。逃げ道を探しているかのようだが、アルバムとしては
一定の定着をみせている。こういうジャズがぼくの学生時代の定番みたいなもの。
あの時代、70年代初めの梅田界隈の「ファンキー」などのジャズ喫茶を
思い出す。ジャズ喫茶の闇から出てきて、そこに射す昼間の太陽、陽光の暴力。
なんだか、漂流している青春のBGMみたいで、軽いなあ。

■ジョニー・グリフィン「リトル・ジャイアンツ」

多分、アナログ盤でも持っていたように思う。聞き直して、ちょっと驚いた。
最近、クレモンティーヌのバックでちらっとゲストで吹いていたグリフィンを
聞いて、あれっと見直したりしていた。59年録音。サイドにブルー・ミッチェル
ウィントン・ケリーなど。ばっと、ソリッドに飛び出す。飛び出すジャズ。
べースのサム・ジョーンズの緩み、弛緩ぶりが好き。高校生の時に、
オスカー・ピーターソンのベーシストとして来日していた彼に、握手を
してもらったことを思い出した。神戸国際会館。ピーターソンは楽屋で。
サム・ジョーンズは、楽屋もなく、舞台に上がって握手した。
昔は、そんな気楽さがあった。ぼくは学生服着ていた。ライブが終わったら
さあ、楽屋へ。そんなことができた。

■ジョルディ・サヴァール指揮「アリアーガの交響曲」

アリアーガって、知らなかった。でもサヴァール指揮ということで、思い切って
買った。500円だから、そう深刻でもないが。でもこれが今回の大収穫。
アリアーガって、19歳で死んだスペインの作曲家なんだ。
没年は、1826年。なのに近代的な憂愁が色濃い。モダンだ。ベートーベンまで
すぐそこ。サヴァールはピリオド楽団を率いているけど、古楽的な匂いは
まったくない。
昨日、車で帰宅するときに、ブルックナーの交響曲6番を大音響でかけていた。
朝に、第一楽章。そのままスイッチきったから、夜は、2楽章のアダージョ。
川端通りの丸太町を左折して、北へ。正面に北山の峰。
この奇跡的な悲しみの回路。死出の音楽だ。凍りつくような美しさに
寒々と硬直した。このアリアーガも少しそんな感じ。

■ホプキンソン・スミスのリュートで「バッハ集」2CD

演奏者はバロック・リュートの研究者のようだ。淡々。実に淡々。
枯れている。それが、なんだかバッハの底の底を見せているようで、
オルガン曲だってそうだよね。ある意味で、バッハにとっては
聴衆というのは、意識外だったのではと、強く感じさせる。だから
バッハのとくに、器楽曲は、バッハの本質をつくようで。
リュートのつまびきならばさらに。レオンハルトのチェンバロなども
リュートの音の流れに近い。ほんとにこのリュートすばらしい。
セゴビアのギターなどは、あれは、聴衆を向いて披歴する音楽。
それはそれでいいのだが。

■ブリテンとリヒテルの「シューベルトのピアノデュオ集」2CD

冒頭の「ファンタジー」作品D940がいい。4楽章の幻想曲。まあ、
リヒテルと指揮者でもあるブリテン、この曲を冒頭にもってきているのが、いいなあ。
多分ふたりとも、この寂しさを共有しているのだろう。歌謡的。
いいなあ。滅んでいくような伯父さんふたりの道行。

こんなCDが、500円。おそるべし。

ついでに、105円の文庫本2冊。

■小林秀雄「無常ということ」

■吉村昭「破獄」

昨日、広辞苑で「無常」と「無情」の字義の違いを調べた。
まったく違う意味のようで似ている。死んだ、つまりは
滅んでしまえば同じでも、生きているうちは違う。

いま、ブリテンとリヒテルの最終楽章。
まったくその意味は違うと、さらに思った。

フランスの昔むかしの作曲家、ラモーの恋情に、うっとり。

2011年06月30日 22時04分04秒 | 音楽
このところ、ジャズモードになってクラシック音楽は
あまり聴かなかったが、
マルク・ミンコフスキー指揮のピリオド楽器編成の音が
新鮮で、ベルリオーズの「幻想交響曲」などはたまに聴
いている。
そのミンコフスキー指揮のジャン・フィリップ・ラモー
作曲の
フレーズ断片集ともいえる「想像の交響曲」というのが
あるのだが
これが楽しい。ミンコフスキーの引用創作曲。
憂い、恋情、ゴシップ、哀惜など
フランス小唄の、原型のような旋律。
すこしだけ有名な「めんどり」という題名の曲は
優雅で、粋だなあ。
鶏の鳴き声が、まるで、女の泣き声のようで。
それが、かなしいだけでなく、かわいい。
わがCDライブラリーで、「さて、ラモーって何かあっ
たかな」
と探してみたら、他に、クラヴサン曲集と
ニコライ・ぺトロフが2曲だけピアノを弾いていた。
それで、どれにもこの「めんどり」が入っている。
オーケストレーションとチェンバロとピアノで
ラモー。
ラモーは、1764年に死んだ人。
きっと、粋なニヒリストだったのだろう。


■ずっとずっとあらゆる蒼穹の果てを破砕するマーラーの6番の音楽に生きていたい。

2010年07月31日 19時37分45秒 | 音楽

ここ2、3日は、ずっと
マーラーの交響曲6番ばかり聴いている。

ほとんど、それ以外は聴いていない。

こころのどこかに、底のどこかにこの音楽が
鳴りっぱなし。

第一楽章のアレグロ
第二楽章、スケルツォ
第三楽章、アンダンテ
ファイナル楽章

一気に突破する音楽。

途中のアンダンテは、突破というよりも、
疲れ果てて、死する怠惰に酔うような
草臥れた、焦躁。

遠いのぞみに倦み、諦観だけがのぞみに再生してくるような。

このアンダンテのために聴く音楽か。

とても不思議で、しかも素晴らしい謎なのが
アンダンテが二楽章目にあるものと三楽章目にあるものがあること。

じっくり聴いても、このどちらもが正しいような気がする。

冒頭から、嵐の中を突き進む行進曲のごとく
パッパッパッとパッパッパッと
身体が溶けていく、消滅への情熱が占めて
そこで倒れ伏す。

倒れ伏した、熱情の頭上を、つまり「彼岸」の旋律が
朧の中に揺らぐ。
それがアンダンテ。

マーラーは、自らの停滞に対して苛立っているのか
それとも歴史的な予感に根ざした
呪詛に添うように
ガンガンガーン、ダンダンダンと
ハンマーを打つ。

オーケストラの一楽器の中のハンマー。

それは、陣地をも破いていく
自死の一撃なのだろう。

ザンダー盤
バーンスタイン盤
フィッシャー盤
ツェンダー盤
ボンガルツ盤
アバド盤
パルピローリ盤

と聴く。

ザンダー盤が、好きだ。

絶望の蒼穹を破り捨てる音響。


■久しぶりの与世山澄子の歌声を、Super Audioで聴く。とろとろと、うなだれる。

2010年07月13日 17時17分18秒 | 音楽


与世山澄子の歌を聴く。
ヨセヤマは、沖縄のジャズ歌手。
ずっとずっと以前、アナログレコードの頃から聴いていたが

Sd仕様の音で聴く。

ジャズのスーパーオーディオ盤は、はじめて。

迫ってきます。

ヨセヤマの声。

彼女が根城にしている「インタールード」という店での収録。

スタジオライブ、みたいな感じ。拍手は入っていない。

世に、「ビリー・ホリディみたい」という歌手はいっぱいいるが
彼女こそそっくり。
でも模倣ではない。

ビリー・ホリディみたいで
あげられるのは

日本の美空ひばりと
カーボ・ヴェルディ島のセシリア・エヴォラ

沖縄のヨセヤマでしょうか。

伴奏のゲストに、菊池成孔が混ざっている。
ちょい吹きだけだが
いい雰囲気。

Loverman

Left alone

などの曲もいいが

If

というポップチューンがよかった。

70年代にブレッドというグルーブが唄ってヒットした
甘い曲。聴いたらだれでも知っているメロディ。

それを苦く唄っている。


■古いロックを聴いて、狭いフイールドを楽しむ。

2010年07月09日 18時32分59秒 | 音楽


古い棚を整理していたら、いろんなロックのCDがでてきた。

●ウィッシュボーンアッシュ

70年代はじめの、ここちのいい、ギターバンド。プログレはいってる。
アメリカのブルーズ系統からの脱皮を考えたのだろうね。
軽く甘い耽美の色合いがある。

●ドクターフィールグッド

純音楽だよ、これは。ブルーズ・コンプレックスは超越している。
74年結成だったんだ。野太いギターとのからみ、再認識。
とても鋭い時代感覚。

●マガジン

ハワード・デボォート、大好き。バズコックスもね。この声系統は
マイケル・スタイプへと継承されている。今聞くと、ほのぼのしてる。

●ワイヤー

再認識。すぐれた感覚だったんだ。こんなにカラフルだったとは。
ロックというカテゴリーから、はるかに愉快に逃走してる。

この前、またFMCOCOROで聞いて
フラーコ・ヒメネスのかっこよさ
再認識。一時期、ライ・クーダーなんかとやってたね。

でも、これは、フォークロアとブルーズの融合というか、
自然な、ポルカ。
これがいいね。

ロックの人たちいろいろとやってきたのだろうけど
見えてくるフィールドが驚くほど、ちっちゃく狭い。

この前の「紙子」の合評会以来
最後に、たなかあきみつさんと盛り上がった
バド・パウエルを聴き直している。

ピアノの音、自然な病的ノリで
めりこんだり、ゆがんだりして
人間、器官ブルーズになってる。

バド・パウエルとモンクは、ピアノの感じ
両極端のように言われるけど、
じつは、双児の様相。



■夜は、ハイドンの「十字架上の7つの言葉」をただただ流している。

2010年06月09日 21時48分03秒 | 音楽


帰宅して、ハイドン。
「十字架上の七つの言葉」。

もう、長くこの曲を聴いている。

●唄入りのオラトリオ形式のもの  シャンドール・ヴェーグ 
●弦楽四重奏のもの  スメタナカルテット
●管弦楽のもの  ムーティ VPO 

いろいろとあるが
どれもいい。

きょうは、小編成の管弦楽。
指揮は、Paul Angerer

じつにゆったりと、奏でる。
ここちいい。

舞曲のように、祈りの旋律が滔々と
流れていく。



●ジャズ歌手で大好きなアン・バートンの「BANG BANG」を昼下がりに、だらだらと聴く。

2010年06月09日 16時51分36秒 | 音楽

午後から、アン・バートンの「バン・バン」。
ぼくが中学生だったころに、ソニーとシェールという
夫婦の歌手がいて、ヒットした曲。

女の回想。
幼い頃、射撃ごっこをして遊んでいた男に
BANG BANG!!
とよく撃たれた。
その男とやがて恋に落ち、結ばれる。

そして別れ。

彼は、また私を
BANG BANG!!
と撃った。

というような歌。

アン・バートンの
「BANG BANG!!」の
声がよい。

アン・バートンは、オランダのジャズ歌手。
伴奏の、ルイス・バン・ダイクの
とつとつとしたフォローが
全体にけだるい優しさ。


■フェラ・クティの高速ソリッドなグルーブでアフリカンモードへ。

2010年06月09日 10時57分52秒 | 音楽


ひさびさ。
朝から、南の方のロック。
レナード・スキナードを聴く。

続いて、クロスビー、スティル、ナッシュ 
の「木の舟」。

飽きてきて、いきなり
ザ・ポップグループ。
昔を少し回想しつつ、
またまたいきなり

フェラ・クティ。

すばらしい、高速ソリッド。

アフリカでサッカーだからか。



最近、自宅のパソコンで
ラジコというサービスがあって
FM ココロを聴いている。

先日、「木の舟」がかかり
ちょっと、ロックに戻りつつある。

ジェームスギャングなど
聴きたし。



「紙子」の合評会を
7月2日  金曜日に開きます。

どなたでも、飲み会参加できます。