毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「博堅先生の頭の中」 2013年5月13日(月)  No.648

2013-05-13 19:49:02 | 中国事情
「ボブ・ディランの頭の中」ならぬ博堅先生の頭の中には
日本の歌が一杯詰まっている。
昨日書いた「海ゆかば」のみならず、
「春高楼の花の宴~♪」
「菜の花畑に~入日うすれ~♪」
「ゆうや~けこやけ~の赤とんぼ~♪」
「見よ、東海の空あけて~♪」
「春のうららの隅田川~♪」
「い~つまでも 絶えることなく~、友達でいよう♪」
「知床の~岬に~はまなすの咲くころ~♪」
「目を閉じて何も見えず~♪」
「別れることはつらい~け~ど~♪」
・・・・・・尽きることなく歌がどんどん溢れ出てくる。

その中で、私が全く知らない歌もある。
たとえばこれだ。
“アムール川を北に見て
 大興安(だいこうあん)の東に
 沃野万里(よくやばんり)の大満州
 渤海(ぼっかい)の夢 今いずこ
咲きては散りし二千年
 若き血潮と夕映に
 誓って立てん 大楽土♪”


これは、インターネットでざっくり調べた限り、出てこなかった。
1933年生まれの博堅先生が、福島県で小学生だったころ、
巷で頻繁に歌われていたという。
まさに、中国侵略を企図した日本帝国が「満州帝国」をでっち上げ、
何も分からない国民を満州「開拓」に行かせるためのプロパガンダ曲だ。
「沃野万里」などと大うそを吹聴して、冒険心に満ちた若者を騙し、
馬も農具も全部プレゼントするからと言って、貧しい庶民を駆り立てた
満州「開拓」。
移住したその満州が、
暮らす土地としては非常に過酷な大地だったことは、
帰国者の西井澄さんが作文に書いている。

それにしても、
博堅先生がこの歌を鮮明に覚えていらっしゃることは、すごい。
12歳で中国に戻り、その後55歳頃まで日本語とは無縁の生活をされていたと聞く。

博堅先生に
「なぜ南昌に日本語コーナーを設立されたのですか」
と尋ねたとき、
「う~ん、中日友好のためね」「博愛主義ね」
と、ほとんど無意味に聞こえる返事しか返って来なかったが、
洪水のように溢れ出るこれらの歌が、
何か答えにつながるのかもしれない。

博堅先生は
「‘今いずこ’ってあれでしょ、荒城の月もそうでしょ」
と、時々、黒柳徹子みたいなことをおっしゃるのである。

コメント
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