家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

小春荘は手ごわい

2014-11-30 07:32:55 | Weblog
小春荘に到着すると既に食事のしたくが整っているという。

さっそく会場に行った。

豪華な食事メニューだ。

「食べ始めててください。あとから出来たものを持ってきますから」と言われて食前酒で乾杯した。

大きな金目鯛の煮付けがでてきて、その場で小皿に取り分けてくれる。

それに手を付けてないうちに、今度はカサゴのフライが出てきた。

「温かいうちに食べてくださいね」と言って次々と出してくるのは少し変じゃないかと思うが、それがこの民宿のやりかたなのだろう。

これがちゃんとした料理屋であったら約3倍の値段が付いてもおかしくない。

しかも泊まらずにタクシーで帰るとして。

貝や新鮮な魚の刺身が残っている。

わかっちゃいても、食べられない。

アルコールの摂取を控えたのにもかかわらず食べおせないのだ。

普段はお腹を減らして寝るのに今日は満腹だ。

寝苦しいったらありゃしない。

その上部屋の中には野獣がいる。

野獣は寝つきがよく部屋の全員を食べようとする。

私は腹を食い破られ胃袋を噛みちぎられそうになった。

ということは私も少しはウトウトしていたということか。

あちこちで寝息やイビキが聞こえ始めた。

「出遅れた」と感じたが「負けないぞ」と思って眠ろうと努力した。

毛布が少し熱く感じられ足を出したり寝返りを繰り返したり。

野獣は時々息を潜める。

だがその後潜めていた分を取り返すように大きく息を吸う。

その不安定なリズムに自分が取り込まれないように

「その手に乗るか」と無視したふりをする。

戦いの続くジャングルの夜だ。

戦いは長時間になり野獣が起きるまで部屋はジャングル状態だった。

夕べ食べ過ぎた上に睡眠もうまくとれなかった翌朝再び量の多い朝食となった。

昨夜の伊勢海老が今朝は味噌汁の中で喜ばせてくれる。

碗の中で昆布に隠れている伊勢海老状態で出された。

その昆布をどけて、こんどは碗から逃げ出しそうな伊勢海老を演出してからいただいた。

今回も惨敗だ。

品数が多い上に一品一品の量が多い。

「このヒジキは堂ケ島産だな」と地元民。

もう一人の地元民は「本当だ。下田産は、もっと太いんだよ」と言う。

どちら産であっても全部は食べおせなかった。

美味しい料理を残してしまった、もったいない精神と支払い時の安価なことが混ざり合い複雑な思いで日帰り風呂に向かった。




化粧の湯は遠かった

2014-11-29 08:16:48 | Weblog
集合時刻に間に合わない。

伊豆の山の中を走っていた。

左耳のイヤホーンに電話が入る。

「今どこ走ってんの」S氏。   「虹の郷」の辺りだよ」私。

「じゃあ、あと1時間はかかるな。もう全員そろっているんだよ」S氏。

「先に行ってて。後で合流するから」私。

「じゃあ行く道を教えるね」

集合場所から、まだ1時間離れた地点にいる私に、その先の道をS氏の電話だけで覚えることは至難の業だった。

道は曲がりくねり音楽は止めたもののナビが勝手に喋る、その環境で、できるだけ多くの情報を覚えようとする。

現実の道路を運転しながらナビの地図上を走り脳内で電話で聞いた道を走るという感覚。

集合場所までのメドがついた時分に再び電話。

「さっきの説明に補足するね」とS氏。

私からも少し質問があり現在観光バスが先頭を走っているため急げないことを告げた。

集合場所にたどり着き、そこを通り越して次に皆のいる風呂に向かう。

今からは記憶だけに頼って走らなくてはいけない。

先ほど言われたことを思い出しながら周囲に気を配る。

「下田方面で川に沿って走る」

これでいいはずだと思っても自信はない。

けっこうな距離を走ったが曲がり角が見つからない。

頭の中でS氏の言った言葉を何度も思い出す努力をした。

目の前に出てきた道の駅に寄った。

大雑把な地図があり、私の目指す場所が、まだその先であることを確認した。

ほどなく記憶にある「鮎の茶屋」の看板を見つけた。

「よし間違いない」

そこを左折して細い道路に入る。

クネクネと小さな川沿いの山道を駆ける。

「あった。黄色いワーゲンだ」この道に間違いない。

その先に進むも私の友人たちの車が見当たらない。

「きっとさっきの黄色いワーゲンの所だ。それ以外に風呂らしいものはない」

向きを変えて戻る。

車を止めて歩いていくと川の対岸に露天風呂が見えた。

歩みを止めて手を振ってみた。

手を振り返してくれたが、それが私の仲間かどうか定かではなかった。

車は5台ほど止まっていたが、それも仲間のものではない。

ドアを開けると仲間たちが、私の到着を歓迎してくれた。

熱めのお湯をかけて天然の岩でできたような湯船に入る。

思いのほか深い。

シカやイノシシが足を滑らせて落ちてきそうな湯船だ。

竹のシキリの下からボコボコと湧き出すお湯。

たまたま私の知らない車で集まったという事実は、ただの笑い話になった。

薄暗く雨の降り出した湯には趣がある。

6頭の野猿たちは心ゆくまで湯に浸かり話をした。



ガラスのテーブル

2014-11-25 10:12:34 | Weblog
先日街灯をレストアして軒下に吊るした。

庵は良い感じに変化した。

その街灯を譲り受けた時に台形をしたガラスも譲ってもらっていた。

その台形ガラスは譲り受けた街灯用ではなく少し大きめの物だ。

その台形ガラスを切って街灯に利用すればよいと先方が譲ってくれたのだ。

台形ガラスは厚さが5ミリほどあり、周囲が素通しで中が、すりガラスになっている。

だが、あまりにも重いしガラスが割れることを考えて街灯に使用するのをやめた。

それを使ってテーブルにしてみた。

まずは台形ガラスと同じ大きさのダンボールを使ってテーブルの大きさとガラスの枚数を決定した。

ガラスは6枚使用する。

フレームとしては、外で使うので木材は、やめてアルミを使うことにした。

アルミは軽くて丈夫だがガラスの重みに耐えるように複数組み合わせることとした。

その接合は接着剤とリベット。

実は当初アルミにネジ切りをして使おうと思ったのだがアルミの厚さが足りず、こうなった。

ガラスは、ほんのちょっとしたことで削れて破片が落ちる。

やはり私のようなソコツモンには向かない材料だと実感した。

出来上がったものを庭に置いてある火鉢の上にかぶせてみた。

「まあ、こんなところだな」

さしあたってテーブルがなくて困っているわけでもないので、ただ作ってみることに集中した。

ガラスのテーブルは見た目は良いが使い勝手がイマイチ感がある。

コーヒーカップを置くと「コチン」と硬い音がする。

いかにも冷たい感じで周囲の景色と合わない気がする。

だが、その上に枯葉が舞い落ちたのを見ると「それもありか」とも思った。

またガラスに映り込む景色も、また乙なものかと感じた。






自宅で紅葉狩り

2014-11-24 11:17:11 | Weblog
自宅にモミジを植えたのは私だ。

ある有名な寺に自生していたものを抜いて移植した。

もちろん住職は知り合いで彼の許可は得てある。

モミジが紅葉するとキレイなことも知っている。

そのために植えたはずだ。

しかし目の前のモミジを忘れていた。

毎年夏のあいだ緑だったモミジの葉は秋になると茶色に変色して早々に散ってしまうから。

あれから10年以上経過しただろうか。

今年は例年になく美しい紅葉を見せてくれた。

何が違ったのかまるで分からないが、とにかくキレイだし葉の数も多い。

写真を撮っていたら暗くなってきたので玄関灯を点けた。

それを入れたら月のように輝いて見えて、それもまた気に入った。





電傘

2014-11-23 17:55:27 | Weblog
森町で催されている「町並みと蔵展」で電傘を購入した。

ある骨董店に入るとご主人が誰に喋るとはなしに

「これは○○円で買ったけど○○円で売るよ」という。

しかも2個ずつがペアになっている、その4個とも。

「買う」と即決したが口には出せない。

だってお金も持っていないし。

町並み展の端にある店でコロッケを買っていた妻が私のいるところに追いついた。

妻には小声で安価な価格を伝えてあるが彼女は、さらに、その上を望む。

「これいくらになります?」

「それじゃあ1000円お引きします」とご主人がいうので飛び上がりたいほど嬉しかった。

嬉しくて歩きながら受け取った袋を空中でグルグル回したくなった。

買った物は車の中に入れておいて、いろいろ用を足してから夕方帰宅した。

荷物を車から降ろし、あちらこちらに片付けた。

さていよいよ一番嬉しい瞬間だ。

買ってきた電傘を見ながらイッパイやることにした。

袋から出し新聞紙を解く。

「いやあ、やっぱりきれいだなぁ」と感激する。

「あれっ」新聞紙の包が3個しかない。

2個を一つに包んだのかな?

やはり1個もらい忘れてきたことが発覚した。

この期に及んで気がついても、もう店も閉まっているし店の電話番号も聞いてない。

明日直接店に出向くしか選択肢はなかった。

一気に脳みその中にイロイロな思いが渦巻く。

開けたビールの栓だが、たいして美味しくないことになってしまった。

翌日早々に、その店に行く。

昨日包んで、そのままになってしまった包を私に渡して

「やれやれ」という感じで本当に困ってしまっていた胸の内を吐き出した。

ご主人は私たちを追いかけて観光客の中を必死で探し回ったという。

奥さんは直接それらを包んだため、たいへん責任を感じてしまったようだ。

二人で互いに責任を感じて取りに来てくれて渡すことを願っていたのだ。

売り手も直接店に私が出向くしか選択肢がないことが辛かったのだ。

買った側よりも売った側のほうが、さらに気をもむ出来事だったことを知った。

私も「機嫌が悪くなって猫に当たってしまいました」と正直に伝えた。

こうして入手した電傘だが今のところ、どの傘と交換するか決めていない。

少し贅沢なのだが何せ安価なものだから、とりあえず買っておいた。

4個で1個分以下の値段だった。

選べる車で選べない雨

2014-11-12 07:51:13 | Weblog
車の集まりが有りモーガンで参加する申し込みをしてある。

少々寒くてもフロントガラスを倒してレーシングスクリーンで走ろうと思う。

トランクは何を積むか。

革と木で作られた大きなものにするか革だけの物にするか、はたまた若干赤みのある籐を編んだものにするか。

レーシングスクリーンにするなら帽子は、洋服はと、とめどもなく膨らむバリエーション。

だが当日が近づくにつれて雨の公算が増えていく。

「最近の天気予報は直前で変えるから」と最後の望みをつなぐ。

当日、雨は降っていないが確実に雨は降る。

昨日までの準備は、すべて御破算だ。

屋根を着けてトランクは積まないし洋服はレインウエアー。

そんな狭い選択肢の中で唯一といってもいい屋根。

純正の屋根ではなく私が手作りした雨用のトップを着けた。

純正を着けると可視範囲が、かなり減り、ただでさえ下手なバックが最悪になってしまう。

自作の物なら視界はオープンと同じで、しかもちゃんと雨は防げる。

走ってさえいれば雨が振り込むこともない。

同行する皆と合流し、いざ出発。

途中で早くも雨が落ちてきた。

浜名バイパスに入ると雨足は、いよいよ速くなってきた。

浜名湖の今切れ口をまたぐ浜名大橋を渡ろうとするとき時速80キロに達していた。

突然雨が顔に当たった。

「あれ?なんで、この雨」

自作のトップは雨の侵入を許し、まるでオートバイで走っているかのように顔に雨が当たる。

目を開けていられないので帽子をかぶった。

もう気分は最悪で今すぐ自宅に戻ってしまいたいが、それでも皆の待つ会場に向かう。

会場となったのは車とのミスマッチを楽しむための大きな寺だ。

名のある寺の境内は素晴らしい車であふれ次から次に名車が集まってくる。

その観光地化された寺には雨でも観光客が集まってくる。

商売繁盛の御利益があるとかで、そのためには雨は関係ないようだ。

雨のモーガンは濡れたシュナウザーが大きめのネズミに見えるように、その良さを減じてしまう。

屋根付き車で来た連中は、もちろん楽しそうにやっている。

数人の僧の読経が広い本堂に響き渡り、太鼓が打ち鳴らされ厳格とも思える空間に皆と一緒にこもった。

余りに響きが凄すぎて映画のシーンを見ているような思いがしてきた。

赤い袈裟を着た中央の僧の前に勝新太郎扮するところの座頭市が現れ

「世間を惑わす、この悪党め」と言って仕込み杖でバッサリ斬る。

いよいよ私の脳の中にも雨漏りしたらしい。

精進料理を食しても自分の名前入りの御札をもらっても私の気分の回復はなかった。

ボランティアが寺の中を案内してくれるという集まりに仲間が傘をさして向かう中、誰よりも早く会場を去った。







鳳来寺で出会う今昔

2014-11-11 06:52:13 | Weblog
鳳来寺表参道にある小学校の校庭で催される無二の市に行ってきた。

小ぢんまりとした会場は「あっ」という間に見終わりそうだが細かく見たり質問したりすることができるので家庭的であり親しみがあり時間の経過を忘れる。

生の音楽も聴けるし食べ物を売っている店からの良い香りや会場で作っている金具屋さんの槌音が楽しい。

だいたい、その表参道というところはモミジの巨木が沿道に植えられていて、それを見ただけで気分が良くなる。

ただし紅葉を楽しむのには少し早すぎた。

無二の市を楽しんだあと参道を奥に向かって歩いた。

大きな古家を再生している所に止まって見学していると急に扉が開き中から人が出てきた。

出てきたのは、この家を修復して中に住む予定の人物で横笛を生業としている方だ。

お話をうかがうことができただけでなく案内してもらうこともできた。

この家は元は旅籠だったという。

大きくて、ちょっと民家ではない風情が漂い最高の再生物件だと感じた。

家も立派だが裏庭が、これまたたいそう立派だ。

二段構えの石垣があり、裏山に上ることのできる幅広の石の階段も付いている。

ここは将来「オープンカフェにする」というので是非とも伺いたいと思った。

また家の中も案内してくれたが、ご自分で描かれたという風神雷神は素人とは思えない。

参道をさらに奥に進むと何十年前に来たのか定かでないが、この店でモミジの天ぷらをいただいたという記憶がある。

雲竜荘という名前を覚えていた。

それは妻も同じ記憶であったので間違いはない。

メニューは山菜民芸料理というコースものだ。

1時間ほどかけて山菜料理を楽しんだ。

自分と妻の記憶に照らしてみると、やはりモミジの天ぷらしか合致するものはなかった。

食べ終わったいずれもが山菜としては定番だったので記憶から抜け落ちたのであろう。

食している途中で新たな記憶が甦った。

この店に入る時ジョウビタキという野鳥のオスの姿を見たのだ。

あまりの美しさに感激して、どの木に止まっていたのかも覚えていた。

自分の脳裏に刻んだ鳳来寺の記憶と、またきっと来る自分の将来。

再生できない自分の記憶が残念だが新たに作る記憶には、ここはモッテコイだと感じた。



柿は秋の行動の元

2014-11-10 08:24:44 | Weblog
干し柿を作るのは、もう何年も前からの我が家の習わしだ。

その恒例になっているものの中でも新たなものと、そのままのものとがある。

近所の知り合いから干し柿の干し方の画期的な方法を教わった。

ただし彼の干す柿は長野の市田柿。

我が家は山梨の甲州百目。

大きさの差があって彼の方法は使えない。

やはり今まで通りT字型に残してくれた枝にヒモを括りつけて吊るすことになる。

皮を剥いてから消毒をする方法も違う。

山梨県の増穂にある望月農園に柿を買いにゆく。

望月農園では主品目であるラ.フランスを買うと共に何個も食べさせてもらい、さらに妻の趣味の染用としてクルミの殻をもらってきた。

また妻の友人とのランチも柿の買い出しと同じくらい大切なものだ。

お互いに尽きない話をランチタイムで終わらせるのは難しいものだ。

さて我が家に集めた渋柿の皮をむくのは妻そしてそれを干す場所を作るのが私だ。

取り外し可能で干しやすく外しやすいものにする。

干し柿を作るのは、ある時期だけだし雨が降ったら取り込む必要がある。

ベランダに置いてある縁台を利用することにした。

高すぎず低すぎず長すぎず短すぎず。

我が家にあった頃合というものを理解して作るのは楽しい。

比較的温暖な気候なので、ともするとカビてしまう。

だがいつもは邪魔くさい風が、この時期だけはありがたい。

ベランダにきちんと並んだ柿を食べたいヒヨドリが電線に止まって「ピーヨピーヨ」と鳴いている。

いちおうヒヨドリには、つつきにくい位置に柿を並べたつもりだ。

麿ちんが番をしてくれれば「家族全員で作る干し柿」となるのだが別の場所で高イビキ。

出来上がる干し柿を待っていてくれる母がいなくなってしまったことは大きくやる気を削ぐ。

だが毎年柿太りする私たち夫婦の習わしは続く。