駒込
11月末、六義園を訪ねました。
快晴の気持ちよい日で、日光に照らさ
れた紅葉が鮮やかです。
5代将軍徳川綱吉の側用人柳沢吉保が、
加賀藩旧下屋敷跡地を、7年の歳月を
かけて築園した大名庭園です。
「六義園」の名称は、紀貫之が「古今
和歌集」の序文に書いた「六義」(むく
さ)という和歌の分類の六体に由来する
そうです。
吉保は紀州の和歌浦を中心とした美しい
歌枕の風景を写して造園しました。
1702年(元禄15年)に完成すると、
綱吉のお成りが頻繁にあったそうです。
池をめぐる園路を歩きながら、移り変わ
る景色を楽しめる繊細で温和な日本庭園
です。
柳沢氏は武田氏の滅亡後、徳川家康の家
臣団に組み込まれた竹田遺臣から近世大
名化した一族です。
1680年、舘林藩主の綱吉が兄である
4代将軍家綱の後継として江戸城に入る
と、綱吉の家臣である吉保も幕臣となり
ました。
吉保は綱吉の文治政治に恭順するために、
荻生徂徠ら儒者を召し抱え、儒学の発展
に少なからぬ役割を果たしました。
明治初年には岩崎弥太郎が六義園を購入
します。
関東大震災、東京大空襲の被害もほとん
ど受けずに、造園時の面影を今日まで伝
えています。