家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

ミツバチに刺された

2018-02-26 08:50:48 | Weblog
今年初めての第一ミツバチ箱の掃除をした。

充分に充電した電ドルや掃除グッズを持ち山に上がる。

箱の最下段の後ろの板のビスを3本ずつ2組、計6本をゆるめる。

板から突き出たビスを持って引っ張ると箱が開く。

中には、やはり汚れた巣の粉などが散乱していた。

草取り用の金具で、それらを掻き出す。

するとミツバチが1匹また1匹と出てきた。

この寒い時期でも暖かい日には外に出て活動することは知っていた。

今日は、とても寒いから巣の中で大人しくしているだろうという読みがあった。

しかし出てきたミツバチたちは、こともあろうに私めがけて突進してくる。

今日は、いつもの作業用の出で立ちだ。

作業服の上下にキャップ、作業用手袋をして首にタオルを巻いているだけだ。

ミツバチたちは私の体中にまとわりついてくる。

大急ぎで作業を終わらせて早いとこ蓋を戻さなきゃ。

急ぐがミツバチの攻撃がしつこい。

顔に網を被っていないので皮膚の露出しているところに攻撃してくる。

老眼鏡の中にまで入り込むので手で払いながら作業を進める。

もうとてもじゃないが作業の継続が難しいため網を取りに一旦山を降りた。

その時私の作業着の袖口を開けてみると手袋との間から二匹のミツバチが飛び去っていった。

急遽網を被って作業を再開した。

今度も攻撃が続く。

しかし今回は網を被っているので直接顔の周りに飛び掛ってくるものはいない。

ミツバチに刺されたことは一度あるが、こんなに強くやられたことはない。

鏡を見ると顔に2箇所まだ針が刺さっていた。

右目の目尻の下と眉間の少し右寄りのところだ。

その日は、その後の作業を全て中止して様子を見た。

眉間は鈍痛目尻の下はビリビリとした痛みがあるが私の体調に異常は出なかった。

翌日になってかゆいところが出てきた。

右側のアゴ下と右掌の甲の中指の付け根のあたりで3ミリほど丸く赤く腫れている。

蚊に刺された程度のかゆみだ。

計4箇所が実際に私の体に針が刺さった。

ミツバチは自分の死と引き換えに相手を刺す。

気の毒に私を刺したミツバチは死んでしまったのだ。

私が、きちんと装備をして臨めば、この特攻ミツバチの死は防げたかもしれない。

草刈りはじめ

2018-02-21 17:18:11 | Weblog
今年一番の草刈りをした。

我が家の山の下には狭い水路があり、その横には畦畔がある。

その水路の中と畦畔が草で覆われていた。

まさに草ボウボウの中に獣が通った跡がクッキリ付いている。

そしてその獣道にはボール状の糞が多数転がっている。

寒い間中彼らは縦横無尽にこの草やらを歩き回っていたことが分かる。

静かな段々畑の跡地にエンジンの音がひときわ大きく鳴り響く。

その位置と音で、どこの誰それが何をしているかが集落の人たちには家の中にいても、まる分かりだ。

私が刈り払い機で草を刈ったあと妻がレーキという器具で草をどけていく。

毎年草刈りの後で見に行くと極端なトラ刈りになっていてがっかりするのだが今年は大丈夫のようだ。

隠れている石は少ないがそれでも時々「チーン」というチップソーが石に当たって悲鳴のような音を立てる。

幸い水路に水は少なく中にはびこるアシのような植物の根元近くから刈ることができる。

こいつらが性強く以前植えておいたワサビやクレソンなどは淘汰させられた。

気をつけて刈る場所になった。

このあたりにはフキノトウが出るのだ。

在った、案の定。

作業は約1時間で終わった。

まだヘビもいないしハチも飛んでいない。

安心してできるこの時期の作業が好きだ。

作業をした私たちも気持ちいいが後で見る地域の人達も気持ちがいいに違いない。

草を刈り終えたあと、ご褒美としてフキノトウ探しをする。

大きく開いてしまったものから、まだ小さいツボミのものまで28個採れた。

これを天ぷらにしてビールを飲む。

春先の報酬は苦味の二重奏だ。





シイタケとヒラタケの交換

2018-02-17 09:53:19 | Weblog
シイタケのホダ木用としてコナラを切り倒し一部を売却したが主な部分は残した。

それは山から下ろすのにとても重いから。

それに売れても安い。

それと知り合いから「シイタケのホダ木ありましすか」という問い合わせがあったからだ。

聞けば彼は今年はヒラタケを打つという。

その一部を私に回してもらい私のホダ木を一部彼に回すということで商談成立に至った。

私のところからは重い、つまり太くて良いホダ木を10本持っていった。

力持ちの彼は山から危なげなくスイスイと抱えて下ろす。

それでも特大のホダ木は二人で両端を持ちゆっくりゆっくり下ろした。

二人でも持ちきれないほどの大きな奴は彼が手鋸で時間をかけて切った。

私が「チェーンソー持ってこようか」と聞くも「いや、いい」といって手作業を続けた。

全て下ろして軽トラに積み終わると「じゃあね」と嬉しそうに去っていった。

後日自宅にヒラタケのホダ木であるエノキ3本と打ち込むヒラタケの菌駒90個が届けられた。

シイタケと同じ大きさの駒なのでドリルのビットも同じやつで間に合う。

先日は残ったホダ木にシイタケ菌を500個打ち込んだ。

ヒナタの暖かい場所で私が穴を開けると待っていた妻が駒を打ち込む。

流れ作業で行えば分けなく終了する。

たった3本なら簡単に打ち込める。

ドリルで間隔が一定するように穴を開けて、そこに菌駒を差し込む。

差し込み終えたらカナヅチで打ち込む。

その作業の繰り返しだが、さすがに簡単に終わってしまった。

「シイタケと違って、打ち終えたヒラタケのホダ木は半分地中に埋めて上から枯葉を掛けておく」と彼から言われているので言われた通りにした。

「ヒラタケは、もう今年実がつくから」と言われているので待ち遠しい。

もし今年の出来が良ければ続けていきたいと思った。

探してみたら我が家の山にもエノキは存在していたから自前で全てやることができるのだ。

今年の秋の収穫時期には、いろいろな物が手に入りそうだ。








紫電改のタカ

2018-02-11 11:41:00 | Weblog
「紫電改のタカ」という漫画本を買った。

実家の隣が貸本屋ということもあって子供の頃は、よく漫画を読んでいた。

そのころ読んだ記憶が最近よみがえったので再び読みたくなったのだ。

井上和彦著の「撃墜王は生きている」を読んだからだ。

日本の戦闘機パイロットたちには日本の戦闘機に合わせた戦い方があることを知った。

圧倒的な物量の多さを利用して戦いを挑む米軍に対して少ない弾数だが威力の強い弾で、いかに相手の弱点を突くかということに職人的になっていくのは日本人として当然のことなのだろう。

で、その物量に対して技であったり勇気や忠誠心を基本として勝つことに感動を覚えた。

読み進むと「あれ?この戦法どこかで読んだことがあるな」と思い始め、それが「紫電改のタカ」だと思い出したのである。

4冊セットで¥2800送料なしを購入した。

ほどなく届き早速本を開いてみた。

ちばてつやの描く端正な顔立ちの主人公が私の記憶の深い部分に入り込む。

ところどころで、やはり涙が出てくる。

子供の頃も涙が出たことをうっすら思い出す。

これがまんざら嘘ではないと今度は知識を持って読み進む。

昔は「週間少年マガジン」で読んだから次週が待ち遠しかったり時々は読み忘れたりしたのだろうなと自分自身のことながら想像した。

はっきり覚えている場面と全く記憶にない場面もある。

最終的に私の英雄は特攻隊として出陣してしまう。

残念さと感謝の念が湧いて涙となって現れた。

子供の頃とは違う感覚で読むことができて面白かった。

旅客機で離陸するとき掌に冷や汗が出る。

寝返りしただけで目が回る。

そんな適性のない私が「すごい」といっても価値はないが、スポーツとして空中で何回転もできる人を「すごいなぁ」と思うように、それが殺し合いだとしても立派に戦い抜いた人たちを尊敬する。

その一瞬が訪れるまでジッと耐える。

恐怖を乗り越えている冷静さ。

その瞬間に寸分の狂いもなく仕事ができる。

それらは尊崇に値する。

少年の時の自分と変わらず熱いものを感じた。


脳トレ五目並べ

2018-02-05 15:05:42 | Weblog
最近脳トレとして「五目並べ」を始めた。

以前から同じような目的で「数独」をやっていた。

数独は難易度が増すとメモ用紙が必要になった。

「ここにこの数字を入れてみる」というようなやり方が必要なのだ。

で、だめだったら、そこまで戻して、また別の数字を入れてみる。

少し飽きてきたことと、ちょっと気楽さが無くなってきたこともゲームを探す元になった。

タブレットに無料の五目並べをダウンロードして早速始めてみた。

小学校時代以来の五目並べだ。

あっという間に負けた。

「あそうか。そんなゲームだったな」少し思い出した。

次にやると、また破れた。

その度に「ジャラーン」という、いかにも残念そうな音が流れる。

今まで数独では勝ち負けはなかった。

出来るか出来ないかだ。

負けが続くと、さすがにやり始めであって、まだ慣れないからと自分に言い聞かせても腹が立ってきた。

何日か続けていくと勝ったり負けたりするようになり、そして勝ちが多くなるようになった。

やるからのは勝ちたいので真剣にゲームに臨む。

ここが脳のトレーニングになっているのだろう。

で、勝ち続いている時でも負けるという自分の癖が見えてきた。

油断である。

どんなときに油断するのかというのも分かった気がする。

それは自分の策にばかり気を取られている時だ。

「こうすれば、あと一手で決まる」という、その一手を打ったとき実は相手方は、もうその先を行っている。

負けた瞬間「ハッ」と自分の落ち度に気付かされるのである。

何度か同じ経験をして、ふと自分の人生を思い起こした。

もしかして自分が一所懸命になっているとき、他が見えてなかったのではないか?

そのせいで誰かの勝ちを私が潰してしまったのではないか?

五目並べを脳トレとして選んだが反省の材料になったとは。

反省とはいえ、そればかりに気を取られてはいかん。

その時が危ないぞ。