
去年の今日は地元の友人A氏とA氏所有のスーパーカーで春野に桜を見に行き帰路に美味しいソバをいただいた。
今年は別の友人B氏が我が家をを訪れた。
B氏も車好きで今回も前回見たのとは違う車でやって来た。
何でも三河のテント屋に車の屋根に乗せるテントをセットしてもらいに来た。
そしてA氏のスーパーカーを見ることもB氏の重要な一項目だった。
私はA氏B氏両爺さんの間に入り少し疲れた。
B氏は初めて我が家に来た。
古いタンスやハーマンカードンのスピーカーなどを見て「あれ欲しいな」とずっと言っていた。
そしてA氏のスーパーカーを見ると、今度は「あのスーパーカーが欲しいな」と変わったが私所有のスピーカーなら2万円でA氏のスーパーカーなら4000万円だから「あの車は私のマンションには似合わないな」とスピーカーに絞ったようだ。
最近車を買ったばかりだから続けて買うわけはないと一般住民の私は思うのだが油断はできない。
いつも衝動買いを繰り返しているし値段は参考にするだけで決断は早いからだ。
それに今6台持っているから、それが7台になることも考えられる。
私のiQで出かけたのだが「この車43万円で購入したのですよ」と言っても金銭感覚というより好きな物にいくら投資するのかは人それぞれだからどうでもいいようだ。
返事が無かったから、その時そう感じた。
今日は桜が満開で見事に咲いているところを見せられて嬉しかった。
車の中を見て「今どきCDを持ち歩く人は珍しい」と言われた。
B氏はスマホで主にレディオチューンを繋げてその音を車のスピーカーから出していると言う。
私もレディオチューンを繋げてみたがwifiの繋がる家の中でしか聞けない。
それからcopilotというAIの面白さを教わった。
曲を流し「この○○という歌のバックグラウンドには何があるのですか、失恋の歌ですか?」と聞くとほぼ即座に答えが文字で返ってくる。
私もこれらのアプリを使えるようになって急に一段と進歩した人間になったような気がした。
そして「私には考える時間は残されていない」と哲学的なことを言う。
私はまだまだ生きていくつもりでいるが実際にはそう長く残されていないのかもしれないと思わされた。
お金があっても無くても無料であるいは安価にできることは山ほどあるし、それらを見逃さないように頭を使って生きようなぁと感じた。
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