札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

「小樽市の歴史的建造物 ①」

2022-02-14 15:40:28 | 小樽市

 

始めにブログをスタートした時に参考にしたのは、「小樽の建築探訪」(1995年北海道新聞社発行)の本であった。

その後に「小樽市の歴史的建物」という文献も参考にさせていただいている。
この本は小樽市民であれば小樽市図書館で借りることが出来るが、札幌では
中央図書館で閲覧しか出来ない。

歴史的建造物の実態調査として1992年~1994年に実施され
日本建築学会北海道支部の編集により、小樽市教育委員会から1994年に発行された。

すでに歴史ある建物の約30年前の調査なので、現存している建物は半分くらいか?
また今後も取り壊しが考えられるので今回はこの文献から可能な限り記録しておきたい。

 

*町ごとに現存し撮影した建物だけ記載します
*町のコメントはwikipediaと私的所感です
*名前は1994年発行時のものです
*「小樽の建築探訪」とダブリます
*未訪問は訪問後に追加していきます
*現役個人宅は町名まで
*wikipedia、google streetview引用

 

【忍路】

小樽市西部、日本海に突き出した忍路半島とその基部に位置する。
海岸線はニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定されており、景勝地が連なっており
また、山側のフルーツ街道沿いは、リンゴ、ブドウなどが栽培されている。

古くはニシン漁で栄えた。北海道民謡・江差追分にも、

「忍路高島およびもないが せめて歌棄磯谷まで」
と、地名が歌いこまれている。

1906年(明治39年)忍路村、塩谷村、桃内村、蘭島村が合併し新たに塩谷村となった。
1958年(昭和33年)塩谷村が小樽市に合併しその一部となる。

長くニシン漁で栄えたが、昭和30年(1955年)以降、ニシン水揚量が激減し、それに連れて過疎化が進んだ。

 

『旧渡辺石蔵宅』 忍路1丁目 大正期


2020年10月撮影

 

『忍路神社拝殿』 忍路1丁目 大正9年


2020年10月撮影

 

『津古丹稲荷神社本殿』 忍路1丁目 嘉永2(1849)年


2020年10月撮影

 

『北海道大学共同利用施設 忍路臨海実験所』 忍路1丁目460 大正13年(1924年)


2020年10月撮影

 

 

【塩谷】

1870年(明治3年)塩谷村が成立。
1906年(明治39年)に周辺の蘭島村、忍路村、桃内村と合併し、新たに二級町村制施行、塩谷村となる。
1958年(昭和33年)塩谷村が小樽市に合併し、その一部となる

古くから小樽市民の海水浴場として親しまれる
また国道5号線を挟み、山側にJR駅があり、登山の塩谷丸山は天狗山まで通じる。

 

『徳源寺本堂』 塩谷2丁目25-1 明治30年(1897年)


2020年10月撮影

 

『徳源寺龍神堂』 塩谷2丁目25-1 明治30年頃(1897年)


2020年10月撮影

 

【オタモイ】

塩谷海岸から東方へ進むと断崖絶壁のオタモイ海岸に続く
古くからの市民の観光地としてオタモイ遊園地があった。

遊園地閉鎖後は海岸まで車で行けたので海水浴やキャンプ、釣りやハイキングなどに利用された街である

オタモイは「砂の入り江」を意味するアイヌ語が語源。

「オタモイ遊園地」

小樽で割烹料亭「蛇の目」の経営者が、リゾート施設に着手し、1934年に開園。
演芸場や大衆食堂、遊具広場がそろい、夏は海水浴客でにぎわい、1日で数千人が訪れる人気行楽地となった。
特に人気を集めたのは、断崖に建つ高級料亭「龍宮閣」だった。
しかし、度重なる災害、火災に見舞われ悲運をたどり、計17年間ほどしか営業できないままに廃墟と化した。

オタモイ海岸周辺は1963年にニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定された。
現在は相次ぐ落石で現在はオタモイ遊園地への道は閉鎖され、海上から唯一、その姿を偲ぶことができる。

 

『龍宮閣 唐門』 オタモイ1丁目 昭和7年(1932年)


2020年10月撮影

 

 

【長橋】

東は色内、石山町、清水町、西はオタモイ、塩谷、南は旭町、緑、富岡、北は幸と接する。

1915年小樽区の町名改正に伴い、手宮裏町より長橋町、砂留町、坂本町、松山町が分立
後に、砂留町、坂本町、松山町が編入されるとともに周辺部との境界変更があり、現在の区域となる。

蘭島、余市町から小樽市内中心部に入るときに国道5号線がある長橋を通る
長橋は「ながはし」と発音される。

 

『S氏宅』 長橋 昭和2年(1927年)


2021年4月撮影

 

【清水】

清水町がある地区は小さな町が隣接している古い町で
運河や小樽水族館とも離れており坂の多い住宅地といった所か

マップで見ると「中野植物園」が目立っている。

「中野植物園」
明治41年創業の100年を超える私設植物園である
「レトロ」「ノスタルジック」の言葉に代表される不思議な感覚の植物園です。

 

『旧阿部三郎宅』 清水 大正15年(1926年)


2020年10月撮影

 

 

【末広】

末広町も清水町同様に小さな海のない南北の街である。

東側は手宮公園と小樽市総合博物館本館に面している。

末広町といえば歴史的建造物の多い函館市末広町が有名だが
小樽市の末広町も古い町だけあって町の面積にしては古い建物が
残っていた。

 

『旧日本郵船(株)支店長宅』 末広3-7 明治期


2021年4月撮影

 

『旧日本郵船(株)社宅』 末広 明治末期
『旧日本郵船(株)独身寮』 末広 明治期


2021年4月撮影

 

『S氏宅・蔵』 末広 明治36年頃(1903年)


2021年4月撮影

 

『旧大庭素彦宅・蔵』 末広 大正15年(1926年)*現総本家 日野


2021年4月撮影

 

『旧四谷宅・店舗』 末広 大正15年以前


2021年4月撮影


 

【梅ヶ枝】

小樽市は坂の街だけあってほとんどの町が坂に面している
梅ヶ枝町も小さな町の中に坂を持っており
住宅が多く建っている。

場所は清水町と末広町に挟まれた町である。

 

『K氏宅・旧K氏所有宅』 梅ヶ枝 大正2年以前


2021年4月撮影



【錦】

錦町は市内中心部により近くなり、小樽の町としては平地が多い
ゆえに住宅や商店が多く、古くからの建物が結構残っている町だ。

北運河が間近にあり敷地のほとんどを住宅クラスの建物が多い。

 

『旧梶山鉄工所』 錦4-10 


2021年4月撮影

 

『旧金子魚問屋』 錦11 昭和3~4年(1928~29年)


2021年4月撮影

 

『旧勢月菓子舗・いせや』 錦15 昭和3~4年(1928~29年)


2020年10月撮影

 

『N氏宅・蔵』 錦 明治5年(1872年)


2020年10月撮影

 

『富士の湯 住宅』 錦21 昭和初期


2020年10月撮影

 

『旧土屋質店蔵』 錦22 大正4年頃(1915年頃)


2021年4月撮影

 

 

【豊川】

豊かな川の町名だが、それは手宮川のことで清水町なんかも川の意味がありそうだ
現在は川に蓋をしたようなイメージで道路などになっている。

隣接する小さな町と同じく地元の住民じゃないと町の境界はわからなそうだ
中心を貫く薬師神社の坂には古くからの住宅がまだ残っている。


『旧米林薬店』 豊川 昭和5年(1930年)


2021年4月撮影

 

 

【石山】

JR小樽駅を出て目の前の国道5号線を左に見ると突き当りに小高い丘がある
そこは「手宮富士」という小さな低い山であるが、その北側のすそ野に広がるのが石山町である

いきおい建物は北へ下る坂に面しているのが多い
この町も古い町で木造住宅が現存している町である。


『旧立野甚蔵宅・蔵』 石山 昭和3年(1928年)


2021年4月撮影

 

『旧磯野宅』 石山 昭和3~4年(1928~29年)


2021年4月撮影

 

『旧乾家所有貸家』 石山 昭和8年(1933年頃)


2020年10月撮影

 

『旧毛利家別荘』 石山 大正初期


2021年4月撮影

 

『旧乾宅』 石山 昭和4年(1929年)


2021年4月撮影

 

『旧相馬別宅』 石山 大正11年(1922年)


2021年4月撮影

 

『旧宮岸宅』 石山 大正12年(1923年)


2021年4月撮影



【祝津】

祝津は小樽市の最北端の一角を占める町で
その海岸はニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定されている

山から一気に海に降るような地形で北側は断崖絶壁で日本海がさえぎる物なしで見れる。
また小樽水族館、遊園地、いくつもの番屋、ニシン料理の食堂やリゾートホテルなど小樽市民に馴染みが深い。

 

『旧青山別邸』 祝津3丁目63 大正12年(1923年)*現旧青山別邸 小樽貴賓館


2020年10月撮影

 

『旧青山元場一、二番蔵』 祝津3丁目117 


2020年10月撮影

 

『旧茨木興八郎宅 文庫蔵』 祝津3丁目145


2020年10月撮影

 

『旧茨木興八郎宅文庫蔵』 祝津3丁目145


2020年10月撮影

 

『旧茨木興八郎番屋』 祝津3丁目145


2020年10月撮影

 

『旧茨木家中出張番屋』 祝津3丁目165 明治後期


2020年10月撮影

 

『恵美須神社本殿』 祝津3丁目161 文久3年(1863年)


2020年10月撮影

 

『旧白鳥永作番屋』 祝津3丁目191 明治10年代


2020年10月撮影

 

『旧近江家番屋』 祝津3丁目280 明治初期


2020年10月撮影

 

『旧田中家住宅』 祝津3丁目228 明治30年(1898年)*鰊御殿


2020年10月撮影

 

 

【高島】

市内中心部から祝津に行くときに通る海沿いの町で
祝津同様に山から降るような町だ。

高島漁港を擁し漁業を基幹産業としており
1940年(昭和15年)には高島町が小樽市に合併しその一部となるまで
漁村として独立した街であった。

高島町内を山~海沿いまでのバス路線があり、
大変狭い道路を走るので高島を走れたらどこでも運転できると元運転手さんが言っていたなぁ。

 

『旧高島町役場庁舎』 高島4丁目1-1 昭和10年(1935年)


2020年10月撮影

 

 

【手宮】

手宮は1880年(明治13年)北海道で最初の鉄道(のちの国鉄手宮線)が手宮-札幌間に通じ、北海道鉄道発祥の地として知られている

手宮線が廃線となった現在では、「小樽市総合博物館」を中心に小樽市の主要な歴史・文化・観光エリアの一つとなっているが古くからの人には前身の「鉄道記念館」のほうが馴染みがある
又、旧手宮線は廃線路一帯を残し観光客の散策路にもなった。


『旧手宮機関車室』 手宮1丁目3-2 昭和18年(1885年)


2020年11月撮影

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿