毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「中村医師を防衛するため銃弾に倒れた5人のアフガン人をも悼む長男、健さん」No.2722

2019-12-13 21:49:48 | 反戦平和

   

12月4日、中村哲さんを襲った武装グループは、

中村さんのガード係、運転係の全員をも殺害しました。

その中には本来、外出警備の担当ではないのに、中村哲さんを尊敬するあまり

頻繁に同行していた方もいらっしゃったそうです(エマルさん)。

↑命をかけて中村哲さんの警護や運転の任務につき殺害された五人のアフガンの方々

  Emal Manduzay(エマル・マンドザイ)さん  

  Zainullah(ザイヌラ)さん  

  Abdul Qoddus(アブドル・コドス)さん  

  Juma Gul(ジュマ・グル)さん  

  Sayed Rahim(サイエド・ラヒム)さん  

5人の方々はそれぞれ1〜6人のお子さんのお父さんで、

Juma Gulさんの1歳のお嬢さんは心臓に穴が開く病気だそうです。

https://twitter.com/mahdiakhlaqi1/status/1204637239822733312

  ←ツイッターより 

私は中村哲さんの死ばかりを悲しんで、

5人の方々も同時に殺害されたことへの想像力が至りませんでした。

中村哲さんの長男、健さんが

その方々へのお悔やみを述べられたことで、

ようやくその意味に気がつきました。

中村哲さんは、たった一人ぼっちで襲われたんじゃなくて、

必死に守ろうとしてくれた人たちが周りにいたこと。

その方たちも、無残に殺されてしまったこと。

その方々の家族が悲嘆にくれていること。

命は、一人ずつ、対等に大切であること……。

 

下は西日本新聞に掲載された中村哲さんのご長男、健さんの告別式での挨拶です。

(ご両親譲りなのかなあ、思いやりが半端じゃないな)と噛み締めて読みました。

ーーー父をご支援頂いた皆様へ

 この度の父・中村哲の訃報に際し、親族を代表いたしまして、皆様へご挨拶をさせていただきたく存じます。私は故人の長男で健と申します。

 最初に申し上げたいのは、父を守るために亡くなられたアフガニスタンの運転手の方・警備の方そして残されたご家族・ご親族の方々への追悼の想いです。申し訳ない気持ちでいっぱいです。悔やんでも悔やみきれません。父ももし今この場にいたらきっとそのように思っているはずです。家族を代表し心よりお悔やみを申し上げます。

 私たち家族は今回の訃報に大きなショックと深い悲しみに苛まれました。しかし、多くの方々がともに悲しんで下さり、私たち家族へ多くの激励の言葉をかけて下さっています。本当に救われています。

上皇様ご夫妻からのご弔意の賜わりをはじめ、いつもそばで父を支えてともに活動して下さり、これからも継続の意向を示してくださっているペシャワール会の皆様、アフガニスタン国での父の活動に賛同しご支援をいただいている大統領をはじめ政府関係の皆様、同じくアフガニスタン国の大変な環境にある作業現場の中で父とともに活動をしていただいているアフガニスタン国の国民の皆様、父の活動にご賛同いただきご支援をいただいている日本の皆様、そして今回の訃報から父を遠い異国に迎えに行くにあたり早急にそして最短の移動スケジュールでいけるようにご配慮していただき、宿泊先まで手配していただいた外務省・大使館・政府関係の職員の皆様、どんなに感謝しても足りません。父が今までもそして命がなくなってもなおアフガニスタンで活動ができるのも偏に皆様のご賛同・ご協力のおかげとしかいえません。

 また今回の事件で警察、航空会社、葬儀会社、保険会社に関わる皆様にはいつも私たち家族の気持ち・立場に立っていただいています。そして24時間、どんな時でも真摯な対応をしていただいています。私たち家族は、皆様のおかげで不安・悲しみの気持ちから本当に守られています。感謝しています。

 生前、父は山、川、植物、昆虫、動物をこの上なく愛する人でした。家ではいつも庭の手入れをしていました。私が子供の頃はよく一緒に山登りに連れて行ってもらいました。最近も、父とはよく一緒に山に登っていました。遊びに行くときは「できればみんなで行こうよ」、「みんなで行った方が楽しいよ」ということを言っていました。みんなと楽しみたいという考えの人でした。

 また父がアフガニスタンへ旅立つとき、私と2人きりで話す場面ではいつも「お母さんをよろしく」「家をたのんだ」「まあ何でも一生懸命やったらいいよ」と言っていました。その言葉に、父の家族への気遣い・思いを感じていました。

 今、思い返すと、父自身も余裕がない時もきっとあったはずです。いつも頭のどこかで家族のことを思ってくれている父でした。父の、自分のことよりも人を思う性格・どんなときも本質をみるという考えから出ていた言葉だったと思います。その言葉どおり背中でみせてくれていました。

 私自身が父から学んだことは、家族はもちろん人の思いを大切にすること、物事において本当に必要なことを見極めること、そして必要なことは一生懸命行うということです。私が20歳になる前はいつも怒られていました。「口先だけじゃなくて行動に示せ」と言われていました。「俺は行動しか信じない」と言っていました。父から学んだことは、行動で示したいと思います。この先の人生において自分がどんなに年を取っても父から学んだことをいつも心に残し、生きていきたいと思います。

 最後に親族を代表致しまして皆々様からの父と私たち家族へのご厚情に深く感謝いたします。

親族代表 故人・長男中村健

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/567227/ 西日本新聞

 ↑ツイッターより

中村哲さんを通じて、

遠かったアフガニスタンと、

そこに暮らす方々が急に身近に感じられてきました。

でもね……。


 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「一ヵ月半の苦闘後、ちょっ... | トップ | 「冬なのに蚊に刺される菏澤... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こきおばさん様 (ブルーはーと)
2019-12-16 01:11:36
私も毎日、中村哲さんのことを思って泣きながら働いています・・・・・・。
返信する
親の姿勢 (こきおばさん)
2019-12-14 07:11:06
「この父にしてこの子あり」
この言葉がそのままだと思います。
私も一応中村医師と共に警備していた人たちの命も失われた事は、そのご家族のことも考えてはいましたが、政府関係者や保険会社までは考えもしませんでした。
お父上譲りの周囲への気遣いや、今の政権の「自分」第一ではなく「他」を大切にする姿勢に教えられました。

 今なお大事な方を失った悲しみからなかなか抜け出せないでいます。
返信する

コメントを投稿

反戦平和」カテゴリの最新記事