毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「兵士の休憩道具に女性の身体を使う思考を憎む」2013年5月15日(水) No.650

2013-05-15 22:45:04 | 日記
今一度、自分を鞭打って橋下発言を取り上げる。
昨日は私の橋本への不快感をただ「けだもの」と「糞野郎」ぐらいしか
言っていなかったので、何か心残りなのである。
橋本発言をもう一度、端折らずに書くと以下の通りだ。

「銃弾が雨、嵐のごとく飛び交う中で、命を懸けて、
そこを走っていくときに、
猛者集団と言いますか、
精神的にも高ぶっているようなそういう集団を、
やっぱりどこかで、
まぁ休息じゃないけれども、
そういうことをさせてあげようと思ったら、
慰安婦制度というものが必要なのは、
これは誰だってわかるわけです」(
13日フジTV)

①橋本は、銃弾の中を命かけて戦う猛者集団の存在を前提にしている。
これは、戦争肯定に一歩積極的に近づいたものとみなすことができる。
戦闘というハードな仕事には休憩が必要ですよね~。
と、さりげなく、戦争をサラリーマンの仕事と同列に扱っている橋本思考。
橋下さん、あなただけ、一人でやってください。
戦争を肯定するなら。


②「まあ、休憩じゃないけれども、そういうことをさせてあげようと・・・」
このずるい表現法は、「休憩じゃない」と言いつつ、「そういうこと」とは、
「「休憩」を指している。
つまり、猛者集団に休憩をさせてあげようとしたら、
慰安婦制度が必要だ、と言っている。
慰安婦制度というのは、曖昧な表現である。
はっきり言えば、
「兵士がセックスをする道具として女性を使用する制度」
である。
「今日は5人も殺しちゃって、精神が高ぶっちゃったから、
ちょっと女とセックスして気持ちを休めようぜ」
というノリの発言である。
戦争ということを度外視して考えても
これは女性を人間としてみていない『世界は男で成り立っている』思い込み思考で
石原慎太郎の
「子供産まない女性は生きている価値がない」と双璧をなすレベルの偏狭さだ。
「ちょっと」の後に
「カラオケして」「シャワーを浴びて」「アニメを見て」・・・
など、神経を休めるためのいろいろな方法を考えてみよう。
「女とセックスして」というのは、
カラオケセットとかシャワーの風呂道具とか、DVDとかと
同列に「女」が並べられているのである。
これに腹の立たない女性がどこの世界にいるだろう。
「女」はカラオケと風呂道具とDVDと同じ括りにできると、
橋本の汚物野郎は、なんの迷いもなくスラスラと語るのである。
戦時中、道具として、意志を殺され、暴力で強制されて
並ばされ、陵辱された女性達。
それが慰安婦だったのだ。
それをまた、周囲の報道陣も誰も、ボ~としていて、
卵も靴も橋本の顔に向かって飛ばないのである。

昨日、私は言いそうになってグッと飲み込んだ言葉に
「おまいら、自分でやっとけ!」
と言うのがある。
事ほど左様に、橋本とレベル合わせた思考をすると
こちらも、とんでもなく下品になってしまうのである。
だから、関わりたくない。
橋本汚物野郎とは金輪際。
ああ、大阪に帰ったら汚物の匂いがするのだろうか。
コメント
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