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文屋

文にまつわるお話。詩・小説・エッセイ・俳句・コピーライティングまで。そして音楽や映画のことも。京都から発信。

●5月28日のイベントのゲストに詩人の建畠晢さんをお招きします。

2005年05月20日 11時00分47秒 | 詩作品

5月28日の京都大学内でのイベントのゲストが決まりましたので
いま一度お知らせしておきます。

日時■5月28日(土)14:00〜17:00
会場■京都大学文学部新館 第三講義室
(百万遍の交叉点を東へすぐ京大の北門からすぐです。)

ゲスト■建畠晢さん(詩人・国立国際美術館館長)

建畠晢(あきら)さんは、詩人でこのたび高見順賞を受賞。
大阪の国際西洋美術館の館長にも就任されました。

我々の詩について、どのようなコメントがいただけるのか
楽しみです。

ぜひとも皆さん多数ご来場ください。

■昔の蝶フリークだったころの高校生活。楽しかったなあ。

2005年03月21日 20時38分58秒 | 詩作品


高校は、蝶で決めた。
大阪府の茨木市の山の中。
関西大倉高校。
スクールバスで山の中を進み、まわりの自然環境を見て決めた。
体育の授業をやっているすぐそばで、気になっていた
ハンノキの林に入っていったらそこは、ミドリシジミが乱舞していた。
昼休み、茨木カントリーというゴルフ場をのぞむ
森の中でウラキンシジミを採集した。
その標本は、いまも健在だ。
授業が終わると、路線バスで、亀岡までよく行った。
茨木と京都府の亀岡市は、隣接している。
これは以外だったが、寂しい路線バスに乗って北へ向かった。
帰りは、夜になって、よく学校に泊まった。
夜、屋上で、無数の流れ星を見た。
次の日も次の日も蝶だけを採った。
生きがいのようだった。
休日は、奈良、兵庫、京都と山ばかり歩いていた。
ゴールデンウィークは、新潟と長野の県境
姫川まで行った。
ヒメギフチョウを採りに行った。
南アルプス、氷ノ山、伊吹山、大山、二上山
など山ばかりに行った。
いつもひとりでただ山を歩いていた。
授業も午後からは、よくキャンセルした。
昼から行方不明になるのだ。


          -----つづく

■「紙子」8号の紹介と掲載詩「固形、パルティータ」

2005年03月04日 23時29分52秒 | 詩作品


同人詩誌、「紙子8号」を紹介しておきます。
2005年1月の発行。

執筆者

落合真司・西田裕美・谷口馨・竹内敏喜・細見和之・
内藤ねり・萩原健次郎・藤原安紀子・小池田薫

表紙は、ぼくの写真。


★★★ご注文いただけたら500円でお送りします。



★ぼくの掲載作品



固形、パルティータ      萩原健次郎



右手、
右手の掌は風、空気。
風を正しい円に丸めて風の珠。
ふうわり握って上の、まだ丘の高みへと。

ひとりでに消えている。


ちいさな子らの、遊びの情熱よりも軽く
手乗りの赤らんだ走っていく人の、あいまいな掌が、

駆けている
ふたつ身、

雲のような音を
双耳の裾にこそばゆく
寝かせて、
とおい田舎の小道を用意しておいたの。

 「低湿地は、死んでから住むところ」
と言ってたのを思い出した。
黄菊の花弁が、乱れて、

 「お土産」と言い捨て
振り返れば正座して赤い着物を着ているものだから「映
画かな」と思った。

夜の中の夜
黒の中の黒

その日の川は、黒い樹脂の底を光らせて
  別に、この世になかってもよかった

夜色の川の中ほどに、花屑がたまって澱んで
咳き込むような紅の花屑が、痛々しく
水を分けていて
捨てたかった。
                                                                                    
双躯っていうんだね。

右手と左手と、首、色に澱んで。咳き込む黒河の流れの
速い真ん中を『彼岸の行き先』立て札。大書して、それ
で涼んでいる。

堕ろさないと。

識別される躯の器官が、はじめからなくて
『ミンチのように、堕ろされる』

あの世の固形。
賽子みたいにあの世が真っ四角になって、連なっている。澱
みの花屑と、双つ。

腕、手、耳、眼、双つ。

固形になっている。
固形、パルティータ。

暗夜の暗河に、
走っていく直光線の感じ。
夜の黒い河と同じ空がひろがっていて、
空にも光の屑が澱んでいて、
召されなかった双躯の屑が、

月と星との中間の大きさの、光の塊。
そこから永遠に放たれる線。


どこまでもとめどなく
パルティータ。

たった一回の直線。
複線で去っていく線が描かれても、その正確さに無情を感じ
ても、鋳型に流し込まれて、その夜は星だらけで、

空で起こったことと
地で起こったことのひとしさは

ひとつにして消した。                                      


★★★詩作品★★★  菫の粉末

2005年03月02日 20時45分45秒 | 詩作品

  菫の粉末    萩原健次郎    





  あなたの粉々。
  こなごなの粉末の、あなたの
  性別すらわからなくなってしまった、爆後の、
  銃撃戦のあとの、肉の記憶を、記憶のままに投擲して放置して
  あなたの粉々とわたしの粉々がまざりあって
  瞬時の霧となる。

  こなごなになろうよ
  誘惑、そして戦争。
  人の恋の、弾の雨。

  ワタシノ ナカニ ナニカガ ハイッテイッタ

  女が挿入される。



  春野の菫は、座っているようだった。
  野に黙って、まあるく座して、
  菫の場所を、私は拝んだ。
  菫を愛した。
  可憐な沈黙を、私も黙って噛んだ。
  菫の母、菫の子を抱いた。
  菫をひとりにしない。
  菫を口に挿入した。

  爆撃の時間を好んだ。



  霧の中で
  菫を食べた私は
  粉々に大地に溶けていく。

  あなたの粉々とともに。

  弾が降る。



  「挿入よりも、死んだほうがまし」

  私は、菫の母と菫の子を粉々に抱きしめた。


  午後の広場で、蒲公英を見ていた。
  あなたの思春を、思いの春を夢見ていた。

  菫が菫であった日を。



  「それでも、粉末になろうね。銃撃されても」



  昨日も明日も
  ぼくたち
  こなごなに
  爆撃してやろう。  

■■■詩作品■■■ 春気の行方

2005年03月02日 20時31分10秒 | 詩作品
春気の行方
             萩原健次郎



    収容される、誰かの内臓の奥に。そこに棲む。眺める。人の臓腑の
    ぐちゃぐちゃした隙間から、想像するという力を捨てて、長々とし
    た臓腑に縛られて。もちろん目も口も耳も鼻も器官という器官が縛
    られて鬱血する。つまり、人が人に寄生しているような。
    寄生先の人間は、いつも笑っていたり悲しんでいたりするが、笑っ
    ている悲しんでいる外界の事情は、さっぱりわからない。ひゃらひ
    ゃらと笑えば、わたしは、ひゃらひゃらと揺すられるだけだ。悲し
    めば、身は、その体内から瞳をめざして突き上げられてわずかの液
    とともに流れ出てしまいそうになる。憎しみや怒りを体内に揺動さ
    せたときが苦しい。長い長い臓腑が硬直してわたしを締め付けて失
    神させる。
    人間は人間とともに、生きている。ときには、人間は人間の中に挿
    入されたり挿入したりして生きている。
    樹の花が目前にあったときに、樹の花の優しさを知らない人と樹の
    花の優しさを知っている人がひとつになっていたら樹の花は、まる
    で天からの使いのように、あるいは全能者のように、花を見る人に
    ある結果をもたらす。仕打ちといってもいい。寄生先と、寄生者は、
    花の匂いに満たされて、午後ならば午後の空気にみまわれる。樹の
    息に体内は密閉される。

  この春の死者たちは
  ひとりで、ふたり分死んでいる。

    春先の猫の声に起こされる。彼も樹の花の匂いに狂わされている。
    散り始めた桜花の、どこで地に消えるかもわからない行方不明の恋
    情を、ありったけのフリーキーな声に交換して、生死の空へ喉を上
    げている。
    ずっと便りを見なかった彼自身の自業自得といえばそれまでだが、
    存在が風景となるこの季節の犠牲になっている。深い河の川岸まで
    歩きつづけて、泣きつづけて、目前には春の水。水面の散華のはな
    びらが、淡い文字を描いているかのように錯覚している。
    足元にまとわりつく、いま生まれたばかりの黒々とした虫のことを
    気にも止めずに草をかきわけて、あるいは、薄い草の生えそろった
    野を滑っていく。

  戻れないけれども
  消えることはできる季節である。

    最初の青空へ消える。わたしはわたしへと浪に打たれ、連れもどさ
    れる。だれが純粋であったのか、春気に試される。舟に乗って戻っ
    ていこうと思う。花びらの散華の文字を掻き乱して。もう一度最初
    の青空まで。
    逆流を行く悲しさや困難は、そのときの青空が慰めてくれるだろう。
    そのときの青空、鈍い青で、白濁が混じり灰に近い遠さを見せてい
    た。誓いながら溶ける。樹の花の匂い、わびしさの使者だったのだ
    ろう猫の彼も水に投げ捨てて、空に舟を。

  折り畳む、音に入る。

    可憐なピアニスト求む。可憐ならば、生きられる。可憐に寄生する
    こともまた、許されてもいい。樹の花よりも菫。どんなに悲嘆して
    も可憐な消滅。その便りを待つ。春の使者の可憐を嫉む。
    譜面の読み方を忘れたその人のような、痴呆に近い可憐なのだと大
    気に満ち満ちた桜花の匂いが知らせる。青空にピアノ音。半世紀以
    上も前の空。わたしが生まれたころのピアノ音。

  青空と
  樹の花の匂いと
  猫の彼の泣き声と
  空の舟と
  可憐なピアノ音と
  生まれたころの記憶と 
  生きてきた譜面と

  すべての春気とともに
  折り畳まれる