りゅうちぇるさん。1995年9月29日沖縄県宜野湾市生まれ。
1995年9月と言えば、忘れもしないあの、
沖縄駐留米軍兵士3人による
小学生の女の子(12歳)の拉致・集団強姦事件が発生したときでした。
日米地位協定の決まりで、日本側警察が被疑者を逮捕もできず、
被疑者の身柄拘束・取調べすらできなかったという
日本にとって屈辱的な事件で、
そのとき大田知事を筆頭に8万5千人もの県民が
宜野湾市で抗議集会を行ったんでした。
ついこの間のことのように思えるのに、
りゅうちぇるさんはその時、宜野湾で生まれた子だったんですね。
ファッションや表現の感性が圧倒的に若者に支持されているという
りゅうちぇるさんのインタビュー記事が、
「沖縄戦争犠牲者追悼の日」の前に朝日新聞デジタルに載っていました。
毎年、6月23日の「慰霊の日」には
小学生や中学生が実にしっかりと戦争と平和について発言します。
(ネトウヨがよく「あれは大人に言わされている。」
「子どもがあんなこと考えられるわけない」と攻撃しますよね)
りゅうちぇるさんの話を読めば、
もうネトウヨもそういうこと言えなくなるはずです。
ーーー朝日新聞デジタル6月21日より一部転載
戦没者追悼式で「平和の詩」を朗読する子どもたちの姿は、沖縄にいた時からテレビでよく見ていました。
6月23日の「慰霊の日」は学校が休みですし、夕方のニュースでも朗読の様子が流れる。
沖縄では結構有名だと思います。
あの場で朗読するのが子どもだから、意味があるのかな。
自分と同じ世代の子たちですから、ひとごとじゃないと思えましたし、刺激を受けて、戦争のこと、平和のことを考えるきっかけになっていたと思います。
沖縄って、戦争について知る機会がすごく多いんですよ。
朗読する子たちがあそこまで考えられるのは、そういう環境があるからかな。
社会科見学では防空壕に行くし、不発弾もよく見つかる。
隣には米軍基地があって、なぜ基地があるのかといったら戦争の話になる。
とても身近です。
僕のおばあも沖縄戦を経験しました。
壕の中に隠れていた時、中で赤ちゃんが泣き出しちゃって。
そうしたら日本兵が「うるさい、殺せ」って、本当に殺したらしいんです。
ぽつぽつと話してくれました。
「戦争は人を変える」って。
【沖縄の祈り「うーとーとー」、思い今も変わらず】
学校の平和教育も盛んで、ひめゆり学徒隊の方の話を聞いたことをよく覚えています。
「戦争の怖さ、自分の経験をつないでいきたい」って話していたことが印象的でした。
きっと話したくない話なのに、勇気を振り絞って話してくれたんだと。
6月は、沖縄全部が「改めて平和について考えよう」という空気になりますね。
ニュースでは戦争の話が増えるし、学校でも「月桃(げっとう)」という沖縄戦の歌を歌います。
そこで何も思わない方が不思議。
沖縄って、ハッピーで明るいというイメージですけど、6月23日の雰囲気はとても重いです。
どーんって感じ。
沖縄では手を合わせて祈ることを「うーとーとー」と言いますが、上京してからも思いは変わらなくて、バイトをしていても仕事をしていても、慰霊の日の正午には必ずうーとーとーします。
大人になって大切な人ができて、昨年7月には長男も生まれました。
家族の存在の大きさを知ると、戦争や平和のことをますます考えさせられます。
戦争が起こる理由を考えると、戦争の怖さが薄れた時に戦争しようとなっちゃう気がするんですよね。
沖縄以外では慰霊の日のことをあまり知られていないことに驚いたし、だからこれからも発信していきたいと思います。(聞き手・角詠之)
↑りゅうちぇるさんのインスタグラムより
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〈月桃(げっとう)〉 沖縄のシンガー・ソングライター、海勢頭(うみせど)豊さんが1982年に発表した楽曲。沖縄戦があった春から夏に咲く花・ゲットウをモチーフに、「摩文仁の丘の/祈りの歌に/夏の真昼は/青い空」など沖縄戦の犠牲者を悼む心を歌う。96年の映画「GAMA 月桃の花」の主題歌などに使われたほか、沖縄県内のほとんどの学校で合唱曲として歌われている。
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月桃の花