私は企業人でないので、
「中国で企業は戦略的にかく在るべし」
といったことはさっぱり分からない。
ビジネスアナリストが、
日系企業でも中国で上手く経営している会社があるとか、
「トヨタ」「三井」「三菱」より「ユニクロ」など、
日本的でない名前の方がいいとか書いているのを読んでも
(そうかも知れない)と感じる一方、
じゃあ、何故「トヨタ」「三井・三菱」の名前はダメなのかという
掘り下げが欲しいと思う程度だ。
私が言えるのは、
日本語学科の卒業生たちが、就職先で、
何が嫌で何が嬉しいと思っているのか、
ずっと働きたいと思うのはどんな会社か、ということについて
聞かせてくれたことだ。
もちろん日本語学科の卒業生全てが日本関連の仕事についているわけではないが。
本社が上海にあり、
半年ぐらいずつ各地の工場に長期出張するという王君は、
現在江蘇省の工場で日本語通訳等の仕事をしている。
彼は実は、私が大学に赴任した2010年秋の
尖閣問題(漁船の船長が逮捕された事件)の際、
「僕はもう日本語を勉強したくない。日本人は製品作りには責任を持って、すばらしいものを提供している。しかし、歴史に責任を持っていないじゃないか。まず、それを解決すべきだ。」
と、告発の手紙をくれた子だ。
その時は、
一人の日本人として、戦争で日本が中国に対して為した
全ての残虐な行為に対して心から謝罪するとともに、
日本では1995年に当時の村山総理大臣が
アジアの関係諸国に正式謝罪をしたことを書いた。
授業でそういうことには触れられないので
そっとノートに挟んで渡したが、それへの返事はなかった。
彼は江西省の農民の子だ。
即ちそれは、経済的に非常に貧しいということを意味する。
私も北海道の貧しい農民の子だった。
その身の上話を授業でしたとき、彼の顔に何かが走った(気がした)。
そんなことがあって以降、
彼は一度も授業を欠席することなく無事卒業した。
卒業後彼から電話で、会社の日本人上司が本当に優しいこと、
「王君、昼ご飯食べに行こう」など、普通体で話しかけてくれること、
敬語を使わなければ…と緊張していたが、こちらもデス・マス体で十分なこと、
「病気のときは遠慮しないで休みなさい。」
と言ってくれること。
朝8時から夜8~9時までの長時間労働で、それはとても嫌だが、
(だって恋人を作る暇がないから!)
仕事内容はそんなに苦しくないこと、
などが知らされた。
彼の声が明るいので、
正直、私は彼の上司に手を合わせたいくらいだった。
昨年秋の「反日の嵐」の時も、彼はまた電話をくれた。
自分の働く工場労働者の雰囲気が異常で心配だという彼に、
この反日のうねりは何によって起こされたと思うか聞くと、
「釣魚島のことは小さい原因だ。問題は、中日の歴史的なことと、国内の様々な問題、特に貧富の差だろう。」
と彼は言った。
「王君はデモに参加するの?」
と聞くと、笑って「僕は行きませんよ。」
と答えた。
1980年代、日本と中国はとても友好的だった。
江沢民時代に入って中国全土に反日ドラマが放映されるようになったことは、
返す返すも残念だ。
中国の庶民の子どもからお年寄りまで、
それによって歴史の屈辱・怨みを日々再確認している。
あのドラマは日本国内でこそ放映すべきだと私はおもう。
「日本人は中国・韓国になにも悪いことなんてしてないし~。」
と言う日本人があまりにも増え過ぎた。
日本人が中国に行くには、
まず、本当の歴史の勉強をしてから行かなければ話にならない。
日本は中国を侵略なんかしていない。
欧米帝国主義から解放してやったんだ、という事実と違う考えを
思想の自由で片づけることはできない。
事実を捻じ曲げ、嘘で歴史を書き換えたら、
それこそ「愛国者」たちが言うところの「日本の恥」であろう。
「中国で企業は戦略的にかく在るべし」
といったことはさっぱり分からない。
ビジネスアナリストが、
日系企業でも中国で上手く経営している会社があるとか、
「トヨタ」「三井」「三菱」より「ユニクロ」など、
日本的でない名前の方がいいとか書いているのを読んでも
(そうかも知れない)と感じる一方、
じゃあ、何故「トヨタ」「三井・三菱」の名前はダメなのかという
掘り下げが欲しいと思う程度だ。
私が言えるのは、
日本語学科の卒業生たちが、就職先で、
何が嫌で何が嬉しいと思っているのか、
ずっと働きたいと思うのはどんな会社か、ということについて
聞かせてくれたことだ。
もちろん日本語学科の卒業生全てが日本関連の仕事についているわけではないが。
本社が上海にあり、
半年ぐらいずつ各地の工場に長期出張するという王君は、
現在江蘇省の工場で日本語通訳等の仕事をしている。
彼は実は、私が大学に赴任した2010年秋の
尖閣問題(漁船の船長が逮捕された事件)の際、
「僕はもう日本語を勉強したくない。日本人は製品作りには責任を持って、すばらしいものを提供している。しかし、歴史に責任を持っていないじゃないか。まず、それを解決すべきだ。」
と、告発の手紙をくれた子だ。
その時は、
一人の日本人として、戦争で日本が中国に対して為した
全ての残虐な行為に対して心から謝罪するとともに、
日本では1995年に当時の村山総理大臣が
アジアの関係諸国に正式謝罪をしたことを書いた。
授業でそういうことには触れられないので
そっとノートに挟んで渡したが、それへの返事はなかった。
彼は江西省の農民の子だ。
即ちそれは、経済的に非常に貧しいということを意味する。
私も北海道の貧しい農民の子だった。
その身の上話を授業でしたとき、彼の顔に何かが走った(気がした)。
そんなことがあって以降、
彼は一度も授業を欠席することなく無事卒業した。
卒業後彼から電話で、会社の日本人上司が本当に優しいこと、
「王君、昼ご飯食べに行こう」など、普通体で話しかけてくれること、
敬語を使わなければ…と緊張していたが、こちらもデス・マス体で十分なこと、
「病気のときは遠慮しないで休みなさい。」
と言ってくれること。
朝8時から夜8~9時までの長時間労働で、それはとても嫌だが、
(だって恋人を作る暇がないから!)
仕事内容はそんなに苦しくないこと、
などが知らされた。
彼の声が明るいので、
正直、私は彼の上司に手を合わせたいくらいだった。
昨年秋の「反日の嵐」の時も、彼はまた電話をくれた。
自分の働く工場労働者の雰囲気が異常で心配だという彼に、
この反日のうねりは何によって起こされたと思うか聞くと、
「釣魚島のことは小さい原因だ。問題は、中日の歴史的なことと、国内の様々な問題、特に貧富の差だろう。」
と彼は言った。
「王君はデモに参加するの?」
と聞くと、笑って「僕は行きませんよ。」
と答えた。
1980年代、日本と中国はとても友好的だった。
江沢民時代に入って中国全土に反日ドラマが放映されるようになったことは、
返す返すも残念だ。
中国の庶民の子どもからお年寄りまで、
それによって歴史の屈辱・怨みを日々再確認している。
あのドラマは日本国内でこそ放映すべきだと私はおもう。
「日本人は中国・韓国になにも悪いことなんてしてないし~。」
と言う日本人があまりにも増え過ぎた。
日本人が中国に行くには、
まず、本当の歴史の勉強をしてから行かなければ話にならない。
日本は中国を侵略なんかしていない。
欧米帝国主義から解放してやったんだ、という事実と違う考えを
思想の自由で片づけることはできない。
事実を捻じ曲げ、嘘で歴史を書き換えたら、
それこそ「愛国者」たちが言うところの「日本の恥」であろう。