毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「『命の選別』大西つねき発言をめぐって」No.3920

2020-07-11 00:23:18 | 人間

都知事選の結果が出た直後に

この大西つねきさん(れいわ新選組公認・経済専門家)の

「命の選別」容認発言が問題になり、

それは都知事選の山本太郎さんの敗退以上に

私の心身に応えるもので、

正直、衝撃に耐えられず寝込むしかありませんでした。

 

これまで大西つねきさんの動画を数回見ていましたが、

基本的には、

一刻も早く、子どもたちの未来を回復させなければならない、

そのためには経済が社会を救う要であるとして

経済政策理論を熱意を込めて語っていた人です。

つまり、基本的に「とてもいい人」でした。

 

今回問題の「命の選別」容認発言というのは、

「年配者の命を削るのは

子どもや若者たちが生きていくために致し方ない。

それをするのが政治の仕事だ」

という内容だったと認識しています。

この発言は麻生太郎副総理・財務相の

「年寄りはいったい、いつまで生きるつもりかね」

という発言とニュアンスこそ違いますが、

通底しているのは、

「政治はある一定の年配者が生きることを支援すべきでない」

ということです。

私も十分に年配者ですので、

自分の生き死にを政治(家)に決められるのは心外で、

(あんた何様?!)と怒鳴りつけたい思いです。

 

しかし、冷静に振り返れば、

かつて、子どもの「間引き」が珍しくないほど貧しかった

日本の農村部では、

「姥捨て」というシステムが保持され、

村全体の体制を維持していた歴史的事実があります。

全体を保持するためにマイナス面を削いでいくというこの考えは、

功利主義の考え方「最大多数の最大幸福」と重なるもので、

大西つねきさん、麻生太郎さんもこの考えに近いと

私は思います。

功利主義は歴史上、

富が社会全体に行き渡るには絶対量が不足していた時代の

人類の知恵だったというのが、私見です。

 

功利主義における「最大多数・最大幸福」概念の特質は

それが数値化・データ化されるものであり、

幸福度、及び、幸福であるべき人間もデータ化の対象なので、

そこに「人間=数値・データ=相対価値」という発想が生まれます。

また、「最大多数」という言葉には、

そこからこぼれ落ちる少数者の存在が前提としてある、

と私は考えます。

これは

「個人は人間として無条件に他に代えがたい価値ある」

という日本国憲法の天賦人権思想、ならびに

れいわ新選組の根本理念「誰でも生きていていいんだ」

とは相容れない考えです。

大西さんはこの人権思想とれいわ新選組の基本理念を

否定する意見だと言わざるを得ません。

 

何十年か前、酒鬼薔薇聖斗事件(神戸連続児童殺害事件)が

ありましたね。

少年Aはもう成人して社会人として生活しているそうですが、

当時、少年Aは殺した子を「NG」の存在と捉え、

自分は「この世に間違って送り込まれたものを

地獄に送り返す天使だ」と夢のお告げがあり、

それを信じたとのことです。

4年前には植松聖事件(障碍者施設殺傷事件)がありました。

障害者は社会にとってマイナスになる存在なのだから

自分が除去してやるべきだという使命感を持っていました(す)。

 

大西つねきさんの「政治の仕事は命を選別することだ」

という発言は、生きていては全体のためにならない命を

社会から除去すべきだという考えであり、

私怨でなく、淡々と公務として、或いは、使命感を持って

為すべきことだと主張している点で戦慄を覚えます。

私たち年配者は「NG」「マイナス」の当事者なのですから……。

思えば、ナチス時代のドイツやポーランドでは

その考えが本当に「最大多数の幸福」だったのです。

普通の善良な人々が、毎日、毎日、

ユダヤ人を実際に殺し続けました。

殺した後、家に帰って家族と楽しい夕食時間を過ごし、

子どもたちに優しく微笑んだりもしていたでしょう。

ことほど左様に、

善意の道は地獄への門へと通じることが多いのです。

その分岐点は「人を人と思わなくなる」ことではないでしょうか。

大西さん・麻生さんの考えによれば、

私たち年配者は「人」ではなく、

全体にとってマイナスとなる「年配者」というデータなのです。

 

山本太郎さんが、最初、大西さんを党から除籍すると言わず、

考えを変えてもらう手立てを尽くすと言ったのは、

「(大西さんを含む)一人ひとりがかけがえのない存在だ」

という人権思想・れいわ新選組の理念に基づいていると思います。

しかし、つい先ほどニュースで知ったのですが、

「彼の発言は除籍に値する」と述べたと。

それは正しいと思います。

れいわ新選組は政治政党であり、社会に対する責任があります。

れいわ新選組の基本的考え「全ての人は生きていていいんだ」

と合わなければ、

大西さん自身が離党するか、

さもなくば党が大西さんを除籍して、

社会に対して責任を取らなければなりません。

除籍して、その後、学習機会を設けることもできるのです。

「除籍」は「除去」・「抹殺」ではありません。

大西さんは一朝一夕に今の思想を

作り上げてきたのではないので、

自分の人間観を見つめなおし、

何が問題なのかを根本的に変えていくのには時間が必要です。

一週間以内に「反省・謝罪・動画削除」したのは

表面的に世間の批判を受け入れたに過ぎない、

判断せざるを得ません。

彼のような幾何学的思考・データ思考の持ち主は、

データに基づき機械的に「反省・謝罪」することも

瞬時に判断できるのですから。

 

それにしても、

山本太郎さんもここ数日、

布団をかぶって寝込んだのではないかと

思えてなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「玄関前で『アブラカダブラ... | トップ | 「おばあちゃんの体験談」No.... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

人間」カテゴリの最新記事