オランダには1泊しただけ。
そのわずかな時間を利用してライデンを訪れました。
ライデンの街の中心にあるライデン大学は日本研究で有名な大学。
また、日本を追放されたシーボルトが住んでいたのもライデン。
シーボルトは1823年オランダ政庁の医官として
日本のオランダ商館に派遣されました。
1830年に日本を離れるまで、植物学、鉱物学から
実用品、美術品に至るまで、実にさまざまなものを収集しました。
それを展示してあるのが、シーボルトハウス。
シーボルトが実際にその館を1830年に購入し、
日本で収集したものを展示していたのです。
幅広い分野に渡る展示物。
日本ではもう手に入らないものもあります。
シーボルトハウスという名がついているものの、
さながら民族学博物館日本館とも呼べるようなもの。
江戸時代の息吹が感じられます。
シーボルトハウスの近くにある国立民族学博物館へも行ってみました。
そこにも日本のものがいろいろ展示してありましたが
シーボルトハウスのほうが興味深かったです。
インドネシア好きの私としては、インドネシア関係が充実しているのが
むしろ嬉しかったです。
ヒンズー教では「定番」のかわいいガネシャがどっかり座っていたり、
インドネシアの剣、クリスがたくさんあったり。
オランダの歴史をもっと紐解いてみたくなりますね。
そのわずかな時間を利用してライデンを訪れました。
ライデンの街の中心にあるライデン大学は日本研究で有名な大学。
また、日本を追放されたシーボルトが住んでいたのもライデン。
シーボルトは1823年オランダ政庁の医官として
日本のオランダ商館に派遣されました。
1830年に日本を離れるまで、植物学、鉱物学から
実用品、美術品に至るまで、実にさまざまなものを収集しました。
それを展示してあるのが、シーボルトハウス。
シーボルトが実際にその館を1830年に購入し、
日本で収集したものを展示していたのです。
幅広い分野に渡る展示物。
日本ではもう手に入らないものもあります。
シーボルトハウスという名がついているものの、
さながら民族学博物館日本館とも呼べるようなもの。
江戸時代の息吹が感じられます。
シーボルトハウスの近くにある国立民族学博物館へも行ってみました。
そこにも日本のものがいろいろ展示してありましたが
シーボルトハウスのほうが興味深かったです。
インドネシア好きの私としては、インドネシア関係が充実しているのが
むしろ嬉しかったです。
ヒンズー教では「定番」のかわいいガネシャがどっかり座っていたり、
インドネシアの剣、クリスがたくさんあったり。
オランダの歴史をもっと紐解いてみたくなりますね。
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