ちいさいころ、よくそらをみていた。
もこもこしたくもや、かんかん照りつける太陽や、どこまでもついてくるのが不思議だった月なんかを。
いつのまにか、そらをみあげることがすくなくなり、わくわくするイベントだったあめのひはただのうっとおしい日にかわり、いつはながさいたのか、かれたのか、きょうがまんげつなのか、しんげつなのか、みかづきなのか、いろんなことがどうでもよくなって、まったくむとんちゃくな日がつづいた。
あのころ、世界はモノトーンに近かった、とおもう。
モノトーンの中にも、だいすきなともだちの笑顔や、たのしかったこと、かなしかったこと、いろいろあって、わたしにとってはかけがえのない時間であることにかわりはない。
だけど、なんねんかまえからまたそらをみあげることがおおくなり、あめのひがたのしみになり、世界は白黒からカラーにかわった。
それがいまはとてもうれしい。
もこもこしたくもや、かんかん照りつける太陽や、どこまでもついてくるのが不思議だった月なんかを。
いつのまにか、そらをみあげることがすくなくなり、わくわくするイベントだったあめのひはただのうっとおしい日にかわり、いつはながさいたのか、かれたのか、きょうがまんげつなのか、しんげつなのか、みかづきなのか、いろんなことがどうでもよくなって、まったくむとんちゃくな日がつづいた。
あのころ、世界はモノトーンに近かった、とおもう。
モノトーンの中にも、だいすきなともだちの笑顔や、たのしかったこと、かなしかったこと、いろいろあって、わたしにとってはかけがえのない時間であることにかわりはない。
だけど、なんねんかまえからまたそらをみあげることがおおくなり、あめのひがたのしみになり、世界は白黒からカラーにかわった。
それがいまはとてもうれしい。