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地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

カイシャ人類学(8)

2022年05月07日 06時30分53秒 | Weblog
梨園という「巨大ファミリー」家系図完全解説|中川右介 文春歌舞伎!
 「團十郎家は元禄時代に活躍した初代から、家の芸として「歌舞伎十八番」を制定した七代目を経て、明治に活躍した九代目までは、女系を含みながらも血がつながっていた。しかし九代目には娘は2人いたが、男子がいなかったので、血統は絶えた。九代目は銀行員を長女の婿養子として迎え、家を継がせた。九代目の死後、婿養子は30近くになっていたが、十代目になろうと決意して役者に転じ、五代目市川三升(さんしよう)を名乗った。しかし、十代目にはなれなかった(没後に追贈)。
 「松本幸四郎家は二代目幸四郎が二代目團十郎の養女と結婚し四代目團十郎となり、その子・三代目幸四郎も五代目團十郎になっており、市川家と一体とも言える。だが六代目で絶えていたので、その関係者から請われて、血縁関係も師弟関係もなく、養子縁組もせずに、名跡だけ継いだのが、七代目幸四郎だった。

 しばしば、一部の歴史学者や社会(人類)学者は、「イエ」は制度ではなくイデオロギーであるという。
 だが、私は、これでもまだ正確ではないと思う。
 「廃絶家再興」に着目すれば、「イエ」における「ゲノム」は”仮装”であり(渡辺治先生による表現)、「職(事業)」はその経済活動をあらわすにとどまり、「屋号(苗字)」は「存続」する主体の”シニフィアン”(nome)に過ぎない(君のシニフィアンは(2))ことが分かる。
 一部の歴史学者や社会(人類)学者は、17世紀、日本全国に「イエ」が新たな社会的実体として出現し、かつ法律によって制度化されたという点に惑わされ、一説によれば縄文時代から続いているという特定の思考がその基盤を成していたことを軽視したか、見逃すかしてしまったかのかもしれない。
 本質を抽出して正確に定義しようとするのであれば、「イエ」とは、「父方/母方いずれかのゲノム又は屋号(苗字)などの事業/集団の表章を共有し、日本の土着宗教(柳田國男が言うところの「祖霊信仰」)の原理に基いて、その構成員(死者を含む)のために事業及び祭祀を一体的かつ継続的に営む集団」にほかならない。
 したがって、「イエ」の諸要素が全面的に会社に転写・包摂される(「カイシャ」化する)場合、「カイシャ」は、”祖霊”(創業者、その一族、あるいはこれと同視される人たち)の祭祀を目的とする、一種の宗教団体としての性質を帯びるということになるだろう。
 そして、こういう風に考えると、ある種の人たちが、「カイシャ」の「存続・永続」を至上命題として掲げ、かつ、その際とりわけ「屋号(苗字)」の連続性に固執する理由を、整合的に説明することが出来るのである。
 但し、この仮説が成り立つためには、前述のように、現在の「カイシャ」が、「イエ」の諸要素を備えていることが条件である。
 私見では、戦後の「カイシャ」にあっては、「ゲノム」は”仮装”/フェイクでなくて要素化している可能性があるのではないか(例えば、某自動車メーカーにおける”神話”の再現実化など)、逆に「永続性」を対外的にアピールするために一時的に借用されている可能性もあるのではないか、また、「屋号(苗字)」は必ずしも要素ではなく、これを別のもので”仮装”する可能性もあるのではないか(例えば、同族経営だが敢えて商号には地名や商品名を用いるなど)、さらには、七代目幸四郎のような、「カイシャ」における「廃絶家再興」事例の集積と分析を行う必要があるのではないか、などと考えている(だから、「存続・永続」の主体の「もう一つ」を、断定的に言うことはためらわれるのである。)。
 もっとも、そのためには、更に数十年単位の時間と「フィールド・ワーク」が必要なのかもしれない。



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