本当の相(すがた)になる これが 仏(ぶつ)の教えの目的である
法語(解説) 暁烏 敏(あけがらす はや)
『正信偈』のなかに、「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」と親鸞聖人が讃えておられるように、釈尊が私たちの濁世にお出ましになられた理由は、唯だ阿弥陀仏の本願のはたらきを知らせるためなのです。つまり、釈尊個人の能力や人格がどれほど優れていようとも、それは仏教の教えとは関係なく、釈尊を釈尊たらしめている本願のはたらきこそが、私たちにとって尊い教えであることを、親鸞聖人は繰り返し私たちに明らかにしてくださっているのです。(以上解説)
ボクは、「たけしのTVタックル」で真言宗・曹洞宗は自力本願で悟りを会得し、浄土宗・浄土真宗は他力本願で悟りを開くと話していました。
浄土真宗ですので、念仏を唱え、心を静かにして自分を見つめていると、自分の本質に気づき、悪ければ改めればいいし、良ければ続けていけばいいという「教え」かと理解しました。
法語(解説) 暁烏 敏(あけがらす はや)
『正信偈』のなかに、「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」と親鸞聖人が讃えておられるように、釈尊が私たちの濁世にお出ましになられた理由は、唯だ阿弥陀仏の本願のはたらきを知らせるためなのです。つまり、釈尊個人の能力や人格がどれほど優れていようとも、それは仏教の教えとは関係なく、釈尊を釈尊たらしめている本願のはたらきこそが、私たちにとって尊い教えであることを、親鸞聖人は繰り返し私たちに明らかにしてくださっているのです。(以上解説)
ボクは、「たけしのTVタックル」で真言宗・曹洞宗は自力本願で悟りを会得し、浄土宗・浄土真宗は他力本願で悟りを開くと話していました。
浄土真宗ですので、念仏を唱え、心を静かにして自分を見つめていると、自分の本質に気づき、悪ければ改めればいいし、良ければ続けていけばいいという「教え」かと理解しました。