毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「『ビルマの竪琴』に泣く(;_;)」 2013年2月21日(木) No.569

2013-02-21 19:19:28 | 日記
あと4日で二学期の授業が始まる。
ああ、もっと休んでいたいなあ~~(´д`)
学期が始まったら、のんびり本を読む時間が減るのがヤなんだよね。

私は休み毎に、
日本から少しずつ本を運んで日本語学科資料室に寄贈しているのだが、
今回持ってきたものの中に竹山道雄「ビルマの竪琴」がある。
それはそれは昔、小学生の頃ダイジェスト版を読んだきりだったので、
寄贈する前にもう一度目を通しておこうと、手に取ったのが運の尽きと言うか、
途中から滂沱の涙で目が霞み、アワワ、こんなことになろうとは状態・・・。
年取ると涙もろくなると言うが、もちろん歳は否定しない。
しかし私は以前から、「ちびまる子」でも「ジャングル大帝」でも
いくらでも泣ける安モンの涙の持ち主である。

それでもおかしいな。なぜか子供の時、この本で泣いた覚えが全くないのだ。
かすかに脳にくっついている記憶では、当時「ビルマ」も「竪琴」も
北海道の山奥で育った私にはさっぱり分からず、
(ビルマはどこにあるのか。どんな国か。蛭という虫は近所にもいるのだろうか)
(竪琴とはどんな音がする楽器だろう。学校にあればいいのに)
といった、テーマとかけ離れた疑問・興味ばかり持っていた気がする。
やはり、ある程度の基礎知識がなければ物語の核心に近づくことはできないものだ。
あの当時の私は、人間だったのだろうか?未だサルだったのでは?
振り返ってみて、そうした疑問がわく。
そしてさらに、読んだのがダイジェスト版ときている。
感動のしようがなかったのだろう。

戦後、1948年に単行本が出版されて以降、
作者の竹山道雄(ドイツ文学者)が教鞭をとっていた東京大学の
新入生の志望動機として、
「『ビルマの竪琴』の作者、竹内道夫教授に直接教えを受けたい。」
というものがたくさんあったと解説(鳥越 信)にある。
「戦争への反省と平和への希求」をテーマにしたこの児童文学は、
竹内好(中国文学者)などから「戦争と平和」を全て「心の平安」に帰していると批判を受けたそうだ。
私は、竹内好さんに言いたいのだが、
一つの作品に全てを求めてはいけないのではないだろうか。
「いい作品だけど、○○が足りないよね~。」とか言いたくなる気持ち分かるけどさ。
いろんなスタンスで平和を守ることが必要だ。
平和を中核とした社会・政治システムは、ひとりひとりの心の平安を大切にすることと矛盾しない。

文中、(こ、これ、いつの時代の話?2013年に立派に通用するし~)と思った箇所がある。

『私はよく思います。―いま新聞や雑誌を読むと、驚くほかはない。多くの人が他人を罵り責めて威張っています。「あいつが悪かったのだ。それでこんなことになったのだ。」と言って傲慢にえらがって、まるで勝った国のようです。ところが、こういうことを言っている人の多くは、戦争中はその態度があまり立派ではありませんでした。それが今はそういうことを言って、それで人よりも贅沢な暮らしをしています。(後略)』(偕成社文庫版、P174)

アのつく人、イのつく人、ハシのつく人など、なんぼでもこれに当てはまる人がいる。
この小説は1947年雑誌に連載され、翌年単行本として出版されたものだ。
戦後すぐと今はほとんど同じ状況なのか・・・。しばし呆然。
コメント
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