家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

紅葉と薪ストーブと

2012-11-29 07:21:20 | Weblog
家の周りに紅葉している木々が多い。

雨戸を開けるとパーッと明るさが飛び込んできた。

目の前のモミジが真っ赤になっている。

かがみこんでモミジのテッペンまで見てみた。

全体が陽の光を受けて最高に輝いている。

薪ストーブに火を入れた。

徐々に大きくなる炎。

モミジほどは赤くない。

炉の中に薪を詰めて作業に出かけた。

汗をかいて戻ってくる。

部屋の中は暖かいままだ。

まるで妻とか母とか私を守ってくれる女性が温めておいてくれたようだ。

炎はないが赤く火の残った炉の中に新しい薪を入れておいて着替える。

新しい下着を着ると少しそのままの姿で薪ストーブの暖かさを体に塗った。

少し燻ったあと薪に炎が絡み着いた。

チェーンソーの振動と音響がまだ体に残っている。

ポットに残してあったコーヒーを飲む。

急坂を登った腿の疲れは、もう消えていた。

次の作業の段取りを考えているが身体全体の筋肉は、もう弛緩している。





藤棚の解体

2012-11-22 07:15:02 | Weblog
2007年12月に山で木を切り倒し2008年5月に、その木を使って完成させた藤棚だが解体することにした。

当時と違うのは隣接するケヤキが大きくなったこと。

藤棚がケヤキの影でスッカリ覆われてしまうようになった。

棚に朝日は当たるが昼は木漏れ日しか射さない。

その結果棚用の木材が腐り始めた。

藤が木材に絡みつくから、よけいに乾くものも乾かなくなってしまう。

最も湿り気を含んだ木材にはキノコのような物が多数付着するようになった。

Y爺さんに見せると「壊すしかないなぁ」ということだった。

棚の解体方法を考えた。

現場でY爺さんに自分の考えた解体方法を告げてみた。

途中から私の話を聞いていないことが見て取れた。

Y爺さんは「ここと、ここを結んで。何でもいいわぇ。竹かなんかで。それでこれとこれを結んで・・・・・・」

なるほどなるほど私の方法などでは、うまくいくはずがない。

これなら一人で安全に解体できると確信した。

教わった通りに棚を竹と物干し竿で対角線状に縛って固定し更に2本ずつ固定した。

脚立に乗ってチェーンソーで上の木から切り始めた。

丸太は結構重くドーンと落ちる。

これに当たったら怪我するなぁと感じた。

支えになっている木を切ると棚はバランスを失い思い思いの方向に倒れたがる。

さすがにY爺さんに教わった通りに番線で固定しておいて助かった。

もうすぐ切り終えると思い始めた頃急にチェーンソーが切れなくなった。

音ばかりで食い込んでいかない。

無理やり回転を上げると煙が出るだけで切れ込んでいかない。

「そうだ。この丸太の固定には長いビスを使ったのだっけ」

ビスを切ってしまったソーチェーンは当然刃が欠けてしまい切れ味を損ねる。

しかたなく以前使っていたソーチェーンを装着し直して、なんとか切り終えた。

切り落とした丸太や藤を捨てて、きれいに掃くと、まるで初めから何もなかったかのように整然として見えた。

明るく静かな秋が残ったが春の藤の花は、もう望めない。

自分で作った棚だったが惜しくはない。

たぶんあの程度のものなら、すぐに造れると思うからだろう。

広くなった庭を楽しむとしよう。

甲府は続く

2012-11-16 08:00:53 | Weblog
「うわぁ、嫌だ。ヒゲがある」

私に向けて言い放った妻の言葉だが私の顔のヒゲのことではない。

甲府で買ってきた味噌汁の中身のことだ。

「ツブ」という名前で農産物直売所に売っていた物だが実はタニシだ。

れっきとした生き物なのだが農産物らしい。

それは田んぼで取れるからだと推察する。

「泥出し済」というパック物を買ってきたのだが一応水を入れたボールの中に入れた。

すると元気になったタニシじゃなくてツボが動き始め、ついでにヒゲのような触覚を伸ばしたのだ。

味噌汁はシンプルにツボとネギだけ。

「甲府辺りの山梨県民はツボと呼ばれるタニシを味噌汁にして食べるのです」と秘密のケンミンshowの文句が浮かぶ。

味は別にどうということのないものだった。

ツボのだしが強く主張することもない。

爪楊枝で身を出して食べてみたが、これまたどうということのない巻貝だ。

少し泥っぽい部分があったので数個食した後に止めた。

食後は柿の皮をむきヒモで結んで干し柿作りをした。

たくさん買ってきたので、たくさん作業することになる。

妻と並んで作業する。

むいた皮は細切れにしてから干して肥料にするという当初の目的は取りやめ。

そのままゴミとして捨てることにした。

追われるほどの柿の量だから。

まだ甲府は続いている。


初ナメコ

2012-11-15 07:17:23 | Weblog
今年の1月に菌打ちしたナメコが遂に顔を見せた。

街路樹の桜の枝打ちした部分を頂いた物とY爺さんからもらった栗の木に菌を打った。

その内の栗の木に生った。

小さな小さなナメコだが、その小ささが帰って喜ばしく感じられた。

そっと原木から剥がす。

たいした抵抗も感じなく取れてくる。

大きすぎる竹製のザルに乗せる。

美しく艶やかだ。

愛おしく感じる。

だが同時に「食べたい」意欲が出てきた。

甲府で買ってきたナメコと一緒に汁にしてもらった。

甲府で買ってきたものはキノコ工場で作られた、いわば工業製品のような物。

一方私の作ったものは絶対売り物にならないほど小さく量が少ない。

だが食べてみると歯ごたえが全く違っている。

工場製は歯ごたえなし。

元気なコリコリ感は、やはり私の作った物の勝ち。

「あっ。また出てきた」

たまに出てくるしかないほど少ないが、それでもとても嬉しい。

極小生産者気取り。



増穂でラフランス

2012-11-14 07:31:13 | Weblog
秋になると柿が気になる。

そろそろ甲府に甲州百目という渋柿を買いに行くことになるからだ。

そう思っている矢先に妻の友人からメールが届いた。

彼女も、とうとう自分では、あまり食べない柿を気にするようになってしまった。

毎回甲府に行くたびに、いろいろな場所を案内してくれたり食べ物屋を紹介してくれたりする。

今回は私のリクエストで「きのこほうとう」を食べに連れて行ってもらった。

有名店らしく東京ナンバーやら栃木ナンバーの車が駐車場に並んでいた。

味は「うちで作った、ほうとうの方が美味しい」と彼女の夫が言うように私も彼女の作ったほうとうの方が美味しいであろうと感じた。

山に隠れる富士山を見るのは静岡県人として非常に珍しく感じる。

静岡県側から見る富士山は天辺から下まで見えているのだ。

増穂にある農園に連れて行ってもらった。

ここは甲州百目も扱っているしクルミの実も売っている。

しかし何といっても洋梨が売りなのだ。

ラフランスの他に2種類が皮をむいて出される。

「食べ放題」

この言葉に弱い私でも、そうそう食べられるものでもない。

そっれでも、けっこう食べた。

食べ終わると次の皿が出てくるから、それもまた食べてみる。

当初はラフランスがイチバン美味しいと感じたが少し酸味の加わるゼネラルレクラーク種が結局のところイチバン美味しいと感じた。

去年オヤジの会で訪問した酒蔵に行った。

去年と同じ部屋でコーヒーを飲む。

良い造りの庭を見ながら良い造りの部屋で良い造りのテーブルで・・・・。

昔の大金持ちの造ったものは良い物ばかりだ。

今の大金持ちは、このような良い物を残しているのだろうか。

コーヒーを飲み終えて酒蔵に戻る。

試飲をするともらえるグラス欲しさに妻は試飲する。

つられて妻の友人も試飲する。

「大吟醸美味しい。次は純米吟醸かしらね」

「私は、こちらの方が」

と二人の運転手付きの女性たちは少し顔を赤らめて次々と口に流し込む。

「美味しいさ大吟醸なら」と私は少し悔しさの混じった声で言う。

量り売りの大吟醸を300mlと180mlの生原酒を丁寧に車に積み込み帰宅を急いだ。

妻が友人に「無事到着しました」と電話報告している間に私は「無事大吟醸が咽を通過しました」と報告したかった。



掘っ立て小屋でジャズライブ

2012-11-13 07:41:05 | Weblog
先日田中泯氏の舞踊を観に行った同じ楽土舎で今回はジャズライブを観た。

整理券が1番と2番だった。

つまり関係者の次に会場に着いた。

会場の外の焚き火にあたりながら待つ。

私の中では既にライブは始まっている。

だって出演者が私の目の前で電話している。

また今回は映像も見られるようになっている。

どんな映像かというと室内にあるカメラが捉えた物を外の丸太の壁に投影するというものだ。

丸太だから均一で平らな画面と違った良い味のものになる。

リハーサル中の金澤氏の大写しの顔が、そして指先が壁に映るのだ。

また私の追加した薪の炎が映し出されたりもした。

室内に入ってみると、やはり外の画面が見えて、それはそれは美しい。

ギターの小沼ようすけ氏とベースの金澤英明氏の演奏は楽しくエネルギッシュだ。

先日まで屋根しかなかった場所に壁が付き立派な室内になっている。

だが、やはり寒いし、その寒い中を蚊が飛び回っている。

小沼氏のソロの時何やら変わった装置を使った。

彼の弾いた部分が繰り返されて聞こえる。

それに合わせて次の音を弾くとデュエットとして聞こえ更に音をリズムを被せていくと小沼氏だけのバンド演奏になるというものだ。

小沼氏が、それこそ小沼氏のクローン20名で1曲を奏でるという現代ならではの演奏だ。

外から戻ってきた金澤氏が「飛び道具だな」と小声で言って沸かせた。

ギターもベースも打楽器としての活躍も素晴らしい。

二人の演奏がドンピシャで終わると会場は拍手に包まれる。

何より嬉しそうに見えるのは演奏者たち。

自然発火するように始まった音楽は何度もバチバチと音を立てて炎を揺らし、お互いの炎を援護し自分の炎を主張して最後にかっこよく燃え尽きる。

気の合う者同士でないと、こうは行かないだろうなと思う。

聴いている我々の心の炎が燃えているうちに次の曲が始まる。

聴衆の炎が集まれば、こんな小屋は、すぐに全焼するだろうなと思いながら聴いた。

だが足先が冷たく寒い。

心と体のアンバランスは最高に気持ちよかった。




音叉

2012-11-07 07:25:33 | Weblog
虎太郎君が「音当てやろう」というので「いいよ」と言って「じゃあドの音だすね」と言うと「そのまま押して」と言う。

「ポーン」とピアノの鍵盤を叩く。

「ソ」

「正解。じゃあポーン」と少し離れた場所の鍵盤を叩く。

「レ」

「正解。すごいじゃん」

何度試しても言い当てる。

これが絶対音感というものだと感じた。

音叉を持ち出した。

音叉を叩いて音を出し、共振するところに当てると音が大きくなる。

「これは?」と聞くと「ラ?」と答えた。

まちがいなく、これは440ヘルツの「ラ」の音なのだ。

彼を自宅に送る途中で話をした。

「どうして音の高さが分かるの?」と聞くと

「分らない」と答えた。

「じゃあ皆の方が音の高さが分からないことが分からない?」と聞くと
「うん」と言う。

彼は音の高さが基準の音を聞かなくても、ごく普通に分かるから、それが当たり前だと思っている。

私は「へぇー」と言うしかなかった。

彼は自分の持っている能力より音叉の振動に共振して大きな音になる方に興味があり音叉を頭で叩いてから車のいたるところに当てて共鳴を楽しんでいた。

「この感覚最近どこかで感じたぞ」と記憶をたどった。

ある人物が日産のJという車のデザインはいけませんねと言ったのだ。

私は「J。 かっこいいじゃないですか」と言ったが頭を横に振るばかりだった。

「ムラーノはどうですか?」と聞くと「あれはいいですね」と言う。

彼の知り合いのデザイン関係者も「Jは良くない」と言うらしい。

それを思い出した。

デザインにも絶対音感のような感覚があって分かる人と分からない人があるのかなと思った。

私には絶対音感がない。

でもそれで困ったことは一度もない。

もちろんデザインでも。


父の運転は下手だった

2012-11-06 07:31:51 | Weblog
古い車の集まりを見に行った。

父の乗っていたブルーバードが並んでいた。

テールのウインカーがパッパッパッと流れるやつ。

その隣には、その前に乗っていたブルーバード410系が。

さらに進むとスズライトフロンテという軽自動車があった。

これも父が乗っていた。

私は、そのフロンテを見て全体の形を思い出したと共に助手席の前に付いている取っ手を思い出していた。

「ここに掴まったことがある」という記憶だ。

助手席側に回り込んでみるとコラムシフトのレバーが見えた。

レバーの内側が見えて「ここも覚えがある」と感じた。

エンジンルームは全く覚えがなかった。

自己の記憶というものは実につまらないことで満タンになっているようだ。

もう一つ思い出したことがあり、この所有者に聞いてみた。

「チェンジの入りが悪くないですか?」

「悪くないですよ」とすんなり答えた。

父はローギアからセカンドギアにシフトアップする時必ず「ガリン」という音を出していた。

それは我が家の前から走り始めると馬込川の橋に差し掛かる上り坂の付近だ。

「ガリッ」という音が聞こえると父が走っていくと分かった。

クラッチペダルの踏み方が中途半端だったらしい。

それは父自身が、そう言っていた。

だから二度目には、ちゃんとチェンジは繋がる。

「だったら初めからちゃんと踏めよ」と幼かった私も思ったものだ。

そのくせ自分は運転が上手いと言っていたから「下手なくせに」といつも思っていたことまで思い出した。

このフロンテは新品のようにきれいだった。

だが欲しいとも運転してみたいとも思わなかった。

欲しいと思った車が展示されていた。

パブリカバンだ。

しかも「売ります」と書いてある。

買えないことは分かっているので値段は聞きもしなかった。

自分の今の生活に適している気がすることは妻には言えない。

快適には個人差があるからだ。

あん時のアレ

2012-11-02 09:32:20 | Weblog
10月21日から楽土舎で「楽土の森アートセッション2012」が行われている。

顔を出すのは9月16日に行われた田中泯氏の「場踊り」以来だ。

田中泯氏の踊りを観た、あの場所は囲いが造られていて、それは建物と言える状態になっていた。

その囲いは透明なプラスティックの大きな窓が付いているので、それが額縁のように見えた。

額に収まると何でも少し価値が上がったように見えるものだが確かに同じ外の景色でも額に入れてみると作品になる。

カタルーニア人彫金師の奥様がコーヒーを入れてくれた。

楽土舎の主催者である松田氏と話をした。

「これ、あん時の」と言って背中側の壁に掛けられた物を見た。

「ああ。あん時のアレ?」

「そう」と松田氏。

田中泯氏が踊っている際に炎の中に沈めた椅子の残骸であった。

椅子の背当て部分は黒く炭化しているが原型通りだ。

座面以下は焼失した。

松田氏は、その瞬間「あれ?それ入れちゃう?」と思ったそうだ。

火中に備品を投下するという計画は聞いてなかったから。

だが私は火に投下するだろうなと踏んでいた。

そのほうが単に面白いからというだけだが。

さてその燃え残りだがタイトルを田中泯氏自身に付けてもらうと松田氏は言う。

一旦は消えたが、しばらくして再び炎が上がり始め、それでも残った性強い逸品だ。

田中泯氏と炎と水が作り出した傑作。

木は炎に負けるが水の応援を得て勝ち残った。

ひょっとしたら田中泯氏の祈りが通じたのかもしれない。


サルのやつめ

2012-11-01 07:43:18 | Weblog
1週間ぶりで春野に行った。

紅葉が進み落ち葉が散乱している。

道路上に掲げられた電光掲示板は14°Cを示していたが、10分ほど入り込んだここは、それより2°C程度は高そうだ。

家の裏に回ってみると柿の木の枝が落ちていた。

近寄ってみると枝だけでなく食べかけた柿の実も落ちていた。

集めてみると8個あった。

たいして太くもない枝の先端になっていた実まで喰ってある。

こんなことをするのはサルしかいないしサルしかできない。

ハクビシンの可能性もあるが猫と似たハクビシンでは、ここまで器用にやれないと思う。

干し柿作りを楽しみにしていたのに悔しいと感じたし、渋柿を喰うことが信じられなかった。

家の中で弁当を食べていた。

シジュウカラが窓の外に吊るしてある餌置き場に来て催促をする。

昼食の途中であったがヒマワリの種を持ちに行って入れておいた。

遠くに見える筧のところにカケスが舞い降りた。

筧の水を飲んで去っていった。

しばらくするとサルがやってきた。

カメラを出して窓越しに撮した。

まだ気づいていない。

遠くを見ながら草をむしって口に入れた。

1頭だけで暮らしているハグレザルだ。

網戸を開けてカメラを構えると「あっ」という顔をして山の上に逃げていった。

逃げる姿は、やはり撮れなかった。

現場に戻ってきた犯人のような気がした。

もうすぐ猟期が始まる。

そして冬になる。

人間と野生の動物たちの攻防が、いちばん激化している時期かな。