Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

カタリーナ、スケープゴート、フィロクテーテース(9)

2023年11月29日 06時30分00秒 | Weblog
 軍事化イニシエーションにおける「悲劇」は、大きく分けて二種類あると思う。
 一つは、「加入礼」の失敗で新参者が被害者となるケースである。
 この場合、「一時的な死」ではなく「現実の死」という結果が生じることもある。
 入社1年目の電通社員高橋まつりさん(当時24)が過労自殺に追い込まれた事件は、その代表例と言える。
 私は、この種の現象を「犠牲強要」の発現として捉えてきたし(悪質なバトルロイヤル)、今でも基本的にこの見方を変える必要はないと考えている。
 だが、ちょっと違った視点から見ることも出来そうである。

イニシエーションとは何か(永井俊哉ドットコム)
 「入所式としてのイニシエーションとスケープゴートは、方向は反対だが、機能は同じである。すなわち、自分たちと異質であるにもかかわらず、自分たちと同じ共同体に属する中間的存在を完全に排除することにより、共同体の境界(システムと環境の差異)を明確にすることがスケープゴートであるのに対して、外部から自分たちと同質のメンバーとなる中間的存在者に、境界を意識させることにより、共同体の境界(システムと環境の差異)を明確にすることがイニシエーションなのである。どちらのケースでも、中間的存在者が境界を通過する時、暴力がふるわれるという現象が起きることが多い。

 基本的なことだが、「加入礼」において、暴力は必須のものではない。
 この点については、「じゃじゃ馬ならし」を思い出すだけで十分である。
 それにもかかわらず、(最近の某プロ野球選手のように)暴力が多用されるのは、「一時的な死」を手っ取り早く実現したり、「脳内麻薬」の分泌を促したりするという目的だけでなく、「対象人物が『中間的存在者(スケープゴート)』かどうかをあぶり出し、場合によっては集団から排除・抹殺する」という目的があるのかもしれない。
 しかも、「軍事化」である以上「敵」の存在が前提され、それゆえ暴力が発現し易くなるし、「中間的存在者」が「敵」と同視(誤認)されることもある。
 ・・・永井さんの指摘を読んで、私はこういう風に推論したのである。
 このメカニズムからすれば、最初はメンバーとして迎えられた新参者に対して暴力(又は圧力)を加えるうちに、「中間的存在者」との見境がつかなくなり、死に至らしめてしまうケースも出てくるのではないだろうか?
 その場合、おそらく暴力(又は圧力)は違法性を阻却され、「不慮の事故」として”処理”されるのではないだろうか?
 実際、(海軍の)予科練では、棒倒し(すなわち、新参者同士による「加入令」たる軍事化イニシエーションの典型例)によって死者が出ているらしいが(平成25年防大開校記念祭~棒倒し・中編の後半)、これは「不慮の事故」として”処理”されたようである。
 なので、私は、「加入礼」の最中に「中間的存在者」として扱われて被害に遭う新参者のことを、「不慮のスケープゴート」と呼びたいと思う。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« カタリーナ、スケープゴート... | トップ | カタリーナ、スケープゴート... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事