現存12天守巡りの11城目は丸亀城
です。残すは宇和島城のみとなりました。
(撮影は11月中旬です。)
丸亀
丸亀城はJR丸亀駅から徒歩圏内の丸
亀中心街にあります。
標高66mの亀山に築かれた平山城で別
名亀山城。「石の城」と形容されるとお
り、石垣の名城として有名です。
(大手一の門・二の門)
生駒親正は1587年(天正15年)播
州赤穂から17万石の領主として讃岐に
入り、高松城を築き、次いで西讃の鎮め
として、1602年(慶長7年)丸亀城
を築城しました。
その後一国一城令で丸亀城は廃城となり
ますが、1641年(寛永18年)山崎
家治が西讃岐5万石の領主となると丸亀
城を再築します。
(一の門)
一の門は楼上に太鼓を置き、城下に刻を
知らせたことから、太鼓門とも呼ばれて
います。
(三ノ丸北側の石垣)
三の丸北側の石垣は、丸亀城の石垣のな
かで最も高く、20m以上の城壁が続き
ます。隅角部の石垣は美しい曲線美から、
「扇の勾配」と呼ばれています。
(天守)
1658年には京極高和が丸亀藩主とな
り、天守を完成させます。
3層3階の現存木造天守です。高さ約
15m、日本一小さな現存木造天守で
す。
(天守内部)
天守からの視界には、丸亀の町並みが広
がり、遠くに海や山が見え、見晴らしを
堪能できます。
(讃岐富士)
見返り坂を登った三ノ丸からは、飯野山
(讃岐富士422m)を正面に望めます。
石垣にかかわる悲しい伝説があります。
羽坂重三郎は、常に仕事をするときは裸
になって一生懸命働くことから「裸重三」
と呼ばれ、丸亀城の石垣を完成させた功
労者です。
殿様は「さすがは重三の築いた石垣だけ
あって完璧だ。これでは空飛ぶ鳥以外に
この城壁を乗り越えるものはあるまい。」
とご満悦でした。
ところが、重三郎は「私に尺余りの鉄棒
を下されば、容易に登ることができます。
」と言って、鉄棒を使いすいすいと城壁
を登ってしまいました。
殿様は、重三郎を生かしておけば来敵に
通じた場合、恐ろしいことになると考え、
城内の井戸の底を重三郎に探らせて、そ
の隙に石を投じて殺してしまいました。
その伝説の井戸が二の丸井戸です。
(「丸亀城ものがたり」永田照雄より)
皆さま、今年1年どうもありがとうござ
いました。どうぞ良いお年をお迎えくだ
さい。