家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

犬居城址往復

2020-12-26 16:29:12 | Weblog
今年最後の計画を実行した。
それは春野の地元にある史跡まで歩くことだ。
犬居城址まで春野の自宅からグーグルマップで調べてみると片道56分と出る。
車で移動するところを歩く、というのは、なかなか楽しい。
いつも通っている国道が気田川を挟んだ反対側に見える。
景色というのは反対側から見ると、まるで違って見える。
往きと帰りの景色の反対も面白いが、こうして対岸の道路から見てみるのも、とても面白い。
30分ほど歩くと粉雪が降ってきた。
前を親子が歩いていた。
サンタクロースの服装の推定2歳半の子供は粉雪が気になり空を見上げて両手を広げた。
その場で向きを変えているうちに私に気づき私が歩み寄るのを待っていてくれた。
キリスト教と無関係な私も、これこそサンタクロースのプレゼントのような気がした。
かわいいサンタさんの写真を撮らせてもらった。
この後犬居城址の麓までは1時間かかり、それがほぼ上り坂であった。
城址の入り口にある立て札からは18分間の登山だった。
頂には展望台があるのみで素人の私には城が在ったらしい痕跡などは見つからない。
汗をかいて冷たい風が吹く中、展望台下のテーブルに愛妻弁当を広げ大急ぎで食べ、いつものようなコーヒータイムをとる余裕はなかった。
そうそうに下山して自宅に向かった。
到着してみると2万歩で3時間の歩行だった。
私の一歩は約70センチだから2万歩だと14キロメートルになる。
しかしグーグルでは8.8キロメートルだ。
坂の上り下りに一歩当たりの距離が縮んだのだろう。
標高203メートルのわが家から標高255メートルの城址まで往復した。
これで歩行計画は歩き納めになると思う。
まだいくつか別の計画は残っている。

阿寺の七滝

2020-12-23 09:24:09 | Weblog
新城市は、わが家から1時間半から2時間の距離にある。
しかも信号機の少ない山道を通っていくから、日帰りツーリングには最適だ。
そのうえ、カフェなどが、そこそこ点在するので休憩地点もあるというわけ。
先日新城のナイアガラというものをネットで見つけた。
今まで何度も通過していた道沿いにあるではないか。
それを確かめながらモーガンを走らせることにした。
「あった」確かにナイアガラというだけあって高さは低いものの規模は広い。
そのナイアガラ滝を見ながら昼食をとることにした。
11時過ぎ、営業中の看板を確かめて隣にある駐車場に車を止めた。
入っていくと客は一人もいない。
座敷に新聞を読んでいるオヤジがいた。
先客だな、と思った瞬間「いらっしゃいませ」と言った。
この店の大将だった。
この場所の示す通り川魚料理が売りであったが若干値段が高い。
始めて来た店では高い料理は頼まないという自分の流儀通り魚フライ定食という一般的な料理を頼んだ。
出てきた魚は海の幸だった。
特別美味しくもなく、もちろんまずくもない料理だった。
その後しばらくして妻を連れて別の車でナイアガラに。
そこでは昼食をとらず、そこから少し離れた古民家に行った。
ネットで見た景色の数倍チャチな現実が待っていた。
つくづく写真写りというものは当てにならないと感じた。
料理は美味しかった。
腹ごなしに阿寺の七滝に行ってみた。
駐車位置から奥に景色や植物などを楽しみながら、のんびり歩く。
横には小さな川が流れていて車は入ってこないし気分の良い散歩だ。
滝には少しの水が流れ落ちていた。
その上に全部で7つの連なった滝があるらしい。
ダバダバと上の川から水が滝壺に落ちる形ではなく岩の上を水が滑り落ちる式だ。
だから滝に近づいた時にも、その存在は音では分からなかった。
今度は、もう少し増水した姿を見てみたい。
その後この先にある日帰り温泉に寄って帰宅した。


今切口

2020-12-21 17:45:08 | Weblog
妻の藍染め教室が大掃除をするというので私は手伝い兼アッシー君で送っていった。
到着すると別に手伝う用事はないということで彼女が帰る時まで空き時間となった。
実は、これがあったので引き受けたということもある。
車を置いて遠州灘と浜名湖の接点である今切口に出かけた。
漁港らしく、かなりの数の大小の船が係留されている。
今活動している漁師は牡蠣の養殖業者だけらしい。
と言っても、不漁で次のための準備をしているだけのようだ。
「このステンレスパイプは何だろう」と思ったら氷を船に流し込む物だった。
この辺りの特徴は、船舶用という特殊な事業所が多いことだ。
エンジンの店、船舶通信の店、漁網専門店、などが港の近くにある。
造船所も当然あってクレーンやら海から船を引き上げる滑車や海に入り込むレールなどが設置してある。
落ちている物といえば、ロープや浮き、あるいは漁網の類、錆びた大きなチェーン、発泡スチロールなどが多い。
時たま小さな漁船が港に帰ってくるようだが、大きな船は、きれいに繋がれっぱなしになっている。
さて漁港を過ぎると駐車場があり、それを超えると今切口に到達する。
今は満ち潮で、かなりの速度と量で湖に流れ込んでいる。
このせいで淡水だった浜名湖にはタイがいると言われるようになった。
釣り人は寒い割にはたくさんいて、私の見ているところで50センチ以上のカツオのような形の魚を釣り上げた。
今切口の真上には車の専用道路であるバイパスが東西に延びている。
また海岸線にはバイパスと平行に防潮堤が今切口を起点に東に17.5キロ延びている。
見える所に入り口用の階段があるので、そちらに移動した。
これは国内最大級の防潮堤で今年3月に完成した。
これにより市の浸水面積が8割減り、木造住宅の倒壊目安となる浸水深2メートル以上の想定区域は98%減となるらしい。
高さ15メートルの階段を登り切って西の端まで歩くと今切口に到達する。
先ほど歩いたところを上から覗く形になる。
帰路は舞阪の路地を歩いた。
人がすれ違うのがやっとの幅だ。
これはこれで趣がある。
ほぼ1万歩の散歩を終えて藍染め工房に到着すると初仕事が待っていた。
灯油をひと缶買いに行くことだ。
やれやれ、ここにも私の出番はあった。

沢登り

2020-12-13 17:04:13 | Weblog
いつの頃だったか私が購入した春野の、この土地に住んでいた人の話を聞いたことがある。
「この沢の上の方から水を引いてきた」と言う。
この沢の正式名称は「カラサワ」だ。
その名の通り、いつも水は流れていない。
雨が降った直後だけ水がある。
とすると、この上から水を引いていたというのは、どういうことなのだろう。
一度登ってみたい、と思い始めて、もう何年も経ってしまった。
今年こそは、と思いを強くしたが夏はヘビが出そうだから、と気温が下がるのを待った。
まずは道路に出て登る沢の写真を撮った。
自分の家の敷地を通って堰堤の上に出て、ここから出発だ。
枯れ枝が大量に落ちているし倒木もある。
地面は小石や大きな石がゴロゴロしていて沢の幅いっぱいに岩があったりする。
途中で一ヶ所だけ枝を切り自分の通る道を作った。
少しだけ水が現れたが、それ以降水は見ていない。
これ以上登っても水はありそうにない、と考えて登ることを止めた。
下方向を見ても、もう道路は見えない。
さてこれからは下りだ。
だが苔むした大岩を降りるのは滑り落ちそうで怖い。
危うい箇所が3か所ほど頭に浮かんだ。
それでは山に入って木々の間を降りていこうと決めた。
幸い獣道があり、それに従っていけば傾斜の緩やかなところに出るだろうと思った。
だがすぐに行き詰った。
足場が悪くザラザラとした小石混ざりの土で何かに掴まらないとズルズル落ちていきそうだ。
ほんの5メートルの高さが15メートルにも感じられ軽いケガでは済まない気がした。
勇気を出して片足を出してみると小石や土が落ちていき沢で大きな音を立てた。
私はセミが木に留まるように地面にしがみつくような格好で自分を落ち着かせ対処法を考えた。
最低3歩進んで杉の木の根に辿りつかないと次のステージには進めない。
まずは自分の足を乗せると滑りそうな枝や石を沢に落とした。
細いツルがあったので、それを持って体重の大半をそちらに乗せるつもりで思い切って移動して杉にたどり着いた。
首筋に何かが当たる感覚を覚えたがヘビでもないしヤマビルでもないと思い道の確保に集中した。
スパイクの無い薄底の地下足袋で地面の感覚をつかみ自分の体の重さと腕力の衰えを痛感しながら一歩一歩進んだ。
やっと我が家の敷地にたどり着いた時には私の枝打ちしたコナラやモミジが明るく輝いて見えた。

介護用ベッド

2020-12-07 15:05:35 | Weblog
姉から連絡が来た。
介護用ベッドが空いたけど欲しいか、と。
もらうことにした。
このベッドは父が使用し、その後母が使用して、その後姉の孫が使用していたが大学生となって他県に移動したため私に連絡が来たというわけだ。
父が使用したということは25年ほど前から使用していたということだ。
妻の父親が使用していた介護用ベッドは、今は妻が使用しているが妻の母親が介護を要するようになってからは母親が使用していた。
妻の母親が、それ以前に使用していたものが、私が今まで使用していたものだ。
つまり妻のベッドが父親から母親そして妻に。
私も同じような経過で今回巡ってきたというわけだ。
さて、もらうことを伝えたが自分の使っているベッドを解体し、移動する必要がある。
でないと狭い家なので部屋の中にベッドを入れることはできない。
まずは姉の義理の息子がトラックを用意してくれるというので、その日に合わせて自分の作業日程を決める。
日が決まると作業の手順が決まる。
まずは妻のベッドの高さにそろえるために、かさ上げしてあった私のベッドを下す。
そしていよいよベッドの解体だ。
木造のため電ドルとスパナだけで簡単に分解できた。
分解すると一つひとつの重さは軽く作業が簡単にはかどった。
そしてベッド下の掃除。
これに一番時間がかかった。
掃除機でチリやほこりを吸い取ったのち雑巾やウエットティッシュで拭き掃除。
それは細部に、そして電源コードのような曲がる物に対しても行った。
その夜は妻のベッドの横の床に布団を敷いて寝た。
妻の寝息が上から聞こえることに違和感があった。
翌日姉の義理の息子のトラックが長い物と重い物を乗せてやってきた。
それらは曲がった階段を通って寝室まで、まさに紆余曲折を経て運び込んだ。
2モーターベッドは組み立てている時間より「ああでもないこうでもない」と悩む時間が一番長かった。
組み立て終わると1本の白髪が見つかった。
父も母もそして姉も白髪頭だ。
誰の白髪かは分からなかったが私への挨拶のように感じた。
寝てみたら妻の寝返りのたびに隣接する私のベッドが揺れる。
今までは木材でできたベッドだったので揺れることはなかった。
まだ介護が必要になるには、そうとう時間がかかるつもりでいるが、ひょっとしたらこのベッドの上で逝くのか思う。
そう思うと、たいして時間はないように感じる。