家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

押入れにスノコ

2009-04-30 08:01:38 | Weblog
春野の家は毎日行くわけではないので室内にどうしても湿気がくる。

特に押入れはひどい。

室内換気の手始めとして、まず押入れの湿気をとる対策をすることにした。

安価で有効なのがスノコだ。

押入れ全体をスノコで覆ってしまうことにした。

外で板を切っては押入れの中で貼る。

単純だが量の多い作業となった。

途中で、というより始めてすぐに機械の故障が出た。

MAX釘打機(ホッチキスの機械)の空気穴からエアーが漏れ出し一切使えなくなってしまった。

修理をしようと一応開けては見たものの故障箇所が見つからず、これの使用は諦めた。

今までは板を押さえてスパン、スパンと一瞬のうちに壁に留めていったのだが今度は電ドルでビスをねじ込んで留めることになる。

手間は何倍にもなった。

順調に作業は進んだが終わりが見えてきた頃材料不足が分かった。

多少は余りが出る予定で買い込んだ板が押入れの中に消えてゆく。

今日中に作業を終えたい。

残った材料は細い板ばかりだ。

しかたなく細い板で貼ることにした。

これで更に手間が増えた。

何とか形を整えた。

しかし2メートルの長さのスノコだから、その下を掃除するときには大変だと思う。

お金をスノコの下に落とさないようにしよう。

麿君用ベランダ台

2009-04-24 06:54:05 | Weblog
ベランダに麿君用の台が置いてある。

ホームセンターで買ってきた安価なスノコに脚を足しただけの簡素な物だ。

それが最近経年変化で使用に耐えられなくなりつつあった。

スノコの釘は抜けてくるし板は腐ってくるし。

妻から作り替え依頼があった。

「じゃあ小屋を壊した後の残材で作る」と言ったら怒られた。

でもまるっきり使わないのは、もったいないので主な部分は新品で、筋交いなどは古材を使うということになった。

ある程度まで組み立てておき前の台を撤去してから設置することにした。

さて前の台を撤去しようとハンマーで叩いたところバキッと折れてしまう。

ハンマーなど不要で次々と折れて外れてくる。

「替え時だな」と実感した。

麿君は軽いから、もう少し持ったかもしれないが、それでも今年の梅雨まで持つかどうか。

いざ作りかけの骨組みを置いてみるとエアコンのコンプレッサーが邪魔になる。

仕方なくスジカイの位置を変更した。

植木やら水鉢やらを置いている依頼主は「ごめんねやりにくくて」という。

確かに知恵の輪状態での作業だけに力が入りにくいし水鉢に足を入れそうにもなった。

台の脚を1本だけ春野にあるケヤキの枝を使ってみた。

重くて作業し辛かったわりに出来上がりは地味だった。

「もうひと工夫が必要だな」という感想を持った。

友が来て去った

2009-04-23 08:16:08 | Weblog
春野で作業中電話がかかり、すぐに戻って来るように言われた。

帰宅すると友夫婦は既に到着していたが家の中には入っていなかった。

友はジャカルタ勤務から戻り、再び今度はアフリカのマラウィ共和国に発つ。

同国に滞在する日本人のための医師として赴任する。

ジャカルタ勤務から早2年が経過したという。

「現地特有の病気もあるでしょうね?」との私の問いに

「ありますよ。私もチフスに罹りましたし」と答えた。

奥さんも指の骨を折り現地特有の治療を受けた話を聞いた。

医大生の息子さんもチフスに罹り「自己診断が正しかった」と言って喜んだという医師の卵らしい笑い話をしてくれた。

たった1時間しか話をする時間がなかったが彼らの健康で楽しそうな様子を見て嬉しかった。

幾分老けたが、それはお互い様だ。

日本に居たときよりも元気になったと感じたのは妻も一致した。

六連リング手帳

2009-04-22 07:25:30 | Weblog
六連リング手帳を使い始めて20年以上になる。

市販の手帳を使用しているが今のところ不満はない。

リフィルは100ショップで売られている1枚の裏表で1週間のものを利用している。

六連リング用のパンチも使用しているので何でも6個の穴を空けては手帳に挟んでいる。

主にレシートや領収書などが多い。

これが溜まる一方だ。

何年間分をストックできる物を使ってはいるが急に自分オリジナルを創ってみたくなった。

まずは六連リングを東急ハンズで入手した。

手帳の下地はベニヤ板。

外側は厚手の藍染めの布にした。

手帳を開くと、そこにも藍染めの布を使用した。

それは妻が染めたもので「青海波・せいかいは」模様になっている。

これで2年分くらいは裕に溜めて置けるだろう。

コシアブラを植えた

2009-04-22 07:23:32 | Weblog
いただいてきたコシアブラを植えた。

抜いてから43時間ほど経過していたが苗木は元気そうだ。

どれでも良いから、なんとか着いて欲しいので1箇所に植えることは避けて数箇所に分けた。

水はけの良い 風通しの良い 日向もしくは半日陰という所が好みらしい。

スコップで作業しながらも頭の中は楽しかったコシアブラ旅行の記憶を甦らせていた。

浜松から松本まで高速道路は当然1000円。

松本ホテル花月はツインで1泊食事なし1人4000円。

部屋にはタオルも歯ブラシも無いプランだがそんなものは持っていけばよい。

大風呂は当然使える。

駐車場は18日午後イチバンから19日午前中一杯で525円。

チェックイン前から利用できたしチェックアウト後も利用した。

夕食は駅近くの焼き鳥屋「鳥じん」2人で4950円。

ここのレバーとイワシは美味しいと聞いていたが予想をはるかに上回っていた。

また、ここではお医者さん御一行と知り合ったが、とても楽しかった。

自分たち流の遊びを堪能した。


コシアブラ旅行

2009-04-20 07:44:05 | Weblog
松本市内にある喫茶店のマスターと懇意になり彼の実家の周りを案内してもらった。

彼の車に妻と乗り込み3人で木曽に行った。

同じ週に木曽に2度も来るとは思わなかった。

彼の父親の所有する山は木曽ヒノキの山の中でも的確な間引きが施され最も良い状態を維持しているという表彰を得ている。

つい先ごろも「鉄腕ダッシュ」という番組が録画に訪れ19日に放映された。

私も「トキオ城島と同じことをしたんだなぁ」という思いで番組を見た。

その山でコシアブラの苗木を掘り出してもらった。

初めてコシアブラの木を見た。

私が掘ろうとしていると彼の父親が私からクワをとり上げて掘ってしまった。

よほど私の腰つきが悪かったのだろう。 

小さな木を選んだので根は深く張っていなかった。

5株ほど苗木をいただいてきた。

春野に植える。

ちゃんと根付いて欲しい。

「枯れたらまたあげる」とは言ってくれたが。

母にCDを

2009-04-18 06:53:55 | Weblog
母の誕生日にCDをプレゼントしようと思っていた。

母の若い頃好きだといっていた「誇り高き男」のテーマ。

当時我が家にレコードプレーヤーはなく近所の友達の家まで私を連れて聴きに行ったことを覚えている。

母が「いい曲ねえ」と言うものだから友達は何度も繰り返しかけてくれた。

さてこんな古い曲のCDなんてあるのだろうかと思った。

図書館にリクエストしてみた。

この曲の入ったCDは4枚有った。

その全てを借りては返し最後の1枚がオリジナルサウンドトラックだった。

「これだ」やっと巡り会えた思いがした。

次に特定できたCDをオークションで買った。

もうとっくに誕生日は過ぎてしまった。

先日やっと渡した。

何の記念日でもないが。

次の機会に実家に顔を出したら姉が「あんた。毎日聴いてるに」と言ってくれた。

また母からもお礼を言われた。

「いい感じだよ。ほんとにいいだよ」と言う。

そして今度は欲しいCDを言ってきた。

これは本当に気に入ってくれたのだなと確信し嬉しくなった。

小屋を壊した

2009-04-17 08:16:02 | Weblog
東屋の隣にあった小屋を壊した。

何かに使えるかもしれないと思って残してあったが約2年間全く使わなかった。

ネジで木を留めてあるのなら電ドルでグリグリやればよいのだが、ほとんどは釘で留めてあった。

バール くぎ抜き ハンマーなどで解体に挑む。

以前この小屋の中にアオダイショウが住んでいたことがあった。

落ちていた長めの枝でつついて退去してもらったことを思い出した。

「もしかしたら彼が前戻って来てはいないか?」

「また別のニョロ君が入居してはいないか?」

恐る恐る扉を開けてみた。

そっと中を覗くが入居者はいないようだ。

臭いも嗅いでみた。

「臭わない。」

アオダイショウ君の入居時には、とんでもない臭いがしていたのだ。

まずは、扉を外した。

蝶番をくぎ抜きで外し扉ごと持ってどけた。

次に壁となっている板を外す。

バールでバンバン叩いて板の片側の釘が外れれば、もう簡単だ。

板を持ってひねれば外れる。

壁板が外れてくると小屋全体がグラグラしてくる。

逃げる準備をしながら作業を続けた。

外壁が外れてしまうと、あっけなく倒れた。

結局1時間で解体は終了した。

まだ中に残っているガラクタの片づけが残っている。

そちらの方に手間がかかりそうだ。


農機具の柄

2009-04-16 08:40:36 | Weblog
以前もらっておいた農機具に柄を着けた。

どうせ使用する予定のない物だからと思い柄には曲がった木を選んだ。

まずは柄の先端を裂き、農機具先端の鉄の厚さ分だけ削り取った。

そのあと先端を差し込んで銅の針金で巻いて固定した。

わざとらしさは若干残るが錆びた鉄の良さが出た。

また柄の曲がり具合がとても心地よいと自己評価した。

半農半漁の農家で使っていた物なのでアサリなどの貝を採るときにでも使うのだろうなんて思っていた。

だがY爺さんが来て「おっ、赤で巻いたなぁ。こりゃあ麦に土をかける時に使う奴ずら」というので貝採り用と決めていた自分が恥ずかしくなった。

貝採りには別の器具を使っているのをテレビでも見たことがあったっけ。

貝採りは手前に引いて使用するが、この農機具は向こう側に押して使用する形になっていることに気がつかなかった。

当面飾りとしてさりげなく、それでも皆が確実に見えるところに置く。

「あれは何ですか」と聞かれたらこちらのものだ。

さも知っているかのように説明をする。

田舎暮らしの達人のような顔をして「ありゃぁ麦に土をかける奴ずら」と身振り手振りを添えて答えてやろう。

蓼科 奈良井 高遠

2009-04-15 05:42:54 | Weblog
スポーツ吹き矢磐田支部の旅行に行ってきた。

サントリー白州ディスティラリーに寄った。

私が大をしている間に皆はガイドと一緒にバスに乗って出てしまった。

案内所に行くと私だけ車で送ってくれた。

さて追いついてみると誰一人として私が居なかったことに気付く人はなかった。

そんなに影が薄いのかと少し心配になった。

さていよいよウィスキーの試飲タイムが来た。

嬉しくて。

だがサントリー側も、そう易々と、ただ呑みさせてはくれない。

「それでは皆さん水を比較試飲してみてください。今から、ここの工場で詰められた天然水のペットボトルをお分けします。それをコップに移し既にコップに注いである物と比較してみてください」と言われた。

真っ正直に味を見る。

少し苦味を感じたが、ほとんど変わらない気がした。

硬水、軟水などの説明を聴き、さんざん水を飲んでから、やっとウィスキーが出てきた。

50%白州ウィスキー 50%天然水 の割合いで作った水割り。

美味しかった。

恥ずかしげもなく出て行ってお替りした。

でも「ロックでください」というオヤジもいた。

残念ながら仲間だった。

蓼科は某有名車メーカー系の保養所に宿泊した。

従業員の教育がいいねえ。

挨拶が良いなんて当たり前のことを誉めなくてすむ。

本当に客に対して誠意が伝わる感じがした。

おかげで夕食は楽しかったこと。

美味しさにかなりプラスされた。

しかも安価だ。

翌日、木曽路は奈良井の宿に行った。

家具を修理している職人と長々話しこんでしまった。

彼はパーキンソン病を患っているが揺れる手や頭を押さえ込んで色紙を書いてくれた。

たまたま入って来た吹き矢仲間の女性の書いてもらいたい言葉が、

「一日一生」だった。

私の尊敬する酒井雄哉大阿闍梨の言葉だった。

この店に、その酒井雄哉大阿闍梨が2回目の千日回峰行を終えた後立ち寄り、その後ずっと連絡をしてくれていると言ってアルバムを見せてくれた。

御主人も我々に何かの縁を感じたようで次々に色紙を出してきては筆を滑らせるのだった。

奥様も自家製の漬物を袋に詰めて持たせてくれた。

高遠のサクラを見に行った。

混み合う所の嫌いな私だから自分で立てる計画の中には絶対にこの場所は無い。

さて現地に到着するとやはりメチャメチャ混んでいる。

シャトルバスで向かうが帰りのバスを待つ長い長い列を見て愕然とした。

「下りたくない。このまま帰りたい」と正直感じた。

サクラの大木がこれほど密集している場所を他に見たことが無い。

山が全て満開のサクラだ。

サクラの中にドップリと浸かっていると何故か遠くに見えている緑の山の中に1本だけ見えているサクラの方が価値あるように思えてくるから不思議だ。

場外で絵描きをしている人物と話をした。

彼もちょうど話をしたくなった頃だったのだろう。

筆を洗って置くと、いろいろ喋り始めた。

絵から始まって政治の裏話しが多かった。

「何故そんな詳しいことまで知っているの?あなたは何者?」

と言いたくなった。

「絵描きに身をやつしてはいるが実は」というスパイ物語の中に入り込んだようだった。

「どんな一日であっても、今日の自分は今日で終わり、明日はまた新しい自分。どこで断ち切られても、自分の一生だったといえる今日の一日でありたい。だから、今日も黙々と、日々の勤めをこなしていく」という酒井雄哉大阿闍梨の言葉を聞いたばかりであったが華やかなサクラの宇宙の中でブラックホールとでもいうような政治の裏話を聞くとは思いもよらなかった。

出会いを感じることが立て続けに2度。

「今日も濃く生きた感」があった。