家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

一人で佐鳴湖一周二度目

2024-10-15 17:25:42 | Weblog

一人で二度目の佐鳴湖一周することにした。

妻を趣味の習い事の家に下ろしてそのまま坂を下りれば佐鳴湖だ。

車を佐鳴湖漕艇場駐車場に入れて歩き始める。

妻のお迎えまで2時間ある。

いつも3人で歩いているので今日は静かに歩く。

湖の東側に来るとおばあさんの長い洋服の後ろ姿が見えた。

何かしているが、たぶんネコにエサでもくれているのだろうと想像した。

前に回ってみたが何もいない。

「何かいるのですか」と聞いてみた。

「これです」と即答した。

見るとピンクと赤い粒の成っている草があった。

「ああハゼランですね」と言うと「ハゼランというのですか。かわいいわね」と言う。

ハゼランの写真をスマホで撮っているのだった。

湖横の道を歩いていたがぬかるんでいたため、戻ることをせずに草をかき分けて自転車も通れる舗装路に出た。

中年のカップルがいたので「すみません。怪しい出方をしました」というと「良いですよ」と私が怪しくないと思えるような言い方をしてくれた。

「こんなところに湧水が出ていたっけ」小藪の湧水という所だった。

佐鳴湖に注ぐ川の橋ふれあい橋とであい橋を越えると草刈りをしていた。

キレイッサパリとした場所には、やはりカワセミを撮ろうとするマニアが長い望遠レンズを装着したカメラを三脚に設置しタイミング待ちのための折り畳み椅子がセットされていた。

今日は一人だけだったがいつもは最低でも数人は群がっているのだ。

もう少し歩いてから休憩しようと思ってテーブル付きのベンチを目指して歩くと、ちょうど同じタイミングで、そのテーブルに着いた中年男性がいた。

彼は真っ黒い自転車に乗り黒い自転車用の服を着てサングラスを外して寛ぎ始めた。

「軽そうな自転車ですね。カーボンですか」と言うと「そうです。軽いですよ」という。少し話して「お先に」と言って歩き始めると後ろから自転車道を「シャー」と追い越していく姿が見えた。

車の置いてある場所の前のボート用桟橋で釣りをしている人達がいた。

夫は竿先を水の中に居れて長いウキを見ては、たまに竿を上げてエサを取り換えている。

「ヘラブナ釣りです。もうこんな釣りをする人は居なくなってしまいそうです」というので「絶滅危惧種ですね」というと嬉しそうな顔をして「そうですと言った」奥さんらしい人が青ジャムシを付けてそのまま下に垂らしておくと何やら釣り上げた。

小さなハゼが付いていた。

発泡スチロール容器を開けるとハゼの他にクロダイが釣ってあった。

奥さんは「こっちは食べられないけど、こっちは食べられる」と夫よりも価値あるのが私の釣りだとでも言いたげだった。

妻を迎えに行くと、ちょうど玄関から出てきたところだった。


特定検診報告

2024-10-05 10:09:41 | Weblog

特定検診の報告

 

今までは「自分の健康管理だけで病気を探さなくても健康でいられる」という方針だったが、自分以外の親しい人たちがいろいろな病気にかかってきた。

71歳となった今、老化現象が知らず知らずのうちにわが身をむしばんでいるかもしれないと実感したのだ。

そこで今年から特定検診を受けることにした。

昨日その検診に行ってきた。

検便も受けるので、便の採取に苦労した。尿や水が便に混ざってはいけないと書かれていたので採便シートという物を購入して準備した。

まるで不織布のマスクのような物を便座に貼り着け、そこにする。

私が心配したのは便の量が多すぎないことだ。毎日多量に排出するので適量採取できるか不安だった。

だが案ずるより・・・、であった。

終了後は、そのまま流せるのだ。やはり便利だった。

医院でまずは冷蔵庫で保存した冷えた便を渡し次は採尿だ。

これは簡単に終わった。

次にレントゲン撮影。私は言われたとおりにじっとしているだけだ。先生が何かを言ったので、もう終わったのかと思ったら。これから撮影だった。結果はちゃんと映っていたということで安心した。先生が何を言ったのか、はっきり聴き取れなかったのだ。

次はベッドに寝転んで心電図と血圧測定だ。毎朝測って記録しているのでやりなれている。今朝は5時18分に測定して119-77-72だった。ところがかなり高めに出ている。180を超えていた。こんな数値は出たことはない。

計測をやり直したり機械そのものを交換して計測し直しても同じだ。

残りは体重と慎重の測定だ。体重は毎日測っているが身長は測る機会がない。

結果は156.5㎝と2010年の時の157.2㎝から0.7㎝の縮小は少ないと思う。

これには驚いた。妻は3㎝縮んだというし友人は173㎝が169㎝となって4㎝縮んで驚いたと言っていたから。

先生のところに今日の結果が届き、そこでもう一度血圧測定をしたが、やはり高い。先生は心電図の波形を見て私が2010年つまり14年前に循環器科で言われた「心筋梗塞を起こしたことのある波形だ」を気にしていた。この時には専門医の元で自転車で心臓に負荷を掛けて心電図を測定して、その結果は異状なしでした、という私の言葉を信じて異状なしとしてくれるようだ。

今朝の血圧は5時37分測定112-71-69だった。

 


このところ何をしていたのか

2024-09-29 09:58:07 | Weblog

このところ何をしていたのかというと、まずこの一か月に4回プールに行った。

早飯にして昼頃プールに行けば空いていると分かった。

だから妻をララポートに置いてプールに行った。

最後に行ったプールはひとコースに2~3人で空いていたとは言えないが混んでいたとも言えなかった。

今日のプールは泳ぎ自慢の人が多くて各コースでバシャバシャ音がする。

遅い人を追い越したり後ろから来る人を気にしたりして楽しいとは言えなかった。

だが自分のやりたい量はこなした。

さて左足のアキレス腱の痛みは相変わらず続いていて自分として手は尽くしたのだが変わらない。

まずは炎症かもしれないと思い冷やしてみた。

するとアキレス腱の重苦しさと弱い痛みも出る。

次に足湯で温めてみると、これは調子よくなるが温めの継続が難しい。

靴のインソールを変えてみたり、かかと周りをサポーターで固定してみたり。

全く変わらない。

とうとう整形外科を訪れた。

私の言い忘れがあってはいけないことと勘違いが無いように出来事を時系列で箇条書きにして先生に渡した。

レントゲン画像を見て実際に先生が「これは痛いですか」という質問にほとんど痛みはなく「痛くないです」の連続だった。

結局ストレッチのやり方を教わり患部を温め消炎鎮痛テープを出してもらった。

自分なりの分析をすると患部を知らぬ間に冷やし過ぎていたのかもしれないと思い始めた。

まずは季節的にハイソックスから普通のソックスになり風呂からシャワーになり昔からの癖で左足の先を布団から出して寝ていたが冷房が入っても同じように出していた。

これらが重なって厄介なことになっていると思う。

歩き始めれば痛みもなくスイスイ歩けるのだから血液循環がよくなれば良いわけで消炎鎮痛テープなど必要はないと判断した。

とは言っても1週間は毎日貼ってみたが、やはり効果なし。

もう少し涼しくならないとお風呂には入らない。

左足先を出して寝るのはやめて、さらに左足のふくらはぎにサポーターをして温めるようにした。

「かかとはしつこく痛いようですよ」という先生の言葉が思い出される。


プールと皮膚科

2024-09-14 08:53:01 | Weblog

妻を趣味の会に送り私はそこから一番近い水泳場に行く。

今までは「とびお」という水泳場が近かったが、そこが修繕のため使えない。

しかたなく北部水泳場というところに行った。

妻の利用する美容院に送った時には磐田の温水プールに行く。

今までは「とびお」で8月末に100mを2回行い50mずつ1時間の内に何回か行うのが最高であった。

磐田に行くと、その日は空いていて1コースに一人だけだった。

気分も盛りあがり150mを1本と100mずつを5本行った。

今回のプールはすごく込み合っていた。

で、1コースに5人が入って泳ぐ。

ビート板を持って泳ぐ人、平泳ぎの人。

一人ずつペースが違うからゆっくり長く泳ぐというわけにはいかない。

その上隣の水中歩行のコースから波は来るし流れまで押し寄せる。

夢は諦めて、泳げるときに邪魔にならないように気を使って泳いだ。

妻を迎えに行っても嬉しくて喋るという話題が無い。

妻の趣味の話を聞きながら帰宅した。

 

午後は近所の皮膚科に行った。

孫と海水浴場に行ったときカンカン照りの中をゴム草履でペタペタ歩き回った。

その時にできた日焼けは鼻緒の跡がクッキリと付き、そこだけ白くてあとは真っ赤になっていた。

しばらくすると赤くなった部分が痒くなり掻いてしまった。

この頃になってジュクジュクしてきたため皮膚科に行ったのだ。

ひょっとして水虫だと他人にうつす可能性がある。

結果は掻いたために出来たもので水虫ではありません、ということだった。

心置きなく水泳に行けると感じた。

デルモゾールG軟膏が処方された。

その夜シャワーを浴びた後塗ってみた。

すぐに痒みが消えた。

からだの内側から治す百薬の長を気分よく処置した。

翌朝耳の中に入っていてゴロゴロ鳴っていた水が失せ、水泳の筋肉痛も消え、薬を塗った辺りの皮膚も整いつつあることが分かった。

 


前立腺ガンは無かった

2024-08-31 08:40:26 | Weblog

今年初めの前立腺炎が発端だった。

炎症は抗生剤で収まったのだがPSAという前立腺ガンの指標となる数値が高かった。

前立腺炎でも上がる数字なのだから炎症のある時には当然高い。

炎症が収まってしばらくしてから測ってみると3月の段階で8.6であった。

年齢別PSA基準値(正常値)というものが出ている。

それによると、60~69歳で4.5ng/ml以下 70~79歳で6.5ng/ml以下

ということだ。

8.6は71歳の私には高い値だ。

医師の説明では炎症が収まってもPSAはス~っと落ちるわけではなく徐々に落ちていくのです、と言う。

次のPSA検査は5月であった。

数値は4.5だった。

「良し。これで大丈夫だ」と勝手に思い込んだが医師はまだ納得しない。

次のPSA検査は8月30日であった。

名前を呼ばれて医師の前に座る。

医師は検査報告書を見せる。

数値は前回と同じような4.239であった。

すっきり4未満に落ちてくれればいいのにと思ったし、そう言った。

だが医師はこれで納得したようで少し素っ気なく感じるほどに説明を始めた。

「あなたの正常値は、この辺りかもしれませんね。あとは適当な時期にPSA検査をしてくださいね。と言った。

この数字の解釈はプロでないと分からないなぁと感じた。

検査を受ける時に、この病院での検針票の質問欄に排尿後に残尿感がありますか?

排尿の始めにいきむことがありますか?

など10項目がある。

ほとんど全て ない と答えたのだが、床に就いてから朝までの排尿回数は何回ですか?という質問に答えは 0回 なのだが、どういうわけだか 5回以上 という所に丸を付けてしまってあった。

それでも検査でちゃんと証明されたから良かった。

元々の前立腺炎の原因として考えられるのは春野での作業の時のことだ。

地下足袋をはいて外で作業しているので家に戻り地下足袋を脱いで入って用を足すということが面倒で、そのままいわゆる立ちションをすることが多い。

しかも冬場は回数が多く仕事用の手袋すら外さずにすることも多い。

だからじゃないかなと思う、10年前も。


作業台のハンドル

2024-08-25 16:54:11 | Weblog

作業台を安価に購入してからしばらくになる。

たまに行く中古品や新品の安売り品の店でのことだ。

これは良いと思って「これいくら?」と聞くと、たしか1000円未満だったと思う。

迷わず購入すると店員のブラジル人が「今並べたばかりだから得したよ」と言った。

自宅に持ち帰り、いざ使ってみたら作業台をスライドさせるためのハンドルが無かった。

片方は、ハンドルの通る丸い部分までも壊れていた。

「まあそんなに細かく動かして使うわけではないからいいか」という感じで使っていた。

コーキング材の先端のキャップ部分をハンドル代わりにして利用していた時もあった。

するとやはり接着がはがれて使えなくなった。

最近また作業台を使う機会が増えた。

これを機に直そうと思い立った。

旋盤用の回転ハンドルを購入した。

3個入って¥1260だった。

さてどのように使うか、と考えた。

アルミ板を利用することにした。

アルミ板を切って穴を空けて先端を少し曲げて接着して使う。

これが暑い日には車庫に入れないため夕方になってから作業を始める。

少しずつ進めてとうとう完成した。

取っ手がちゃんと回転して作業台がスムーズに動くなんて、こんな便利なことはない。

左右のハンドルが同時に動いてキッチリ挟む。

なんと便利なのだ。

見場はやはりイマイチなのは仕方がない。

でもちゃんと利用できるようになると今までの作業が楽しく思えてくる。

 


妻が発熱した

2024-08-23 10:09:43 | Weblog

妻が発熱した。

孫とその家族が戻って5日目からだ。

特にここが具合悪いということはない。

それから1週間経っても良くならないので病院に行った。

発熱という体温計を使えば誰でも分かること以外は分からない。

病院では問診以外に尿検査 血液検査 レントゲン撮影をした。

尿検査は異常なしで血液検査の結果は時間がかかる。

とりあえず抗生剤を処方されて飲んでいる。

孫が来ることになって急遽購入した折り畳み式ベッドがまだ居間に広げて在り今となると片付けなくてよかった。

私は自分の生活のペースを取り戻し楽しく過ごしている。

しかし歩くのを控えているため毎日1時間半取ってあった行動が無くなったため少し暇になった。

とは言っても、こう暑くては余った時間は避暑に当てるしかない。

その中でも妻の作業靴を直し昨日引き渡した。

この靴は地震に備えて購入したもので新品を袋に入れてベッド脇に保管していたものだ。

妻が出して履いてみると底と上の部分がきれいに剥がれてしまったのだ。

全く使用していなかったので新品そのものだ。

ただ上と底を接着するだけなので私が修理することにした。

今は部屋の中で室内用の靴を着用しているし作業にだけ使用するので見かけが少し悪くなる程度で使用には問題ない。

私のやると決めた水泳も始めた。

100mは泳げるようになったし25mで息苦しくなっていたのが50mずつ泳ぐことになったから倍くらい進化したと思う。

1時間は水の中に居ることにして、いろいろ自分の欠点を直していくことが楽しい。

妻は「良くなったら、どこか涼しい所に行きたい」と言うが「涼しい所は遠いよ」と言って行く場所を選定中だ。

孫の家族は元通りの生活に戻ったようだ。

 


来て嬉しい、帰って嬉しい

2024-08-07 11:00:46 | Weblog

昔から「孫は、来て嬉しい、帰って嬉しい」という。

事実今それを味わっている。

今回は一人だけで新幹線でやって来たから初めから驚きだった。

小学校2年生が一人で新横浜から浜松まで来られるのだから良い国なのだ。

さて、いざ来てみると猛暑で昼間やれることが少ない。

弁天島に海水浴に二度行った。

二度目は干潮になる数十分前だったから海水浴場の面積が極端に少なく、そしてとてつもなく浅い。

少年にはどちらも関係なく、水遊びには問題はなかった。

水が楽しくて全く恐れていず体に妙な力が入らないから手を伸ばして水に浮かばせてみたら、かかとまで浮いていた。

そのまま手で水をかき息が出来れば水泳だ。

クラゲがウヨウヨ海の中を漂っていて体を刺されるのではないかと心配した。

大きなヤドカリがいて、それでも30分程度遊んだ。

プールとは違う遊び方をさせたかったのだが、それは成功したと言ってよさそうだ。

自転車は遊ぶには遊んだが如何せん気温が高すぎて、どこかに行ってきたということはない。

メイトという原付に乗せて走った時には「今日は風が強くて横に振られるな」と感じたのだがミラーに映った孫は目を閉じていた。

居眠りをしていたのだ。

国道を少しその状態で走ったのだが私の後ろからくる車が付いてこない。

私の後ろに乗る子供がグラグラしていてひょっとして落ちたら自分が引いてしまうと思ったのかもしれない。

8日間3人で過ごし9日目に両親と弟が合流した。

11日間を一緒に過ごしたが昨日家族で帰っていった。

帰る前に母親から聞いて分かったことがある。

新幹線が停電で少し遅れが出た時のことだ。

母親は、どこかのサイトを見て知ったのではなく車内放送を聴いた孫が母親にメールで知らせたから、そのあと我々に連絡が来たというからくりだった。

通っている塾の勉強もタブレットで行うからWi-Fiの事もよく知っているしタブレット操作も大人顔負けだった。

一家が合流して弟がTVでこれを見たいと言ってぐずった時に父親は怒らずにTVというのは見たい番組が見られるものじゃないんだよと根気よく教える。

だがそれでも「いやだ。見たい」というのが小さな子なのだ。

そうしたら母親の出番が来た。

やさしく、しかし毅然と説いて聞かせTVではなくタブレットを見ることを承知したら今度は「切り替えができておりこうだったね」と褒める。

私の時には、もっと感情的になっていたし今の子育ても良いもんだなぁと感じて自分も勉強になった期間だった。

さて皆帰ったらジジババ二人だけのゆっくり流れる時間が戻ってきた。

昨夜は8時間28分睡眠をとったと記録されていた。

あと数日経過しないと元に戻れない気がする。


孫がやって来た

2024-07-29 11:10:29 | Weblog

本当は25日に妻が連れに行き一緒に戻ってくる予定だった。

だが予期せぬ発熱で来られなくなった。

仕方なく妻は当日のみ有効の新幹線に乗って横浜に遊びに行ってきた。

さて翌日親に連れられて行った病院では扁桃腺の腫れによる発熱とのこと。

孫が通い始めた剣道場での練習と、その後の先輩たちの試合を見ていて道場の冷気にやられてしまったらしい。

さて27日は一人だけで新幹線に乗ってやって来るのだ。

新横浜の駅まではお父さんが重い荷物を運び本人を乗せてくれた。

その連絡が我々に届いたら我々は動き出した。

駅前の駐車場に車を置きホームに迎えに出るためのチケットを購入して待つ。

少しでもホームに近づきたくて改札から入る。

だが暑い中で1時間も待ちきれずクーラーの効く部屋に入って大相撲を見て過ごす。

相撲が頭に入ってこないことには驚いた。

その内にお母さんから「停電らしいですよ」という連絡が。

「駅にいるけど何もアナウンスが無いよ」と返事をした。

ずいぶん経ってから「停電による遅れが5分ある」ということが判明した。

駅に居れば何でも一番先に分かるいう時代ではなく職場を出られない人が一番早く情報を手にしたという時代なのだと感じた。

ホームのアナウンスでは「どこそこの停電によって5分程度の遅れが生じているが列車は今どの辺りを通過している」とお知らせしてくれる。

最終的には5分遅れできっちりやって来た。

10号車のドア窓には孫の姿があった。

ドアが開くと同時に孫が出てきた。重い荷物はグリーン車の客室乗務員が持ってきてくれた。

孫は、おばあちゃんに抱き着き涙を流して孤独からのそして極度の緊張状態からの解放を受け取った。

さて妻は私と二人だけの生活での妻の役割から母性本能をむき出しにしたおばあちゃんに変身した。

それを見ていた私にも男の守りたい欲のホルモンがレッドゾーンにまで達する勢いで全身を駆け巡っていたに違いない。

平常血圧に戻った3人は駅で少し買い物をして自宅に戻ってきた。

我々の立てた計画に高い気温を加味して無理のない緩やかな生活を送る予定だ。

猫は居ないし、よく言うことを聴く子供一人が加わっただけなのだから、と思うが我々の老化現象を忘れていた。

足手まとい位の行動が、この気候の時期にはちょうど良いのではないかと思う。


足の不調

2024-07-26 16:10:22 | Weblog

左足のかかと辺りが痛い。

少し前からの傾向で歩き初めに、かかと辺りが吊る感じがあるが歩き始めれば即座に消える。

2022年の6月から毎日1万歩を目指してきた。

今年になって4月からは春野に行く度に現地を1万歩くことにした。

5月からは少し暑くなってきたので作業の前に歩き、その後作業するようになった。

現地は坂が多いから平地の1万歩とは違う。

6月からは暑すぎて自宅の散歩は早朝にした。

だが早朝に歩ききることはないので午後から続きの歩きを始める。

すると1万歩どころか2万歩に近くなることも増えた。

7月から1万歩の歩行はやめた。

Youtubeで調べると、どうやらアキレス腱炎であるらしい。

その夜からかかとを冷やし、なるべく歩かないようにした。

今まで1万歩を義務としてきたのに今度は歩かないことを義務化した。

それでも7000歩くらいはすぐに歩いてしまう。

「いかんいかん。これじゃあ何にもならない」と思い直し「絶対歩かないように」と誓う。

少しずつ歩かないことに慣れてきた。

すると心なしか左足のかかとが軽く感じられるようになってきた。

「おおこれならすぐに治るかもしれない」と感じた矢先今度は右足の足の平に痛い箇所が出てきた。

アキレス腱炎と同じかかとの骨に腱が繋がっているが、それは指の方向からのもので足底鍵盤炎だ。

冷やす箇所が左足かかとに加えて右足の平も増えた。

歩くのを止めるとあちこちガタが来るような気がする。

だが今が正念場だと思ってじっと耐える。

歩こうと思えば歩ける段階なので、そこが危うい。

性根を入れて涼しい場所でビデオを見たりビールを呑んだりしようと思う。