「航空運賃が高すぎて、マネジメントも赤字覚悟!
この演奏会は、演奏会への愛だけでできています。」
J.S.バッハ : 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番 ロ短調 BWV 1002
クリス・ロジャーソン:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ
E.イザイ:無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番 ニ短調『バラード』Op.27-3
J.S.バッハ : 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 ニ短調 BWV 1004
<アンコール曲>
J.S.バッハ : 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番 ハ長調 Ⅲラルゴヘ長調 BWV 1005
J.S.バッハ : 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番 ホ長調 Ⅲ ロンド風ガヴォットBWV 1006
例によって絶妙なキャッチ・コピーのおかげか、チケットは完売。
私の場合、ヴァイオリンやチェロのコンサートは主にバッハが目当てなので、今回もバッハ目当てでチケットを買った。
ヴァイオリンの場合、”弾きっぷり”は非常に重要だと思うのだが、バイルマンはその点はパーフェクトだと思う。
演奏している時の見栄えが良いのだ。
さて、1曲目のパルティータはオーソドックスなバッハ作品だが、2曲目は変わった選曲。
どうやら最初から最後まで超絶技巧の連続らしいが、長音を奏でながらのピチカートなどという、目を疑うようなシーンも出てくる。
私見では、最終楽章はダンサブルでテンポの良い曲なので、似たようなテーストで全楽章を作ると良かったと思う。
ところで、ヴァイオリンの名曲には、シャコンヌを筆頭として短調の曲が多い。
今回演奏されたイザイもそうである。
シャコンヌについては、この曲が表現している人間の情動は、全くの私見ではあるが、「肉親、配偶者、親友などが亡くなった時の激しい悲しみ」が一番近いように思う。
私には、ヴァイオリンの音が、激しい慟哭かすすり泣きのように聴こえるのである。
短調の名曲が多い理由についてだが、人間の情動の中では、悲しみや苦しみの方が喜びよりも強いということが挙げられるかもしれない。
そのため、短調の方が長調よりパワーが強いのではないだろうか?
そもそも、人間は泣きながら生まれて来るのだし、出産のときにお母さんは苦しみを味わうのだから。
・・・いや、これには異論があるようだ。
爆発的な喜びを表現した曲があるではないか。
例えば、「第九」や「献呈」など。
だが、これらにおける情動はいずれも歌(曲)つまり言葉を伴って表現されるものであり、ヴァイオリンなどの楽器だけで表現されるものではない。
むむむ、「長調は短調より言葉に近い」ということなのか?
・・・などと考えてしまうのどかな春の一日であった。