にわとりのにわ a hen's little garden

歌うたい時々クラリネット吹きの日高由貴のblog。
ちいさなこころのにわの風景をすこしずつ書きとめていきたいです。

論文日記 1

2008年11月13日 | 日々のこと
先日、指導教官にお会いして、博士論文の相談にのっていただいた。

卒業論文を書く時からそうだったのだけれど、わたしは、放っておくとどんどん興味が拡散してしまうので、一点にしぼることがとてもむずかしい。いろいろなことに関心を持つのだけれど、すべてが点のまま通り過ぎてしまう。それは、いいところでもあると思うのだけれど、論文をまとめるには、いわば長距離走のような作業も必要なので、先生と相談の上、とりあえず、来年博士論文の軸となる論文をもう1本書くことにした。

なにが軸になるのか、自分でもわからないので、まったくの手探りで書いていくことになる。たのしみでもあるけれど、不安や、ほんとうに書けるのだろうかと思う気持ちもとても強い。

でも、いままでも不安を抱えながらどうにか書いてきて、「書かなければよかった」と思うものはひとつもない。どれも、書いてよかったと思うし、読んでくれたひとからの感想は、いつもうれしい。だから、書きたい。

とりあえず、12月中旬頃までは、あまり狭くしぼりこまずに、手当たり次第に本を読んで充電し、そのあと執筆にとりかかることに決めた。


***読書ノート***

・天野正子『「つきあい」の戦後史 サークル・ネットワークの拓く地平』2005年、吉川弘文館。
・天野正子『「生活者」とは誰か』1996年、中央公論社。

天野さんの文章は、言葉が宙に浮かずに、地にしっかりついていると感じる。『「つきあい」の戦後史』は、戦後誕生したさまざまなサークル(鎌倉アカデミア、筑豊文庫、エミールの会、浦河べてるの会、など)に焦点をあてて、そこで生まれた、ひととひととのつながり、あるいはつながれなかったこと、を丁寧に描いている。

とりわけ印象に残るのは、そこで浮かび上がってくるさまざまな「女性」たちの像だ。

アカデミズムの言葉に頼るのではなく、かといってそれらを全否定してしりぞけるのでもないかたちで、日々の「生活」のなかでいかに思考していくかという問題意識が根底にあるのだと思う。それはまた、わたし自身が考えたいと思っていることでもある。ひきつづき、『「生活者」とは誰か』を読んでいる。しばらく、天野さんの著作を読んでみようと思っている。