家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

最高の眠気

2021-08-31 09:01:40 | Weblog
先日奉仕作業があったので春野に宿泊し,その夜27℃とか26℃だったので快適だった。
全てが快適で、特に呑むのにだ。
だが今回は少し気温が高くて29℃程度だった。
それでも「呑みに行ったら、こんなもんじゃ済まない」と気温の問題と金銭の問題をごちゃまぜにして、いつもよりは多く呑んで楽しんだ。
翌朝「たいして涼しくなかったね」という感想を持って起き上がり、いつものラジオ体操や朝食を済ませて散歩に出た。
せせらぎ音や川の本流の音など自宅にはない朝の散歩だった。
植物も違うし鳥のさえずりも違う。
平野の住宅地から坂の多い土地、変化に富んでいる。
日の当たる場所に出てきても、朝の陽ざしは穏やかであった。
70分の散歩を終えて続いて草刈りを1時間ほど。
この日向の草刈りは体に応えた。
もうくたくたになったが時刻はまだ10時前だ。
妻は、そこから染物をした。
私はミョウガを探しに出たり、ちょっとした修理などして早めの昼食を済ませて帰宅した。
さて帰宅すると、それはそれで「ここは休まるなぁ」と使い慣れた椅子やテーブルに着席してクーラーの風を受けた。
もう午後3時にはシャワーも浴びてビールを飲み始めた。
私は1日1万歩をクリアーし草刈りも終えて満足していた。
妻は、その上染物も完了して大満足だ。
まだ外も明るい5時台には眠くなってしまった。
6時半には、もう眠くて眠くて。
「今から寝たら朝だと思って起きると、まだ今日だった」ということになるよ。
二人で眠気との戦いが始まった。
子供のころ、それも小学校低学年のころ眠さに食欲が勝てなかった頃を思い出した。
結局8時台にベッドに横になった。
もちろん夜中に一時覚醒したが、すぐにまた眠りについた。
慣れた寝床の快適さと疲れの修復という目的が相まって、いつものような時刻まで眠った。


雨の合間に

2021-08-17 07:20:40 | Weblog
雨の合間を見つけて散歩する。
もちろん傘を持って出る。
日が差していないから日陰を探すこともない。
いつもの川沿いを歩いた。
先日スズキが釣り上げられたが、そこから川下に1.7kmほど下ったところで一輪車に面白い物を積んでいた爺さんを見つけた。
「ウナギですか?」と聴くと「ウン」とうなずいた。
「これくらいの奴が」と言って両手の人差し指を広げて大きさを示した。
それは優に40㎝を超えていた。
「このごろ雨ばっかで川が濁っちゃってるもんで、だめだ」と言う。
たしかに川の水は泥色をしており、もう何日も続いていることは間違いない。
ただし、それが原因でウナギが捕まらないかは分からない。
「これは?」と言って網状の筒を指さすと
「それは手長エビ用で俺が作った」と言う。
丈夫な素材で作らないとミシシッピアカミミガメが網を食いちぎり中のエサを食べてしまうそうだ。
手長エビを捕まええるとウナギ用の筒にエサとして入れておく。
「みんな知らないだけで居るだよ」と言って笑う。
「顔を写しませんから」という条件で漁具を写真に撮らせてもらった。
翌日は小雨なので傘を差して散歩した。
昨日のウナギの場所から100m下流に幼稚園があり、そこではヤギの爪切りが行われていた。
大人4人と子供2名が手伝ったり見守ったりしていた。
好奇心に駆られて堤防を降りて見に行った。
男性がヤギの後ろ脚を持ち女性一人が首を抑え、女性の爪切り担当者がハサミで少しずつ切っていた。
ヤギは爪切りが嫌いらしくて体を抑え込んでやるしかないという。
このヤギが土手で草を食んでいるときにタンポポを持って行ったことがある。
「ヤーギ君」という、さも知り合いのように近づく。
ヤギは美味しいとも不味いとも表情に出さず、ただムシャムシャと食べた。
タンポポが功を奏したのか私が声を掛けるときにはメスヤギは必ず「めええええ」と鳴いて答えてくれる。
今日も「ヤーギ君」と声をかけて近づいたが返事はない。
相当不快らしい。
石頭を撫でて「もう少しだからガンバッテネ」と言って忙しそうな場所から離れて散歩を続けた。

母と会った

2021-08-08 16:32:07 | Weblog
いつものように散歩に出かけると腰の曲がったおばあさんが両手にゴミ袋を持って歩いていた。
私の歩く先にゴミ集積場があるから、あそこに行くのだということはすぐに分かった。
私より先におばあさんがゴミ集積場に到着した。
両手はゴミ袋でふさがっている。
そこで私が「どうぞ」と言って黄色のネットを上に持ち上げた。
おばあさんは近づいてみると腰で折れ曲がっていて思っていたよりも小さい。
私の半分くらいしかない。
「ああどうも」と言っておばあさんは自分の持ってきたゴミ袋を捨てると思いきや既に出してあったゴミ袋の位置を奥に入れてから自分のごみを置いた
そしてもう片方のゴミ袋の先端を縛った。
「まだ締めてないだぇ」と言って笑った。
他人のゴミ袋の移動という一瞬の行動と捨てる寸前に封をするという行動。
捨てに行く途中でゴミを拾えば、その中に入れてからゴミに出すということが見て取れた。
そんな些細なことが腰の折れ曲がった姿と重なって7年前に亡くなった母を思い出し、少しウルウルときた。
いつもの公園を歩いていると公園内を掃除している白髪の老女が見えた。
先日も同じ場所を掃除していた。
公園を何周か周り、もうそろそろ帰ろうかと思った時まだ掃除している老女に声をかけてみた。
「この枯れ葉が溜まる場所で掃除しているのは修行か何かですか?」と。
ここの掃除は、やってもやっても翌日には元通り枯れ葉だらけになるのだ。
「私は、いろんな病気をやりまして骨も折ったものですから」と言う。
入院から戻ったときに、この公園に散歩に来て、その時にここをきれいにしようと決めたという。
「だから自分の好きな時に好きなだけ掃除して、やめようと思えばやめるし、でないと長続きしませんでしょ」と言う。
「ああ。いい考え方ですね」と自然に私の口から出ていた。
「こうやって草を取ろうとかがむのも長くはできないものですから」と座って、すぐ立ち上がって見せた。
自分で決めたルールで誰の迷惑になることもなく運動を兼ねて静かに満足感を満たしている。
また母に会った気がした。

真夏の散歩

2021-08-04 10:47:10 | Weblog
真夏であろうとも散歩はしたい。
かといって、いままで通りのやり方では熱中症になりかねない。
傘だ、と思いついた。
日傘は女っぽくて、いかにもという感じが否めない。
そうだ雨傘でいいじゃん!
雨傘を挿して1000歩ほど歩くと周囲1000歩の公園がある。
その公園周りにはドングリ、クスノキ、イチョウ、ケヤキ、エノキなど背の高い樹木が立っているので日陰が多い。
午前中は樹木の西側を歩き夕方には樹木の東側が日陰になっている。
公園一周の内日陰が5分の4ほどだ。
傘を差すから帽子はいらない。
その分頭が涼しい気がする。
日陰に入ると傘を折りたたみ片手に持って歩く。
隣接する水路から10羽ほどのハトが飛び上がり私のほうが驚く。
カラスはおしゃべりで、やかましい。
私が傘を「バサッ」と音を立てて差すと慌てて飛び去った。
水路に通じるパイプの中に居たカニが私の傘の陰に驚いて身を縮めた。
たぶん天敵の鳥の陰と勘違いしたのだろう。
公園内の日陰にあるベンチには、おばあさん達のかたまりがある。
運動場にはグランドゴルフに興じる老人達がいる。
道路にはセミの死骸が転がっている。
よく見れば、まだ少し手足をモヨモヨと動かしている。
落下して時間が経っているものはアリによって解体されて、どこかに運ばれていく。
まだ生きているセミは活発に「シャーシャー」とか「ジー」と鳴いている。
両側に樹木がある場所を歩くと両耳に大音響のセミの声が入り込んでくる。
右耳の中に蚊が入り込んだように聞こえたのは鼓膜が耐えきれなかったのではないかな。
いろいろ観察しながら歩いていると楽しい。
だが同じところを7周もすると飽きてしまう。
今までの散歩道である川の堤防に行ってみた。
ここは日陰がほとんどない。
涼しいショッピングモールの中を歩くよりは変化があって面白いが同時に人間どもが捨てたタバコの吸い殻、お菓子の包み紙、空き缶なども目につく。
天寿を全うしたセミの死骸と同じとは思えない。

春野で地区の掃除

2021-08-02 10:27:16 | Weblog
毎年この時期に春野に宿泊する。
翌日は7時30分前から道路掃除が行われて、それに参加するからだ。
前日にわが家の周りの草刈りをしようと思っていたが到着早々雷が鳴り始めた。
ゴロゴロという音が空を駆け巡り、その様子が龍の飛び回るさまに思えた。
結局龍はずいぶん長い間飛び回り、飛び去ってからは暗くなってしまって草刈は諦めざるを得なかった。
となると次の目標は焼肉だ。
まだ昼食の分が胃から移動していない内にだ。
七輪に炭を熾し安定するまでウチワで扇いだ。
まだまだ食欲は起きていないが、それでも食事の支度が整ったら食べる。
飛騨牛 豚肉 ソーセージと焼き発泡赤ワインから缶ビールになり生野菜と野菜の漬物を食して満腹だ。
自宅では24時間クーラーが27℃で作動している中で就寝するのだが、こちらは自然の気温が27℃だ。
窓を全部締め切り、それでも明け方にタオルケットを1枚追加した。
翌朝7時過ぎに駆け付けると既に草刈り機から道路の汚れを吹き飛ばすブロアーの音が盛大に鳴っていた。
私はジョレンを持って道路脇に溜まった土や山側にケモノや風雨によって落とされた土砂を取り除いた。
たっぷり3時間作業した後この地区の水道掃除が始まる。
山の湧水を受水するのはコンクリート製のタンクだ。
石やプラスチック製のフィルターを取り除いた後タンクの内側をきれいにして再び水をタンクに溜める。
これは3人の精鋭がタンクに登って作業をする。
私では体のバランスが悪くて作業出来やしない。
苔むした岩場を登り極度に重いコンクリート製のタンクのフタを外し、その上の水の流れを樋で別の所に落としてからの作業なのだから。
受水槽から出た水を消毒施設までの途中で1か所タンクを置き、そこでもタンクの中を確認できるようになっていて、それを掃除する。
そこは危険もなく和気あいあいと皆で笑いながら作業する。
これが2時間。
全身冷たい湧き水でびっしょりになって戻ると妻が昼食を用意してくれた。
究極の手抜き料理のカップラーメンが美味しかった。
この濃い塩味が心地よい。
焼きおにぎりも濃い塩味にしてくれてあった。
前日に二人で用意しただけに「これでよかった」という満足感も感じた。