今日、あっという間に読んでしまった対談集です。
(表紙に書かれた、通りいっぺんの見出し言葉は余計で、
買う人が減らないか心配です)。
表紙写真左側の辺見庸さんは珍しくそれほど暗い雰囲気がしませんが、
目取真俊さんはそのまんまで(笑)、
日本に深く絶望する二人の対話です。
私とて日頃は明るく振舞っていますが(笑)、
今の日本がどのように絶望的かを見極めるために
自分の残りの日々があるような気がする今日この頃ですので、
二人が話すことの一つひとつが深く胸に沁みました。
宮城県石巻出身の辺見庸さんは、
『自動起床装置』で芥川賞を受賞し、
その後も、『もの喰う人々』で講談社ノンフィクション賞、
詩集『生首』で中原中也賞、『眼の海』で高見順賞、
『増補版 1★9★3★7』で城山三郎賞を受賞するなど、
受賞歴だけでもたいへんなもので、
一度の講演で何千人もの聴衆を集める作家です。
中には何度も聞きに行く人もいます。
しかし、その人たち全ての心に、
彼の剃刀のような感性が深く入っていくかどうか、
疑問に思うことがあります。
「ニッポンは戦後一貫して『なーんちゃって』正義の国だった」
「盗聴がまかり通り、密告が奨励され、
市民が相互監視する社会でありながらも、
表面上は穏やかな社会が、ヤマトウにはある」
「我々ホンドの人間の内面はよれによれちゃって、心的に複雑骨折している」
「日本も自分ももう終わった」
と辺見さんが語る「ホンドの人間」には、
彼の講演を聞きにいく聴衆の多くも(実は私も一回行きました)含まれています。
早い話が、
数々の賞を受賞した有名作家を見に行くという、
言わば、動物園にパンダを見に行くのと同様の、あるいは、
美術館にミケランジェロ展を見に行くのと共通する心理が、
多くの聴衆の心にないと言えるでしょうか。
辺見庸さんの身を削る言葉を心で受け止めたとしたら、
自分の人生が少しは変わらないとだめじゃないですかね。
辺見さんは自分の表現が相手の懐深くに到達しないことの、
火に焼かれる苦しみを何十年も舐めながら生きていると
私には思えます。
しかし、そんな辺見さんが生きて、存在していることが
私の救いであります。
目取真俊さんは、沖縄今帰仁村出身の作家で
『水滴』で芥川賞等を、
『魂込め』で川端康成文学賞等を受賞しました。
ヘリパッド建設反対の抗議中、機動隊に「土人」と呼ばれ、
キャンプシュワブゲート前の座り込みでは、
米軍基地内に引きずり込まれ、6時間も拘束された人です。
私も、ゲート前で1、2度お顔を拝見したことがあります。
今も毎日、辺野古の海にカヌーで漕ぎ出し、
「50代の最も創作できる時期にもかかわらず、
毎日、基地建設工事反対のために疲れ果てて、
ブログを書くのが精一杯です」
と語る目取真俊さんの小説、実は私、なんも読んでないので
この対談で辺見さんが何度も話題にしていた短編『希望』だけは
この夏休みの課題図書とします。
〈付録〉
目取真俊さんのブログ「海鳴りの島から」
https://blog.goo.ne.jp/awamori777
私にとって辺見庸さんは名前を口にするだけでもう心がしんとなる人なのですが、この対談集の最後のほうで、「なにをどうやっても、もうダメだと思っている。疲れている。」と辺見さんが書いているのを見たとき、涙が噴出しました。脳溢血、癌、東日本大震災、福島原発事故・・・・・・。「言葉が今、言葉として人の胸の奥底に届かなくなっており、自動的記号としてそらぞらしく発声して、人々を抑圧している」という自覚を抱えつつ、それでも、まだ、辺見さんは生きています。
対談の中での、目取真俊さんの高橋哲也批判は面白かったです。
お読みになっての、雀(から)さんの感想も教えてくだされば嬉しいです。
(角川新書¥800+税金)